INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

冬休みのしゅくだい。何度目かのゆうきまさみ論

話はこういうことだ。
http://d.hatena.ne.jp/eg_2/20081227
に紹介されているように、

ゆうきまさみを特集している。80年代から90年代を駆け抜け、最前線で主力になったり、渋い脇役を務めたりした創作者が、ゼロ年代には何を語るか?という点は大きい。

さまざまな事情により、これについて語らにゃいかんのだが、けっこう私は時折思い出したようにゆうきまさみのことを書いている。
それを大きく統合しつつ、新しいものを付け加えなきゃいかん。

それも難しいので、まずかなり前の文章を。

(※とあるところで、ゆうきまさみを知らない人に作品の魅力を説明する、という流れになりました。それで箇条書きにした)

「あーる」(84−87)と「稲中卓球部」、あるいはモラトリアム共同体について

>僕のまわりの同年代の文系の子、
>文化会系クラブ活動やってた子は、かなりの割合で、『あ〜る』 読んでました。
・・・・(略)さんのお言葉通り、「あーる」は主人公がアンドロイドのSF?でありながら、或る意味でめちゃくちゃリアルなマンガでした。
小生現在20半ばですが、あの文化部的共同体のしょーもなさと楽しさをいささか経験しています。めざせ甲子園も青春なら、暑い夏を部室でみんな一緒にだらけるのも青春。
例の「終わりなき日常」をこういう風に生きることも出来るんだ、という感じです。
極端な話、サカキバラ少年が仮に、このような共同体に入っていればあんな犯罪は・・・これはこじつけですか。で、稲中卓球部と春風高校光画部って本質的に似ているんじゃないかなあ、と。違ってみえるのは掲載誌の性質上(笑)、というだけで。


パトレイバー」(88−93)と職業倫理(現場)

ええと、ロボットが警察に配属されている近未来の話ですが、確か最初の頃は主人公が「単なるロボット好き、ロボットが趣味」だったのが、回を追うに従って「社会の中で自分たちの役割をきちんと果たす、そのための頼れる相棒としてロボットに乗る」という風に変わってくる(「永久保存版」のHPにもこれに関係した文章あり)、その辺が見事でした。
オタクがオタクのまま社会性を持つ、という一つのあり方かな、と。敵にずっとゲーム感覚でロボット犯罪をする奴等がいまして、彼らの魅力と危うさもまたある一面をうまく描いています。


「じゃじゃ馬(94−)」と「「しっかりする」ということ」

一応エリートコースに乗っていた高校生が、競馬の世界に惹かれて牧場でダービー馬の生産を夢見て働く、という話ですが、シビアな牧場の世界(売れない走れない馬は「処分」)に主人公は何度も打ちのめされます。

だが牧場で働くということは、そういうシビアさを持ちつつ馬を愛することなんだ(手を汚しつつ理想を持つ)、というメッセージがあるんではないか、と。しかしこれ、(略)を資料に使ってるんじゃないかなあ。
それから主人公は気が弱くて優柔不断だが、「学校の勉強はできる」というのがすぐれて現代的な設定。

しかし作者のゆうきまさみ氏、何でも初期のオタクらしいが、その辺を自分のなかでどう消化して作品にいかしているのか。
というような点が、我々の世代がこの人の作品を気になるゆえんなのです。

うーむ、自分で読んでも説得力今ひとつ。だれかもうちょっと発展させてくれ。断っとくけどこんなハンパ分析とは別に、どれもすべてマンガとして読んで面白いっすからね。

まあ若い時分に書いたにしては、まあまあ、まとまっているわい。ここから今回の特集を資料に、発展できるかどうか。
あとひとつの難題があって、これももう何回か、ひとことだけ書いたけど、今ゆうきまさみを最初から論じ、そこで「究極超人あ〜る」を語るなら、「涼宮ハルヒ」シリーズと対比させなきゃならんだろー(正確に言うと主人公と、鳥坂さんだな)、と思っている。
だが、私はこの対比論をすべて「ハルヒ」の内容に対する伝聞(プラス漫画喫茶で読んだ漫画版1巻)に負っている。つまりハルヒって全然読んだことが無い(笑)。いやあ人気あるらしくて、図書館でこのシリーズが貸し出し中じゃないことが無くてさ。
ま、ここまで手を広げるのはやっぱり無理ね。
どこか「あ〜る」と「ハルヒ」の対比論があるところがあれば教えてください。(つうかその対比論が成り立つなんてのも俺の勝手な思い込みだが)