昨日、ラピュタは外国人から見ると文化ごちゃまぜだ、という話を書いたのだが、偶然今日もラピュタ話を。
偶然はてブかなんかから見つけただけでつながりはない。
たしかに、そもそも「自爆装置」が基地やら島やらにある、というのはご都合主義のなせる技だったりしますよね。あなた、念願のマイホームを、それも建売ではなく1から設計、建築できるとして、工務店に
「万一のため、自爆装置をつけておいてください」とかいいますか?
こわいわそんなの。
ドリフの「だめだこりゃ」オチじゃないんだから。
でも空に浮かぶ天空の城、ラピュタにはそんな滅びの呪文があった。
http://mubou.seesaa.net/article/210212206.html
単純に「管理キーである飛行石を活性化させるだけのコマンド」と思しき「困った時のおまじない」ですら、「リーテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール」などというやけに長いコマンドであるというのに、何故「自爆コマンド」であるところの「滅びの言葉」が「バルス」などという超シンプル過ぎる三文字なのか?
普通に考えると、管理者権限の持ち主がたった三文字の言葉を発しただけで、操作確認もなく都市が自爆するとか正気の沙汰ではない。lsコマンドを打ち間違えただけで停止するシステムを想像してみるが良い。怖くて住めないだろそんなとこ。
そこから類推すると、「実はバルスは自爆コマンドでもなんでもなく、他の意図で用意されたコマンドなんだけど使い方間違えて伝わってるんです」と受け取った方が妥当なんじゃないかと私は思うんだ。
そこからシステム的な考察が行われ、
本来ならバルス使用時には「アプリが停止されていません。このまま実行するとラピュタが壊れる可能性がありますがよろしいですか?(y/n)」「本当によろしいですか?(y/n)」とか5回くらい聞きなおすようにしなくてはいけない。ここについては積極的にラピュタ開発者の責任を問うべきだと思う。
という結論に至る。
これは非常に丁寧に傍証を検証した、説得力ある論文であったが、ここでわたしはもうひとつ、別の観点・・・主に民俗学からの異論を提示したい。
それは
「宴会を盛り上げる、危ない遊びのための仕組み」
だったのではないか、ということである。
別の文化に、類例が存在する。(筒井康隆「熊の木本線」より)
http://ameblo.jp/mo-so-keisatu/entry-10436198075.html
部落の連中が、珍妙な踊りとともに、ちょっとずつ歌詞を変えて歌い回ると、男も女も笑い転げる。(略)
客人の主人公に順番が回る。
ところが。。。
なんじょれ熊の木
かんじょれ猪の木
ブッケ ブッタラカ ヤッケ ヤッタラカ ボッケ ボッボッボッボッボッボッ♪歌い終り、踊り終え、自分で自分がやったことのおかしさにげらげら笑いながら周囲を見まわして、おれはどきりとした。
誰ひとり、笑っていなかった。
ブログの解説から、理由を紹介しよう
(註:ネタバレでもあるので自己責任で)
実は、この歌を歌うと、この国に大変な不幸が起きるという、忌み歌だったのです。現に、過去に部落の者があやまって歌ったときには、いろんな事が起きたということ。
部落の者達は、歌を正確に歌わないように注意しながら、きわどく歌詞を変えて歌っているものだから、そのはらはら気分で、なおさらおかしかったと言うわけです。
それを偶然にも、主人公は正確な歌詞で歌ってしまったのでした!
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「世にも奇妙な物語」で、ちゃんとメロディも付いて(笑)ドラマ化されたそうですね。
http://yonikimo.com/db/public/286.html
youtubeにはそれを受けた素人さんの踊りもある(笑)
で、もうおわかりでしょう。
世界に覇を唱えた最盛期のラピュタ国では、シータのご先祖に当たる王族たちが連日のめや歌えの大宴会。
そして、ふつうの刺激じゃ飽きたりなくなった彼らは、ひとりずつ大声で叫ぶ。
「なんじょれ…バルツ!!」「わーやべーやべーよ」
「かんじょれ…サルス!!」「まじかんべんっすよ」
「なんじょれ…バルム!!」「うわー、超びびる」
たいへん、刺激的な遊びだったのでしょう。
以上の論考を、「バルス=熊の木説」として、学会に問うものであります。