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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「政治に関心持たず済む国は良い国」(麻生発言)で「阿Qと鼓腹撃壌、そして国民国家」の話を思い出す(司馬遼太郎「明治という国家」)

「政治に関心持たず生きていける国は良い国です」自民・麻生太郎

自民党麻生太郎副総裁(発言録)
 昭和30年11月、自由党民主党が合併してできたのが自由民主党。それ以来ずっと我々は安全保障や防衛の問題をやってきた。普通の生活をしている時に、安全保障や防衛を考える機会はあまりない。それは良いことなんですよ。

 したり顔で、「(安全保障について)考えない方が悪い」という人がよくいるが、それは世の中が分かっていない。今、アフガニスタンやシリアやイラクに生まれたとしたら、間違いなく安全保障について考える。いきなり地雷が爆発するようなところに住んでりゃ。みなさん方はそういうことに関係のない国、日本に生まれた。だから考えなくて良いというのは良いことなんですよ。

 「政治に関心がないのはけしからん」とえらそうに言う人もいる。しかし政治に関心を持たなくても生きていけるというのは良い国です。考えなきゃ生きていけない国のほうがよほど問題なんだ。

www.asahi.com

これを議論する中で、「鼓腹撃壌」という故事成語が使われることがあった


dictionary.goo.ne.jp

老人有り、哺(ほ)を含み腹を鼓(こ)し、壌(つち)を撃ちて歌ひて曰はく、

「日出而作、日入而息。
 鑿井而飲、耕田食。
 帝力何有於我哉。]



「日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)ふ。
 井(せい)を鑿(うが)ちて飲み、田を耕して食らふ。
 帝力何ぞ我に有らんや。」と。
https://manapedia.jp/text/1995

そんで、司馬遼太郎は、これに関連して、国民国家について語ったことがある。あとから見れば後期の作品に属するか、語り下ろし形式(もとはNHKの番組だ)「『明治』という国家」だ。



麻生太郎の言うような「政治に関心を持たない層」とつなげるのはこちらの推論だが、司馬遼太郎は恐らくそういう概念のもとに、明治時代…近代以前の、政治的関心を持たないし、そんな権利もそもそもない人々をこう語る。
それは「阿Q」だと。

…そういう(※政治に無関心で国民意識有権者意識のない)ひとびとこそ真の人民だという言い方もできますし、ちょっと皮肉っぽくいえば、そのひとびとこそ、アジア的現実そのものだということもいえます。当時の清国の上海にゆけば、たくさん見ることができたはずです。近代中国の作家魯迅(一八八一~一九三六)が『阿Q正伝』(一九二二年)に書いた阿Qのことです。阿Qは、明治初年の日本にもたくさんいました。私は若いころ、阿Qにあこがれていまして、いまもその気分が体の中にあります。国家と国民道徳からほど遠い阿Qこそ、千古の民であり、その意味では、国家意識のつよい知識人よりも、人間という普遍的な存在であります。すくなくとも、アジア的普遍性のなかに生きていました。しかし、知識人にとっては、法による“国民国家"という高級なものをつくりあげようとする場合、かれらを高級でないと見、かれらをどうすべきかということで不安だったのです。そういう余計な心配を、福沢諭吉でさえ苦にして、かれらを一人前に仕上げるには三代かかるだろう、といったりしました。もっとも福沢は、阿Q的存在をささず、”百姓町人"といっています。私のような後世の者には―そして百姓の子孫である私には――この時代の"百姓町人"はどうみてもりっぱなものだと思うのですが、その時代を生きた侍あがりの福沢諭吉の目からみれば、どうやら落第だったようです。まして阿Qにおいてをや、ということになります。

司馬遼太郎が考えた「鼓腹撃壌」と阿Q(「明治」という国家)

