この前、ちょっと古い新聞を整理していたときに見つけた記事です。
読売新聞・5月23日に掲載された筒井清忠帝京大教授の寄稿で「後藤新平・復興院の虚実」。
読売の文化系記事じゃネットには掲載されてねーだろーなー、だれか写してねーかなー……と検索。
おっ、けっこう有名人、天木直人氏がブログで紹介していた
http://www.amakiblog.com/archives/2011/05/23/
原文と照らし合わせても、ほぼ趣旨は損なわれていない。
しかし5月23日の読売新聞に掲載されていた筒井清忠という
帝京大学教授の書いていた「後藤新平・復興院の虚実」という解説記事は注目に値する記事である。 これほど、明確に後藤新平の評価を低く見た解説記事ははじめてだ。
彼は言う。後藤新平と復興院の名が称揚されているが、この時代を研究した者からすると、それらの多くは虚像としか言いようのないものである、と。
そして彼は次の諸点を列挙する。震災からの復興も重要であったが、後藤新平内相が目指したのは新党結成による政界ヘゲモニー掌握であり、その手段としての普通選挙制度の実現だった。震災復興はその目的のために政治的に利用された面が強かった、と。
政財界の要人を集め発足した帝都復興審議会は新党計画の一つの拠点でもあったのだ、と。 その後帝都復興会議は政争に巻き込まれ、最終的には復興予算の大幅削減と復興院そのものの廃止が議会で決定され、後藤は屈服した、と。
藩閥や政党という確固とした政治的地盤を持たなかった後藤は、いつも大向こう受けするアイディアを提示するが、それらを最終的に実現する粘り強い足腰を持たなかった、と。
屈服のあとすぐに内閣は総辞職し復興院は廃止される。後藤が政治家として再び復活することはなかった、と。
この後藤の故事が告げているのは、一つは政治というものを思いつきのアイディアで行うことの危うさであり、もう一つは、大自然災害を政治に利用しようとするような政治家は政治によって復讐されるということである、と。
正直、ここから展開した天野氏自身の論考はどーでもいいや(笑)。
冒頭に氏が書いている様に、後藤新平評価として、個人的には目にしたことが無かった興味深い、新しい視点だったので記録しておこうと思いました。
筒井氏の寄稿では「実力以上に伸びきった政治的攻勢ラインは縮むのも早い」という印象的フレーズがある。