INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

柔道家・田辺又右衛門の話続き

昨日の話の中で出てきた「田辺又右衛門」を検索してみました。→"田辺又右衛門"


現在、140件だからあまりたくさん資料があるとはいえませんね。昨日一回出ただけなのに、うちのブログも上位に入っている。
その中で、楽しかったもの。
http://www.mable.ne.jp/~sin/page060.html

・・・又右衛門は不遷流四世の家元である。不遷流の始祖”物外”大和尚は、托鉢(たくはつ)用のお椀二つをもって、真剣の新撰組隊長近藤勇を押さえて「参った」をいわせた”拳骨和尚”で知られる

なんだなんだ(笑)。

http://mode21.s144.xrea.com/20_/post_1.html

・・・不遷流柔術田辺又右衛門についても特筆すべき事柄がある。田辺は講道館の大阪支部開場に際し、道場破りを行なっており、嘉納以外の柔道家をなぎ倒したとされる。しかし、嘉納は武術や柔術をそのように利用することは間違っていると指摘し、田辺との乱取りを拒否した。ここに、両者の置かれた立場の相違、すなわち、制度化される柔道と制度化されない柔術との違いが明らかに見て取れる。その後、田辺は、神戸の諏訪山御殿に設置されていた大日本武徳会兵庫県支部で教鞭を取ることとなった。

おお、柳生=嘉納治五郎説がさらに説得力が出てきた。
地元の一般の人からの聞き書きなんて、貴重なものもある。
http://www.konishi.co.jp/html/fujiyama/konishibunko/budou/kendou/kikigaki_08.html

…昔のひとは、柔道もやれば剣道もやる、剣道もやれば水泳もやる……といったふうで、武芸十八般とはいかないまでも、いろいろとたしなみがあったのでしょうね。先だってはお話しするのを忘れておりましたが、業茂の時代、田辺又右衛門(註8)という柔道の先生か修武館の師範をなさっておられました。有名なかたです。たまたま「明治三拾四年一月四日修武館初會式」という案内状が出てまいりましたのでそれを眺めておりましたら、柔術田辺又右衛門先生が撃剣試合に、撃剣の富山可誠先生が柔術乱取りに、それぞれ両方に出場なさっています。柔道家だから柔道だけ、剣道家だから剣道だけというのではないのですね、古い先生がたは。


柳澤健は「西日本には講道館とは違う寝技中心の体系がある」という。
今後は、岡山など西日本の郷土史家と、格闘技マニアの接触・融合が必要になってくるのではないか、と感じた。
三角絞めの開発者・金光弥一兵衛で検索すると、まっさきに岡山の県立図書館が出てくる。
http://www.libnet.pref.okayama.jp/makane/display/culture17-1.htm


私なりにできることは、「はてなキーワード」に登録すること。
私が登録したガス灯柔術家は谷幸雄アド・サンテルだが、そこに加えることが出来た。