革命というのはある時期、猛スピードになるものだ、とソ連崩壊の預言者小室直樹は80〜90年代に何度も言っていたが、辞任を最後まで渋ったムバラクが最終的に追い込まれた。
最後は英国に敗れたアラービー・パシャ陸軍大臣の決起から130年の時に。
今なお、大統領の権力移譲先が軍ということに多々の問題はあるとしても。
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2011/02/
ムバラクがいまいるシャルメルシェック(紅海に面した保養地)はイスラエルとの協定から軍部が配置されていない非武装地帯であるようで、あそこの保安には警察(+大統領保安隊)が当たっている。ここは微妙なポイントです。
で、リビアは2月17日にデモを予定
http://toronei.tumblr.com/post/3236796286
"携帯から来たジョーク。チュニジアとエジプトで金曜に革命が連続して起こった。リビアのカダフィは金曜日を廃止することにした。"
― Twitter / @Morley Robertson
http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2011/02/no_966.html
リビアの反体制組織NCLO(リビア反体制国民会議)の代表と電話で話し合い、NCLOが企画している2月17日の「怒りの日」デモを、やれるものならやってみろ、と切り返したということだ。
この2月17日という日は、2006年に2月17日に預言者ムハンマドの漫画に、抗議する名目で集まった大衆が、反カダフィデモに変わり、死傷者を出した記念の日だ。
リビアでは特に、東部地域のベンガジやアルベイダ市、トブルク、デルナ市などで、失業問題の拡大、建築物の老朽化、地域行政の混乱などが、限界に達している。このため、今回のデモ呼びかけも、リビアの東部を中心に、激しいものになるのではないか、と予測されている。
しかし、カダフィ大佐は自分の周囲にいる、ジャーナリスト、政治活動家、テレビ関係者などと、秘密会議を行った。その中で、カダフィ大佐は政治・経済に関する、重要な変革を行うと語ったということだ。
その前日は
金正日は、1941年2月16日にソビエト連邦の極東地方の軍事教練キャンプで生まれた。正確な出生地についてはハバロフスク近郊のビャックエにある北野営、ウラジオストク近郊のオケアンスカヤにある南野営、ウラジオストク市内の病院といった諸説がある。
金正日「エジプト、なんでああなっちゃった?」
部下「分析しました。1、近年経済発展し、一定の中間層が台頭。 2、アルジャジーラが活発に活動 3、携帯とネットが普及 4、野党や知識人の存在…つまりはITや経済が発展し、世界と情報交流をしていると危険ですね」
金正日「・・・結論として、わが国は安泰かよ」
という政治ジョークとは別に、厳密に言えば携帯電話も北朝鮮ではある程度普及が始まっている。しかし、その携帯電話事業をやっているのがエジプト企業だという。