http://www.news24.jp/articles/2009/11/26/07148603.html
殺したのは魔物…元次官連続殺傷で無罪主張< 2009年11月26日 16:26 >
元厚生事務次官らに対する連続殺傷事件で殺人などの罪に問われている小泉毅被告の初公判が26日、さいたま地裁で開かれた。小泉被告は起訴内容を大筋で認めたが、「私が殺したのは心の邪悪な魔物」などと自分の行為を正当化し、無罪を主張した。
起訴状などによると、小泉被告は去年11月、さいたま市で元厚生事務次官・山口剛彦さん夫妻をナイフで刺して殺害したほか、翌日に東京・中野区の元次官・吉原健二さん宅で妻・靖子さんを刺して大ケガをさせたなどしたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われている。26日午後から開かれた初公判で、小泉被告は「起訴事実は大筋で間違いないが、無罪を主張する。なぜなら、私が殺したのは人ではなく、心の邪悪な魔物だからだ」などと述べた。
検察側は、冒頭陳述で「小泉被告は飼い犬を殺処分した保健所を厚労省が所轄していると思い、恨むようになった。動物を粗末にしたら自分に返ってくることを訴えようと思い、犯行に及んだ」などと指摘した。
この問題で当ブログは、犯罪をいつ、どう「テロ」かそうではないか区別するんだ?ということにこだわってきました。
なぜなら当初はそういう報道があったこと、またその前にあった「加藤紘一宅放火事件」「長崎市長射殺事件」などで「テロに対して政治家が声を挙げていない」という形での批判があったからです。
(「島村宜伸事務所ビル放火事件」も、また別の意味で含む)
そこから関連エントリだ。
■厚生省元幹部・家族連続殺害事件。いつ犯罪を「テロ」と見なすのが正しい態度なのか
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081121#p6
■「元厚生省事務次官連続殺人を、当初テロ扱いしたことを反省せよ」と青木理氏(週刊現代)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090112#p6
■佐高信氏の、厚生省元幹部連続殺人事件評論をさらに評す
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081126#p3
で、テロは犯行当事者の(主観的な)動機が重要となるので、実は公判をもって検察陳述の事実関係や当事者の言葉を聴いた上で判断すべきことも多い。
そして今回。
被告はこのように言った。さて「テロ」であるのか?
動機が、一般人には突飛に聞こえる。
「犬の処分に反対し、それを実行する(と思った)やつらは魔物である」というのはひとつのイデオロギー、宗教的感情と考えるべきか。
それならテロだ。
それとも医学的な、病気に類する妄想なのか。
「個人的な不満や不遇感、一発逆転の社会混乱への欲望を、なにかさも適当な大義名分を借りてやっただけ」とするのか(という論法を実際に今回、多くのメディアで聞いた)。
それならテロではない。・・・ただ、これだと加藤紘一放火事件も長崎市長射殺事件もテロとは言いづらくなるのだが。
この事件が現在進行であったときは、被害者の共通点から政治テロを可能性として挙げるのは間違いではなかったと思う(同時に「動機はあくまでも不明」と慎重であるのもただしかったと思う)。ただ、公判によって被告の肉声や検察の陳述を聴いた上で、皆さん今はどう思いますか?
また2006-2008年の自民党政権時代、上のような事件の勃発のときに「政権党の政治家がテロ(と類推した)事件に対して鈍感で、批判の声をいち早く挙げないのはけしからん!」という批判をしていた人は、特に考えるべきだと思う。
最後にあらためて、これらの事件の犠牲者とその家族にお悔やみ申し上げたい。