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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

柔術分裂劇の裏に見えるヒクソンの影・・・そして思想的な課題とは(帯ギュの話も)

また万の言葉を用いてDREAMのズンドコぶりをののしってもいいのだが、あえて今回は”通好み”な話題を。


まず、日本において柔術の組織が分裂してしまいました。
片方は、ウマイヤ家を含む伝統的なカリフの権威を認めるスンニ派、もう片方は四代目アリーからのカリフは認めないシーア派です・・・・・(笑) って、ネタである様でいてネタじゃない。

実際のとこ、今度旗揚げした全日本柔術連盟(JJFJ)というのは、渡辺孝真氏が理事長なのだが「これはヒクソン・グレイシーの意思なんです」というのを錦の御旗にして乱を起こしたのだ。


宮さん宮さん
お馬の前に ひらひらするのは なんじゃいな
あれは 柔術改革せよとの
ヒクソンの御旗じゃ しらないか
トコトンヤレ トンヤレナ


てな感じだ。
しかしまあ、日本では、1993年にホイス・グレイシーUFCで魔法のような技術を見せた「黒船到来」からよーイドンで柔術が導入されたはずなのに、15年で分裂ですよ。いや15年あれば、こういういさかい(諍いではないとのことだが)が起きるのには十分な時間なのかもしれないな。あっ、ほんとの黒船来航から明治維新までも15年だ。(1853年→1868年)


現在、日本で一番大きい組織は中井祐樹氏が会長の日本ブラジリアン柔術連盟(BJJFJ)なのだそうで、こちらは「複数の連盟があっても何も問題は無い。逆に何が問題なのか教えてほしいぐらいだ」と静観の構え、生徒も自由にJJFJに出られるそうだ。
もともと日本の柔術道場は、実は本場ブラジルよりオープンで、あっちのほうこそ「あの道場はXXの系譜だから」といって出稽古とかできないらしい。それを反面教師とし、自由な気風を作ったのがセンセイ・ナカイだとのことだ。


さてまあとにかく。みんななかよく。


と部外者としてはいいたいのだけれど、ただ渡辺氏へのGONKAKUでのインタビューでは、ううむと考えさせられる思想的な問題がある。
[rakuten:book:12855806:detail]

問題はサークルでやっている人たちが、試合だけポンと出て勝って、そこで連盟が帯をあげてしまったこと。ここで狂ってしまう。なぜかというと、今までしっかりと柔術を学んだこともなければ先生もいない。系列が無いんです。それなのに試合に出て勝って紫帯になり、黒帯までもらってしまったらこれは大きな問題です。この練習生たちは本物の柔術を覚えていない、系列が途切れてしまっているからです。
(略)
ちゃんとした正しいベースがないと、ある程度のところから上にはいけない。だってグレイシーたちは80年間研究を重ねて、今はみんなにノウハウを渡せるんですから。今の日本は近道を行っているようで遠回りしていると思います。


古武道とか伝統の芸、技術というものに対してしばしば投げかけられる話ではありますが、つまり大会、試合というのは、長年教え続けられた「その流派」の教え、技術体系、また道とか品格とか暗黙の了解を含めて――を確認するための手段なのか、それとも最低限のルールの中で何でもやれる「場」=自由なる市場、なのかという問題でもある。


実は作品紹介、もしくは「架空名勝負列伝」ともいうべきシリーズを作りたいと思って保存したデータだが、いい機会なのでついでに紹介しよう。



技術論をドラマに組み込むことでは新鋭・ひぐちアサすらまだまだ及ばない第一人者(柔道、ラジコン、競艇、書道なんでもござれ)河合克敏の「帯をギュッとね!」では、高校の都合で中学までやっていたレスリングができず「じゃあ柔道の中でレスリングの強さを見せてやる!」と、たった一人で異種格闘技戦に挑む長谷という選手が出てくる。
これと主人公の側(軽量級の、なんつったかな?コメディ担当の脇役だ【補足】指摘あり、宮崎茂)の試合が、30巻に及ぶシリーズの中でも屈指の名勝負となっている。
アマレス野郎長谷がレッグダイブ(両足タックル)、巻き込み一本背負い、がぶりからのパンケーキ、とトリッキーかつ柔道ルールで合法的なレスリング技を出せば、名前忘れたチビの脇役(※宮崎茂)は巴投げ、絞め技など、アマレスでは見られない技で対抗する。その結末も含め大変スリリングでドラマチックだ。

えーとね、何巻だったかな?
今、書店にあるのは文庫版だろうが、コミックス版はちょうど一巻で、この巻だけ読んでもらってもいいんだよな。
古本屋で探してみてください、表紙が長谷だ。17巻だったか22巻だったか・・・


本題に戻る。
ところが長谷のレスリングなんかと比べちゃ失礼な私とかの柔道ですら、双手がりとか下から十字とか、そういうことをやっていると年配の、町公民館でボランティア指導してくれているような年配の方から「品の無い柔道である」と説教をいただく。
たしかに嘉納先生の理想では無いだろうな。


しかしルールの範囲で、他の文化、異種の競技の技術が入り、それが席巻するということで、それが最後には自流派に取り込まれ、競技が完成されていくこともままあることだ(三角締めだって金光弥一兵衛らの一派が開発した)。
松原隆一郎教授はかつて「講道館の柔道(ルール)は、異なる各種の柔術流派が強さを競える『異種格闘技の場』としても歓迎された」と指摘した。つまりは明治のPRIDE、K-1・・・いわば「J-1グランプリ」だったわけだ。


今の柔術界はそこからさらに一歩進んで(というべきだろうか?ここが争点なのだが)上の渡辺コメントにあるように、今まで日本では、大会で勝つとそれが柔道の技術だろうがレスリングやサンボの技ですら黒帯がもらえる(もらえた)ようなのだ。
「バキ」でも翻案されたが、日本のボディビルの開祖といえる若木竹丸は講道館の猛者を、技術も何もなくポンポン投げ飛ばし「五段になるには何人四段を投げ飛ばせばいいのか?」と聞いた(当然ダメだったようだが)という。



しかし、目先の大会に勝とうが負けようが、先人の考えた知恵を繋げていき、保存するということこそが重要で、古い教えを師から受け継ぐ意味であるという考え方もある。これは「拳児」台湾編でムエタイなどを取り入れようとした男が悪役扱い(モデルは何とフルコンタクトKARATEの山田英司氏)されているのが印象深い。
剣道でも、「龍」に出てきた戦前の武専は「面だけを狙いなさい、面さえ打てれば後はどこでも打てる」などの独自の教えがあり、実は大会では振るわなかったそうだ。それでも教える側が「試合と本当の剣は違うのだよ」と悠然たるものだったとか。
(1巻から3巻ぐらいだったかな?)
[rakuten:ubook:10402428:detail]

実際、バス・ルッテンパンクラスUFCの実績を引っさげてビバリーヒルズのセレブを相手にジムを開き繁盛しているのだが、須藤元気によると「ルッテンの腕十字や足関節の取り方は、彼ならではの瞬発力、パワーによるものでアレを教えられても真似できない(笑)」というのだ。


松原氏は例えば、柔道において「国際ルールはあらゆる技術を争う自由な場。日本柔道は、講道館が考える伝統の美というものに沿った、日本ならではのルールや技術体系で大会を開くと使い分ければいい。日本柔道のキレ重視などは実際に、世界に対抗する技術として有効なのだから結果的に国際大会でも生きる」としていた。

ここにもヒントがあるかもしれない。