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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

ドキュメンタリーを廻る逆説…暴力の恐怖と威圧が「ゆきゆきて神軍」を上映”させた”.

もちろん「ザ・コーヴ」に関連したお話。
同作品への上映反対運動と、それにまつわる上映館の上映中止はいろいろ賛否を呼んでいる。
上映禁止運動の様子を記録した動画がここにUPされている。
http://www.the-journal.jp/contents/info/2010/06/_13.html
ある作品と、その公開に反対する運動、という話では
・「靖国」(靖国神社のドキュメンタリー)
・「ムハンマド風刺画」
・「最後の誘惑」(キリストの恋を扱った映画)
・「プライド 運命の瞬間」(東条英機を扱った映画)
・「ヘタリアCS放送中止
・「ちびくろサンボ

などの例と重なったり、あるいはいろいろな差があったりする。
そんな中でも、一番例が近いのが最初の「靖国」だと思う。
このブログの過去の記事も、検索していただくと面白いんじゃないかな。

「そこに映った人」はドキュメンタリーに異議申し立てが出来るか?

さて。その「靖国」に関しては、今回もシンポジウムを主催した「創」出版社がムックを出しています。

映画「靖国」上映中止をめぐる大議論 (TSUKURU BOOKS)

映画「靖国」上映中止をめぐる大議論 (TSUKURU BOOKS)

実はこの「靖国」と「ザ・コーヴ」には「そこに映っている『出演者』が了承したのか?(あるいは「当初の約束と違う」とあとから表明して削除を求めるなど)」という問題がある。「靖国」に関しては、微妙に事実関係で双方の齟齬があるけど。


この前の記事でも書いたのだが、実はこっちのことのほうが重要と言うか、本気かどうかはともかく、争点にすると上映反対側のほうが、例えば裁判で言うところの「スジがいい」主張となる。


この本では「A」の作者でもある森達也氏が「許可は取ったのか?」「最初の約束と違ってるから彼の出演部分は削除して」といった議論に反論している。
だが、率直にいって少々オソマツだす。
うーん、というか森氏を責めるのも気の毒で、はっきり言ってこの問題はドキュメンタリー全体を揺るがすし、だからといって論理的にはやっぱり反論できないもののようなのだ。
だから「それを言っちゃあおしまいよ」といった開き直りしか言えなくなってしまう。

被写体の了解があるかないかも、どうだっていいんです。踏みにじらないとドキュメンタリーなんて作れない。それによって人を加害します。その責任なんてきっと取れない。映像メディアはそれほどに強烈な加害装置です。その覚悟をしなくてはならない。(略)
僕ら製作者が覚悟すべきは、責任を取れない覚悟です。明らかに規範を超えています。それほどに悪辣で乱暴なことをしても、伝えたいからです。伝える価値があると信じている。ギリギリでやっているんです。そこに手を突っ込まないでもらいたい。

・・・どんなに好意的にみてもこれ「逆ギレ」という批判は免れないわ森さん(笑)


今、「電波少年」がCSで再放送していることも既報したが、森達也氏が常に「こんなのは日本だけだ」と批判し、さらにいうと今回「ザ・コーヴ」の日本上映で配給元が決めた「登場人物の多くにはモザイクをかける」という措置も、森理論の説得力の無さ(私見)から逆算すると「うーんモザイクをかけて、プライバシーは保護したんで公開しますね、というのはむしろ素晴らしい知恵、外国に先んじている優秀な解決法じゃないか?」と思ったりもする。


前述の創出版の「靖国」には、「ゆきゆきて神軍」の監督・原一男氏のインタビューも載っている。

ゆきゆきて神軍。」
もはや伝説のドキュメンタリー映画、ではあるが。

ゆきゆきて、神軍 [DVD]

ゆきゆきて、神軍 [DVD]

