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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

トルコの政教分離裁判、与党AKP解党まぬがれる。”ケマルの共和国”は第二革命を成し遂げられるか

http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2008/08/no_338.html

NO・1096憲法裁判所はトルコ与党を解党せず

 トルコの憲法裁判所が、与党AKPを解散させるのではないか、と懸念されていたが、結果は、政党交付金を半額に減らすなどの、軽いペナルテイだけで許した。それはこれまでも述べてきたように、AKPの国民からの支持が強かったことが、原因のひとつであろう。
 加えて、せっかくAKPが進めてきた経済改革が破綻し、トルコの経済が破滅的な状態になることを、憲法裁判所も懸念したからであろう。加えて、AKPの率いるトルコに、信頼を寄せているアメリカやEU諸国の立場も、影響した・・・・・・・

とはいえ、司法の場でもこの判断はギリギリだったそうです。たった一人の差。

http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/080731/mds0807311110002-n1.htm

解党には11人の判事のうち7人の賛成が必要だったが、審理では6人が解党に賛成、4人が財政的な制裁にとどめるべきだとし、解党にも制裁にも反対したのは1人だった。クルチュ裁判長は解党には反対し、制裁を支持したが、同裁判長はアンカラでの記者会見で、「制裁はAKPへの重大な警告だ」と指摘。世俗主義派がAKPに対して抱く不信感が根強いことを浮き彫りにした。


まあ、非常にこれは難しい。日本では同種の問題はよくも悪くもおそらくおきにくいから、想像をたくましくするしかないのだが、結局イスラームが宗教の中でも非常に、人々の日常生活や活動を規定している以上、例えば今の日本のような状態、ヨーロッパのような状態にそのまましていればじわじわと政治も社会も行政もイスラムの色に染まってしまう。それを防ぐには、逆に強引だったり個々人の自由を制限する(例:スカーフ着用禁止)形になっても、強権的な政教分離をがっちりやり続けるしかないんだ・・・とトルコ世俗派が考えていることにも応分の理があろう。
というか、イスラーム圏でこういう政教分離体制を作り、守っている国がトルコ以外ないのでなんとも言い様が無いのだ(イラク、シリアはバース党の下、比較的政教分離的だったが)。
ただ、世俗派がそのまま体制化し、腐敗が起きた時に野党をまとめあげるひとつの求心力としてイスラム教徒が団結し、その中のエリートがある程度の自制をしながら慎重に政権運営をするのなら、これもまたトルコでしか出来ないひとつの成果だといえる。
実際にAKPの一番の功績は経済の安定だと言われている(トルコ株に投資した人は最近おおもうけしたらしい)。そもそも、過激にも取れる政教分離主義が一方にあるからこそトルコの原理主義もこの程度でおさまっているかもしれないわけで、そういう目に見えない、「対立がそのまま協力」になっている部分というのもあるのだろう。


この奇跡的ともいえる、「イスラムの海に浮かぶ、政教分離の島」トルコを作り出したのが、啓蒙専制大統領(俺の造語です)ケマル・パシャケマル・アタチュルク)であるという話は何度かサワリだけ紹介したことがあります。

この傑物の偉大さ、功績はいまさら私の書くことでは無いが(と言いつついつか書くかも)しかし約90年を経て、トルコは次の段階に進んでもいいんじゃないか…と部外者は思う。
平成19年10-11月?ごろに産経新聞で「トルコ 静かな革命」という企画連載があり、その中の第四回(2007、11.26)に「第二共和制主義」という記事があった。


1991年1月、イスタンブール大のメフメト・アルタン教授が12人の賛同者とともに発表した。
「アタチュルクによって作られた国家による国民支配を逆転させ、国民が国を支配する変化をもたらす」として、EU統合を推進するという。AKPも野党時代(前の「福祉党」時代)にはEU加盟なんて無意味、と言っていたが態度を180度変えたのだという。


というのは…ここが実に矛盾に満ちた面白さなのだが
・トルコで「スカーフ着用が政教分離に反する」として大学から追放されたイスラム系女子は欧州留学に高等教育の場を求めた。
・そしたらヨーロッパでは、大学でのスカーフもいっさい問題にならなかった
・民主主義価値観とイスラムは矛盾しない!と自信を深める原理主義
EUは「軍隊の政治介入反対」「人権擁護」を徹底しているので、政教分離の守護者としてイザという時はクーデターを起こせる(と憲法に書いてあるらしい。未確認だが)軍隊や、歴史的背景を抜きに観れば抑圧になるかもしれない強固な世俗主義を牽制する側に回り得る。(今回のAKP解党回避もEUは歓迎)
・これらの見地からEUとトルコのイスラム派は、奇妙な同盟を結んでいる



いったん強固なカリスマ指導者が、強権的にでも旧体制を破壊し、近代化の基礎をつくる。
その後継者は、その強権を徐々に少なくし、軟着陸する・・・・・というと台湾や韓国的な形でもあろうし、銀英伝では成功したかしないかは不明だが、改革派貴族で自ら”フォン”の称号を取り外したカール・ブラッケという名脇役もいました。
はい、こんな奴を覚えていたら、君は少数派です(笑)



「ケマルの共和国」が次の段階に進むべきだというのはもうひとつあって、

銅像めぐり旅―ニッポン薀蓄紀行 (祥伝社文庫)

銅像めぐり旅―ニッポン薀蓄紀行 (祥伝社文庫)


という本があります。パロディ作家清水義範の紀行エッセイだが、こんな一節がある。

わたしはトルコ各地を観光したことがあるのだが、そのいろんな町で銅像をみた。それでもって、そのすべてが建国の父、ケマル・アタチュルクの像だった。どこにあろうが、とにかく銅像があったら、もれなくアタチュルクなのだ。

として、トルコではこういう「銅像めぐり旅」はできない、というふうにつなげている。
おまけに

トルコの紙幣には5万リラ札も10万リラ札も50万リラ札も百万リラ札も500万リラ札(その後トルコではデノミが行われ、今はそんな高額紙幣は無い)もすべて、アタチュルクの像が描かれている

というのだ。
実際に偉人としてのアタチュルク評価とは別に、彼の「神格化」はやはり問題で、彼の功罪を冷静に論議したり研究したりする雰囲気ではないようだ。
日本で無理やり彼に当てはめるとしたら…仮に大久保利通としよう。いくら明治国家建国、近代国家成立の偉人であったとしてもあの町この街すべて大久保像で、お札もすべて大久保の肖像で、西郷隆盛と大久保どちらが偉大か?とか、萩の乱の措置や台湾出兵はおかしくないか?というような議論がすべて封じられる社会だったら、それは息が詰まるだろう。
もちろん、日本の宗教勢力が織田、豊臣、徳川の三代以降完璧に牙を抜かれたかれこそ「トルコのジレンマ」を知らずに済んでいるという面もあるので、お坊ちゃんが理想論を言うような部分もあるかもしれない。


ただケマル・アタチュルクの革命は、実は自らが乗り越えられてこそ完成するのではないか。
そう感じた、今回の騒動でした。


トルコについては面白いので今後も書くことがいくつかある。
ただ、同国へ行ったことないんだけどね(笑)