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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

鈴木邦男氏「靖国」上映中止問題で「煽った奴に責任がある」の主張を公式に撤回。

http://kunyon.com/shucho/080414.html

又、週刊誌に対しても、「何を書いてもいい。でも、不必要に右翼を煽らないでくれ」と言った。「じゃ、“言論の自由”への干渉ではないか」と言われ、その言葉は撤回した。情けない。確かに、何を書いても自由だ。記事を見て、「煽ってる」と思い、行動する人間が悪い。つまり、これは私も含めて、「右翼の問題」だ。「それは、そっちが解決することだろう」と言われたら、一言もない


私はhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080403#p4
■「靖国」上映館中止問題…権利や自由の欠如ではない、複数の権利と自由が重なると、かくなるのだ

で、小見出しを取ってこう書いた。

「それは皆を萎縮させる」と、萎縮させるというパラドックス

(略)・・・映画館の態度とも関係するのだが「無形の圧力」とか「意図するとしないとに関わらず圧力」と批判し、そういうこをとやるなと命じるのは、結局は法や実体の裏づけが無い以上、「遠慮しろ」という形で本来自由な、少なくとも「やってはいけない」と明記されていないことを制限するという点では、逆に自由や権利にとっての脅威となり得るんだよ。
だいたい「無言の圧力を感じる」というのは、たやすく新聞記者やテレビ局の「取材」「記事掲載」というものにも敷衍できる。あれは実際、被取材者にとっては相当の「無言の圧力」だろう。
あとで「それとこれとは違う」と言っても遅い。

(略)
というかね、週刊新潮記者でもいいや、一期限りは恐らく確実の(笑)稲田朋美議員でもいいや。
「こんな事実を知った。批判(&調査・取材)したいんだけどな。でもやると街宣右翼が(彼らに対して)騒ぐからな。批判(調査・取材)は控えよう」
こんな心の動きで自粛したら、右翼の影響を予想することによって行動を規制されるという点では、映画館の上映中止となんら変わらないではないか(爆笑)。

さかのぼって2006年に、東京新聞で同氏が、同趣旨の暴論を語った際にも触れた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061228#p3
週刊金曜日が謝罪。「社長・佐高信氏はメディアに虚偽説明した」と認める内容

もうひとつ、この話で印象に残ったのは

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061219/mng_____tokuho__000.shtml

における鈴木邦男氏のコメント。

新右翼団体・一水会顧問の鈴木邦男氏は「週刊新潮が一番悪い。抗議した右翼の話を間接的に聞くと『あそこまで書かれてしまったら、やらざるを得ない』ということだった」とメディアの責任に言及する。

唖然。

いったい何をどうしたら「週刊新潮が一番悪い」ことになるのか。隠された事実を暴き、当事者たちに取材し、自分のスタンスで批判する。それは、この報道があったほうがいいのか、無かったほうがいいのかと考えるだけで分かることだ。

沈黙の螺旋ってやつですか。

東京新聞のこの記事は、書き方にかなり主観を交えることができるコーナーなのだが、記事の中で特報部がこの鈴木邦男の放言、妄言、暴言を批判していないのも腑に落ちないな。


今回、鈴木氏が主張を撤回したのは、だれか直接反論を聞いてそれに納得されたからだそうで、別にこのブログとは関係ない。だが、結果的に当方の指摘とほぼ同じ趣旨に考えを改めていただいたのは喜ばしいことである。

また、言論人の面子を保つには「発言撤回」なんて事実をその場限りで隠してしまえばほぼバレなかっただろうに、わざわざ公にした鈴木氏の誠実さにあらためて脱帽する。



敷衍してひとつ書き加えておくと、右翼はこういう思想系の問題にもよく登場するが、特に地方の田舎右翼なんかでは、街宣行動の大義名分にするのは廃棄物処分場などの環境問題や、役場の小さな公共工事の入札に関する不正、談合の話題だったりする(任侠右翼−暴力団−建設業者や処分業者のラインでも、メディア報道を補強する情報が入ってきやすいのだろう)。
じゃあ、これらの問題に関しても「記事をきっかけに右翼が街宣を彼らに行うかもしれない。不必要に煽るような記事を書くべきではない」とするべきかといえば違うだろう。