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17864/story.html

奥崎はニューギニアの地に自分の手で埋葬した故・島本一等兵の母を訪ね、彼女をニューギニアの旅に連れていくことを約束した。奥崎の所属部隊・独立工兵第 36連隊で、終戦後23日もたってから“敵前逃亡"の罪で二人の兵士が射殺された事件があったことを知った奥崎は行動を開始した。その二人の兵士、吉沢徹之助の妹・崎本倫子、野村甚平の弟・寿也とともに、処刑した五人の上官を訪ね、当時の状況を聞き出す。だが、それぞれ、処刑に立ちあったことは白状したものの、ある者は空砲だったと言い、ある者は二人をはずして引き金を引いたと言う。いったい誰が彼らを“撃った"のかは不明のままだった。さらに彼らは飢餓状況の中で人肉を食したことをも証言するのだった。やがて、二人の遺族は奥崎の、時には暴力も辞さない態度からか、同行を辞退した。奥崎はやむを得ず、妻と知人に遺族の役を演じてもらい、処刑の責任者である古清水元中隊長と対決すべく家を訪ね真相を質す--。一方、奥崎は独工兵第36部隊の生き残り、山田吉太郎元軍曹に悲惨な体験をありのままに証言するよう…

というような話が、カメラの前で展開されている。奥崎氏はかなり目立ちたがりと言うか、カメラを意識した演技的な人格だから問題はまぁないだろうが、問題は奥崎氏が訪れる先の人たち。この人たちに「撮影のOK」「映画にしての公開OK」をよく取れたなぁ・・・と、見た当時も思ったものだったが、今回のムックであっさり白状しました原さん。

−−(略)映された人から抗議がくるといったことはなかったのですか?

「ありませんでした。当時はまだ肖像権といったことに強い問題意識はなかったように思えますし、それ以上に、決してほめられたことではないのですが、そんな抗議をしたら奥崎さんが怖い(笑)。『下手に刺激しないほうがいい』と、それが現実だったでしょうね」
※表記に抜けがあったところを16日に追加しました


正直、このくだりを読んで、ムックの趣旨ぶちこわし!とひっくり返って驚いて、それから大爆笑したんだけどね(笑)。いや、当事者にとっては深刻な話でもあろうし申し訳ないのだが。

「右翼が怖い」も「奥崎が怖い」も、暴力への恐怖と屈従は同じ!

だよな。
暴力の脅し、強制力によって、ある人たちが泣き寝入りを強いられる。
そんな状況が正義か不正義か。
少なくとも監督が「映した相手のクレームは、暴力の恐怖によってねじ伏せた(のだろう)」と推測するという状況・・・
・・・・そして、それによって、天下の奇人を描いた、奇妙な味のエンターテインメント、あるいは深い思想的な衝撃のある記録を、私たちは野次馬的な興味も含めて享受できている。


どうだい。この逆説は。

思考実験。いま「ゆきゆきて神軍」の出演者かその遺族がクレームを付けてきたら?

「当時は肖像権への問題意識も強くなく、おおらかだったんですねー、ははは」
で撮った人は済ませられるかもしれないですけど、当時っつってもDVDは2007年にまたもや再発売されているんでね(笑)。

1987年のこの映画、直接奥崎氏と対峙した同年代の人の多くは鬼籍に入られているだろう。こういうときの肖像権?や名誉毀損的なものは遺族に引き継がれたりするのかどうかわからないけど、まだ存命の人や、当時を知る親戚がいるなら一人ひとり当たって「この撮影のとき了承されていたんですか?上映も了承されていたんですか?奥崎氏の暴力の恐怖を感じていたんですか?」といちいち掘り起こしてみたら面白いだろうなあ。
2007年に再発売されたこのDVDに関して、「ザ・コーヴや『靖国』では、趣旨と違うとか勝手に映されたといって抗議した人がいるようですよ」と知恵を授けてみたらどうなるだろうね。

そんなことを考えさせる、すごい発言を引き出しただけでもこの靖国ムックはヒットでした。