数千年、この日本列島に住んできたひとびとにとって、それ(※大日本帝国憲法制定)までは、自然国家の住民でした。そのことを、ニヒリズムの目からみれば、たれも頼んでやしない"とか『よけいなお節介』とかいうことになりますが、この時代、進歩とはいいことだ、という思想が、世界じゅうをおおっていて、日本のひとびとも、うたがいもなくその世界思潮の中にいました。よろこぶのは当然だったでしょう。
憲法施行以後は、国家と一体感をもち、国家の運命を自分できめうる立場をもつという存在になれるのです。それが憲法下の国民というものです。人は、たれでも、多量か少量かはべつにして、ニヒリズムという苦味を持っています。私にもあります。そういうニヒリズムの目からみれば、「よけいなお世話だ」とか,「たれも頼んでいなかったのに」ということはいえます。また、たれもが、”阿Q”の部分をもっています。古代以来、この島に住んできた太古の民としての部分です。中国の古典の『十八史略』にあるじゃありませんか。古代の伝説の帝王堯というのは、理想的な君主でした。が、百姓たちにとってそんな者は関係ない、という思想です。おれたちは、太陽が昇れば耕作し、太陽が沈めば休息をし、水は井戸を掘って飲み、みずから育てた穀物を食って生きている。だから、「帝力何ぞ我にあらんや」政治などは関係ないんだ。これはむしろ政治への最大の讃美でした。。民にとって政治は意識にものぼらないというのが理想の政治だ、という古代思想です。この古代思想からみれば、民は阿Q"でいいんです。
右の堯と民の関係は、すばらしい詩的情景で、人間は”阿Q”でありつづけることこそ至福だともいえます。結局は、これは羊飼という為政者と羊という阿Q"の関係になります。古い時代の中国では、政治をすることを、「牧民」といっていました。民ヲ牧スル。民とは、家畜のことです。帝力何ぞ我にあらんや、は、羊としての歌であります。
近代は、シンドイのです。


近代は、そうはいかなくなったのです。

ありあまる商品を、世界じゅうの古代的な羊たちに売りつけることで、古代以来保ちつづけてきた"後進国"の国境の観念がかわりました。その結果、富は列強にかたより、帝王と阿Q"だけの二元構造の国々は、いよいよ貧しくなったばかりか、古代的な政治形態や暮らしのあり方までが変りました。当時のインドをご想像ください。英国の商品はインドを支配しただけでなく、英国は軍事力をもってインドという市場をまもり、ついにはこれを植民地にし、さらにはべつの帝王と阿Qの国、である中国にも手をのばしました。その段階で、日本は戦慄し、幕末の騒乱がおこり、明治維新がおこったのです。そして、羊もしくは阿Q"である段階からひきあがって、国民国家ができ、その仕上げとして憲法が施行されたのです。ベルツ博士の場合は冷笑するだけでいいのですが、日本人としてはそれどころではなかったのです。
ということで、私の中の阿Q"や、私の中のニヒリズムおまた、ここでちょっと首をひっこめざるをえません。当時は、十九世紀なのです。すでにのべたように、進歩はすばらしい。という信仰が、世界の先進国の知識層をおおっていた時代なのです。それに、十九世紀の先進国は、国家そのものが、巨大な商業体でもありました。その商業は、軍艦をもち、武装をともなっています。そして、それら先進国の国内においては、一国が、法のもとに整然と管理されていました。そういう国が進歩せる国家形態』とおもわれていました。日本という羊の国が、羊だけの力で、なんとかそれに似た国をつくりあげようとしたのが、一八八九(明治二十二)年の憲法発布でした。いまからちょうど百年とすこし前になります。


まったく余談というか、ここに書いておかないと忘れ去られてしまうと思うが、当時噂の真相サンデー毎日に連載を持っていた時代小説中心の文芸評論家…何とかといったな、名前を思い出せない……隆慶一郎を高く評価するしたりする文芸評論家が「帝力何ぞ我にあらんや」は結局は阿Qである、という司馬の論を、『それは違う』と反発したな。

噂の真相」なら、麻生的な意見に異議を唱える司馬の論に何で反発するの?という人もいるだろうが、これは思想的に必然のねじれで、反体制が「アナーキズム」的色彩を帯びれば、「帝力何ぞ我にあらんや」という考え方は独立独歩の、もっともラディカルな”反体制”となる…てか、そういうふいんきで選挙に棄権をしてきたゼンキョートー世代とか、けっしてひとりふたりじゃない。そういう点でくだんの、名前を思い出せない文芸評論家は「「帝力何ぞ我にあらんや」は結局阿Qの思想である」という司馬の論に反発したのだった。
この評論家は、その後数年ぐらいで、かなり若くして亡くなった、と記憶している。