NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/
7月20日(日) 午後9時〜9時49分 総合
インドの衝撃
第1回 “貧困層”を狙え 〜過熱する超低価格ビジネス〜7億人が貧しい農村で暮らすインド。その農村に世界から巨大企業が進出、新たなビジネスを展開、大きな利益を上げている。貧困層こそ成長市場という企業戦略を追う。
7月21日(月) 午後10時〜10時49分 総合
インドの衝撃
第2回 上陸 インド流ビジネス 〜日本を狙う“製薬大国”〜世界で最もタフな交渉力を持つというインド流ビジネスが、日本に本格的に上陸し始めた。インドメーカーが続々進出する製薬業界を舞台に、そのビジネス手法の実態に迫る。
西原理恵子が夫の故鴨ちゃんとともにタイで生活した日々の記録が収録されているのが「できるかな」。
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 1998/01/01
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (31件) を見る
基本的には、いかにタイの日常がいい加減であるかをギャグに誇張して描くのだが、そこでかの黒潮文化、関西文化の末裔たるサイバラりえぞうにしてから、タイ人ののんきさ、いい加減さ、いきあたりばったりさにイライラし、華僑のゴーインな商売にしてやられてほぞをかむのである。
しかし、その華僑の上に立つラスボスとして君臨するのがインド人だと。
それぞれの得意技、必殺技が何かと言うのは実物を参照してほしい。
民族性をステロタイプ化して遊ぶのは話題の「ヘタリア」も含めて楽しい半面、危険なものだけど、「民族性なんて無いんですよ」というのも逆に危険だし、失礼だったりする。その微妙さをわきまえつつ読むと大変楽しいレポだ。
インド人は商売が上手いのか、どうか。
司馬遼太郎はかつて、おおざっぱにいうと「アジアにはインド文明圏と中国文明圏がある。ふたつを比較すると前者は思弁的、哲学的、形而上的で、後者は計算的、実務的、形而下的である。この二つが”経済”で闘うとほぼ全面的に後者が圧倒する。中国人はベトナム人を、ベトナム人はカンボジア人を経済的に圧倒し、「彼らは怠け者だ」という目で見る」
と語っている。(「人間の」集団について」など)
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/09/18
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
司馬は公式には、この二つは文明の形の違いであり、優劣は無いとするが、心情的には合理性を尊ぶ近代主義者の司馬は、圧倒的に中国文明のほうが好きだった。公開を想定していない私信が、死後にまとめられたのだが(笑)、そこでは遠慮なく、このインド文明のスタイルを
「□□同然のあほう」
と書き残し、そのまとめた書簡集の中ですら伏字になっちゃっているのだ(爆笑)
これ、以前書いています。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20041120#p3
■[歴史][読書]司馬遼太郎のインド文明蔑視???について
ベトナムはなかなか面白うございました、あのインドシナ半島に安南山脈が
南北にありまして、その西側がラオス カンボジアで、これはインド文明圏
であります。インド文明というのは人間も社会も大停頓させるものらしく、
一言にいってこの両国民は■■同然のあほうにして、一目で分かります。シナ文明圏はベトナムのみにて、インド文明とはちがい、思想が哲学や瞑想的
世界にならず、多分に知識的なものにとどまったことが、西欧的なものに転換
したり(日本)あるいは異常事態に対応することに機敏(ベトナム)だったの
でしょうか。日本はインド文明そのものにならずにすんでよかったと思います・・・・
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1998/03/26
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
たぶん、この見立て自体はそれはそれで正しいのだろう。
では「印僑」のパワーは何か。
私はそれこそ、彼こそが「□□□同然のあほう」じゃないかと思っている渡部昇一だが、彼の主張で関心させられたことが総計3つぐらいあって。そのひとつが、
「インド人は経済を知らない、哲学的な思索はできても実務ができないと英国植民地時代によく言われた。だが南アフリカやXXX(忘れた)でも、経済を握っているのはインド系の商人で、実によく働き、経済マインドにあふれている。要は「文化」でも「民族性」でもない、「体制」こそが問題なのだ」
といったたぐいの論考だった。
これはある一面で、そうなのだろうなあと思う。
・・・・・のついでに、インドでもシーク教徒とかジャイナ教徒とかが商売にいそしみ、成功して、そして海外にネットワークを広げるから、そっちの関連なのかもしれない。
ジャイナ教は徹底した不殺生だから猟師にも農家にもなれず(畑を耕す時に虫を折衝するからだって)、商売しかやれないからとうぜん熱心になるらしい。
また一般論としては、金貸しとか、そもそも「同じ商品をこっちからあっちにもっていって仕入れ値より高く売る」こと自体を卑しいし職業だと見なす文明も多く、そこに被差別民族や階級が携わることで結果的に彼らがその業界を制覇、そして「●●人は商売が上手い」というイメージができることもままある。
これは井沢元彦「逆説の日本史」シリーズのどこかでも、なんどか取り上げられたはず。
貧困層を相手に儲けよう≒貧困層にも便利な暮らしを提供しよう
上の西原話はNスペの「第二回」のほうで、これは「第一回」の関連です。
子どもの頃、アフリカやなんかでラジオや携帯電話やインターネットが普及し始めている、とかいう話を聞くたびに「みなが満足に食えてないときに、そういうものが普及してもなあ。あっちの金持ち層だけが消費文明を満喫して、貧困層は置いてけぼりかね」
とか、高みにたって憂いていたのだが、とんでもない、こういう機材こそが貧しさからの脱却なのだった。
というか貧しいにしても、相対性が変わらないにしても生活の質を格段にあげるのだった。このへんは貧困層を憂えるようでいて、それはサロン的な同情で、当事者性が無いからこそ誤解していたのだろう。
グラミンフォンですね、貧困に最新技術がもたらす福音の典型は。
□グラミンフォンが営利事業として成立する理由
http://d.hatena.ne.jp/essa/20071128/1196210713
そもそもグローバル化とIT革命のすごいところは、なんだっけムーアの法則か、ことIT、情報機器においては、馬鹿みたいに同じ機能のものが年を追うごとに安くなっていくことにある。そして後発国はインフラ整備のときに、最初から低コスト高機能のものを敷設することもできる。
貧困層がいろんな電子機器をもてたり、世界的なチェーン店がスラムに進出してで買い物ができたりするのは、やはりプラスなのではないか、いろいろと功罪をひっくるめた総計として。
そんな問題意識を持ちながら、NHKスペシャルを見てみたい。
あ、TBSの地上波ではDREAMやっているだろうけど、おれはPPVだからさ(笑)