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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

朝日新聞が鳥越俊太郎を社説で名指し批判

http://www.asahi.com/paper/editorial20100919.html

押尾被告判決―市民の力が発揮された

 ふつうに地域に住み、ふつうの暮らしをしている市民。そんな私たちの仲間が持つ力を、ニュースを通して感じ取った人も多いのではないか。

 元俳優の押尾学被告に対する裁判員裁判で、判決が言い渡された。

 一緒に薬物を服用し、具合が悪くなった女性を放置して死なせた。それが起訴内容だったが、判決は「直ちに通報しても確実に助かったとまでは証明されていない」と述べ、「死なせた」という部分を除いて有罪を認定した。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が働いたことが、判決理由から読み取れる。

 被告が芸能人とあって、事件発生直後からおびただしい量の報道があった。裁判員の心証形成や量刑の判断に影響が出るのではないか。そうした観点からも法廷は注目された。

 だが、判決後に会見した裁判員らの話は、懸念を吹き飛ばすものだった。

 「審理に入って情報はリセットされた」「法廷に提出された証拠だけで判断できた」「押尾という人物でなく、彼の行為に対する刑罰を考えた」

 事件報道のあり方は裁判員法の制定のころから論点の一つになっていた。日本新聞協会などは、法律で規制することに反対する一方、取材・報道ルールを見直した。法曹界も、あくまでも証拠に基づいて結論を出すよう裁判員を導くことが自分たちの重大な使命であると確認し、審理の進め方や立証活動の改善に取り組んだ。

 いまの報道に反省すべき点がないとは言わない。だがこうした議論と実践、そして何より、責任感をもって事件に向き合った裁判員が、この日の判決を導き出したといえよう。

 市民の力を信じる――。

 ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。

 裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が「素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで「“市民目線”と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団」と書いた。

 もちろん市民の判断がいつも正しいとは限らない。個々の疑問や批判はあっていい。だが市民への信頼を抜きにして、私たちの社会も制度も、そして民主主義も成り立たない。

 素人と専門家が役割の違いを自覚しつつ、互いに尊重し協働することによって新しい司法を築く。裁判員制度はそうした理念に基づいて始まった。

 今後も曲折はあるだろうが、めざす方向に間違いはない。騒がしい空気のなかで始まり、裁判員らの冷静な発言で締めくくられた元俳優の公判は、そのことを確認させるものとなった。

検察審査会裁判員制度のような「アマチュアが参加するシステム」については少し興味があって書きたいこともあるが、ちょっと時間ないのであとで。
とりあえず、新聞社説で言論人が名指しで批判されるのは珍しいな、という話と、以前は鳥越・朝日と言えばおおまかに共同歩調をとっていたのだが、小沢一郎を軸にして、そういう陣営に亀裂が入っているのう、というのが興味深いということで紹介した。
そういえば、「ネット右翼」「ネトウヨ」をもじって、今回インターネット上で盛り上がった小沢応援団を「ネットオザワ」、略して「ネトオザ」と読んでいるところがあってちょと笑った。