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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「神聖」なものを全部(法的に)保護すれば平和は来るが、その方向性でいいすか?


漫画はニューズウィークより。
この話題は日本のブログやtwitterでは全然盛り上がらないんだけど、だからこそ隙間的にここが論じる価値がある。
 
んで、まあ内容はタイトルに書いたとおりの話なのだよ。
”神聖”なるコーランを焼いてしまうのは・・・少なくとも日本では現在、自分のものであればそれは自由だ。ただし、それを「闘う民主主義」の論法でも使用して、法律でやめさせてしまうという方法も無くは無い。
外国国章損壊罪」「礼拝所不敬罪」なんてのも日本の法律には既にある。
 
ということで、コーランを焼却その他で侮辱、批判する、というのを、「それを象徴的存在として厚く信仰し、敬意を払う人がいるのだから、そういう行為はやめさせなければいけない」として禁止する社会を想定しよう。
他にはないだろうか?
「日の丸」や「皇室」・・・これは余裕で入るよね。それを敬愛する人たちが多くいる以上、落書きしたり燃やしたり、その人にふんしてコントしたりするのは許されない。
仏教、キリスト教も余裕で入る。
創価学会は?まあ信者が多いわけだから、三色旗とか名誉会長は保護の対象になるだろうなあ。統一教会は?幸福の科学は?阿含宗は?モルモン教は? まあ「コーラン」と区別するわけにはいかないでしょう。
宗教だけではなく、一般的な会社社長などへの”尊敬の念”はどうだろうね。ビル・ゲイツやジョブスやナベツネホリエモンを、まあ社員が全て尊敬しているかはともかくとして、揶揄・侮辱する表現も、この際規制するべきかもしれない。
 
さて、そういう社会は、完璧に運営されれば今回のカルト牧師が行った焼却パフォーマンスのような摩擦を生み出すことは無い。
そしてあとひとつ言えるのは、その社会には「サウスパーク」と「いしいひさいち」は存在しないだろう、ということ。
 
おしまい