INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

都青少年健全育成条例、賛成の立場からのツイッター(twitter)が話題

■papsjp ポルノ被害と性暴力を考える会
http://twitter.com/#!/papsjp

いまだに、都条例の改正条文が曖昧で恣意的解釈を許すから表現規制だなどというたわごとを大真面目に言う人がいて驚く。そういう人は改正前条例も改正文も読んだことがないか、読んでも理解することができないか、理解できても意図的に曲解しているかだろう。
 
「性的感情を著しく刺激する」という文言の方が、「刑罰法規に触れる性行為」であってさらに「強姦等著しく社会的規範に反する性行為を不当に誇張し賛美する」という文言よりもはるかに曖昧で恣意的解釈を許すのは明白である。さらに刑法の猥褻物頒布罪にあっては、何が猥褻物かの規定そのものがない。
 
改正前条例の基準があまりにも曖昧だからこそ、反対派の一部が言うように、改正前条例でも、強姦賛美漫画を不健全図書指定できるじゃないかという批判が出たのである。だが、この批判は天に唾するものだ。改正前条例の文言の曖昧さを利用することを推奨し、表現の自由論を自己否定する論理だからだ。
 
改正前条例のゾーニング基準のあまりの曖昧さゆえに、結局、実際の運用にあたっては、性器や体液を露骨かつ執拗に描き出しているかどうかというものになっていた。それゆえ、そこから外れるものは、たとえ子供を性的対象として扱ったり強姦を不当に賛美していても、不健全指定できなかった。
 
そこで、子供をみだりに性的対象にしたり強姦を賛美するという人権侵害的表現を対象とするには、別の基準を条文化する必要があった。改正前条文では、その曖昧さにも関わらず、いや曖昧だからこそ、それは不可能だった。曖昧な条文なまま適用対象を拡大することこそ、表現の自由の侵害になるからである
 
もし曖昧な改正前条文に基づいて対象を、性器や体液を露骨に描いていない性表現にまで広げれば、対象が子供でもなければ強姦を不当に賛美もしていない性的表現をも対象にしなければならなくなる。それこそ表現を萎縮させ漫画文化を破壊することになるだろう。
 
こうした背景から出てきたのが今回の都条例改正なのであり、なし崩し的に漫画を表現規制するためでなく(そんなことをして何の利益が都や警察にあるというのか)、そうした事態を招くことなく子供ポルノと強姦賛美表現をゾーニングするためのものなのである。
 
もし都や警察の意図が漫画の性表現をなし崩し的に規制することにあるのなら、そもそも改正する必要など最初からない。改正前条文をただ文字通りに適用するだけでよい。あの条文を機械的に解釈すれば、ほとんどすべての性表現を不健全図書指定できるのだから。なぜそうしないのか?
 
だから、規制反対派の言う、現行条例で強姦賛美表現を規制できるという命題と、改正の意図は性表現規制のなし崩し的拡大であるという命題とは、まったく両立しないのである。規制反対派は自分たちの主張がまったく矛盾していることにさえ気付かない。
 
したがって、今回の都条例改正は、それが「青少年健全育成」というパターナリスティックな枠組みを維持していること、規制手段が陳列区分というゆるゆるのゾーニングでしかないことという基本的な弱点を保持している点で問題を残しているものの、その枠内では一定の改善と進歩を示すものである
 
決定的なのは、ゾーニング基準を、「性的感情を著しく刺激する」というまったく曖昧で人権と無関係なもの(猥褻基準)から、「刑罰法規に反する性行為」のうち「強姦を不当に誇張し賛美するもの」という、はるかに明確で人権に基づくものへと移動させたことである。
 
基準がより明確かつ限定的になったことは、単なる自由主義や法律論の立場からも評価できる点であり、基準が子供や女性(さらには男性も)の人権に基づくものになったことは、もちろんのこと、子供の人権やフェミニズムやLBGTの人権の立場から高く評価することができる点である。
 
にも関わらず、ほとんどの自由主義者、法律家、人権派フェミニストLGBT活動家、さらには社民党共産党キリスト教団体もが今回の改正に反対したことは、都知事が反動的差別主義者であったというだけでなく、表現の自由をめぐって日本の反体制勢力が陥っている深刻な混迷をよく示している
 
以前、「夫婦別姓になったら日本国家は崩壊する」という右翼の立て看を見て、「日本国家弱すぎw」と苦笑したが、強姦賛美漫画がゾーニング対象にされたら漫画文化崩壊とか「民主主義が死ぬ」(保坂談)とか、規制反対派が絶叫しているのを見ると、彼らの思考様式が基本的に同じだということがわかる。
 
規制反対派は、子供を無菌状態にしてはいけないと言い、強姦賛美漫画がそこらへんにあっても、すくすく育つから大丈夫と根拠もなく断言するが、その一方で、金も名声も権力も持った大の大人たちは、強姦賛美漫画がゾーニングされただけで、たちまち萎縮してしまい、漫画文化が滅んでしまうと絶叫する。
 
基本的に世界の流れは、児童ポルノ非実在も入れる方向であり、それは避けがたい。それを避ける道があるとすれば、ゾーニングを徹底することだけである。しかし、規制反対派はそのゾーニングにさえ絶対反対を唱え、いっさい妥協を拒否した。彼らは愚かにも、自分たちで自分の首を絞めたのである。