「靖国」上映禁止問題。昨日から書いているが、昨日のエントリの「時系列」の部分で、少し実もふたも無いとこから、即物的な解決策を考えよう。
その前に「稲田朋美」と書いておくと関心のある人が
読んでくれるので無理やり入れておく(笑)
さて本題。
単純である。
なぜ映画館が上映を中止するか。おそらくまっとうな批判や抗議に目からうろこがおち、反省改心いたしましたということではなく、街宣車に代表される、論理や説得力でなく単純に「うるさい」「迷惑」という力に対抗しにくいから、ということが挙げられるだろう。
なぜ右翼は街宣車を使うのか。
(1)それは相手が「煩い」とか「やかましい」とか「怖い」と感じてるだけだとしても、外形的には「私たちは彼らへの『適切な批判』を、言論という形で皆さんや相手に訴えているのだ」「普通のデモみたいなもんです」「要求を受け入れた(例えば上映中止した)のは、私たちの訴えに納得してくれたのだろう」と主張できるからだ。
(2)あと物理的に、騒音という武器は銃刀法やら凶器準備集合罪やらにひっかからない、そして建物に立てこもった相手にも遠く届く、日本ではめずらしい使い勝手のいい武器だからだ。
=============================
鈴木邦男氏が−−相変わらず論理は雑駁だが誠実に考える人だ−−こううことを書いている。
http://kunyon.com/shucho/index.html
・・・街宣車を〈武器〉として使うことには反対だ。
日教組の大会が潰された。映画上映が中止になった。これは右翼の〈思想〉が伝わり、〈思想〉に納得してやめたのではない。右翼はうるさい。何をやるか分からない。お客の迷惑になる…という理由でやめたのだ。
私も推薦文を書いた 逆の面から言うと、それだけ街宣車は〈武器〉としては強力だし、効果が大きいのだ。〈思想〉を訴えても、なかなか伝わらないが、大音量で押しかけたら、皆、震え上がる。恐がる。〈武器〉としては強力だ。だから、皆、使いたがる。
刀狩りの時代から、武器を取り上げるのこそ一番のかなめだ。
俺もそこで、相当乱暴に細部を詰めないまま言ってしまうが、とりあえず、いわゆる右翼の街宣車的なもので、一番の武器・・・つまりスピーカーを取り上げてみてはどうか。車にいわゆるメガホンのスピーカーをつけること、そこから音を流すことを基本的に禁止する。
これは映画館の立場で想像する話だが、他の抗議(いやがらせ)が残っても、とりあえず街宣車のスピーカーから流れる音と声がなければ、少なくとも上映を辞めようとまでは思わなかったんじゃなかろうか。
もちろんいろいろ問題はある。カーステレオを大音量で流すのと同じような形では?車がなければ歩いてスピーカー(ハンドメガホン)で街宣するのでは?
いろいろありますが、まあこのへんは技術的に対応できるでしょう。
選挙は?これはまあ今でもやっているように、そういう人には逆に特別に、彼らだけに許可を与えればいい。
そしてさらに、こんな疑問もあるだろう。
「ちり紙交換」「たけやさおだけ」「いよいよ来週この町に最強レスラーたちがやってくる!」「新台設置、大開放で新装開店!」
こういう罪の無い生活音、
そして例えばイラク反戦とか格差是正を訴えるサウンドデモ…たとえば拉致問題解決を目指す家族会の街頭での訴えも?キリストへの帰依を進める説法も?
それも全部、車からスピーカーで訴えたらアウトか?
うん、それらを含めてもだ。これも右翼と同様、徒歩でメガホンを使うならいいとしてもいい。(それでもまだダメなら車だろうと徒歩だろうとメガホンを公共の場では使えないとしてもいい)
すべてはリスクとベネフィットの相関であり、逆に言えば社会がどれぐらいの犠牲を払って、右翼の街宣車というものを排除したいかということだ。
そして結局、映画館もホテルも、思想がどうのこうのというより「騒音がうるさい」という即物的な部分しか気にしてないことが、おそらくもしこれが実現すれば分かると思う。
「話し合い」「要望・要求」のルールは受け手側が一方的に設定せよ
あと、上映中止を求める右翼が、映画館経営陣に「話し合い」を要求する例もすでにあると聞く。
で、ここで映画館側にやってほしいのは、そりゃ映画館へのご意見を聞くことは必要な場合もあると思うが・・・たとえば「上映中止や上映延期の要望は全てメールのみでお寄せ下さい。面会要求はあらかじめお断りします」と宣言することだ。複数の上映館が一斉に宣言してもいい。
直接会うことによる威圧感というのも、相手がもし主観的には紳士的に話し合いをしたと考えてももあるだろう。
しかし、面会やら面談、話し合いというのも相手が要望するなら、そのルールの設定をまずは手放さないことだ。
そして、それは例えば”反動映画”たる「プライド 真実の瞬間」の上映に反対する申し入れ
(※ http://www.ask.ne.jp/~jcin/newsjp/9805/0518.txt )
なんかに対してもか。そうだ。そういうのもまとめて「ご要望はメールのみでお願いします」です。四角四面に、どっちがどっちか知らないが、よき上映中止要望も理不尽な上映中止要望もまとめて処理する。誠実に要望者と話し合う場なんかは設定しない。
これまたリスクとベネフィットの兼ね合いだ。
こういう態度を社会が許容すれば、右翼の嫌がらせに対する映画館の耐性は間違いなく上がる。
・・・これって、すでに伊丹十三が映画「ミンボーの女」で描いたことの応用編じゃん。そーなんだよ。
衛星映画劇場 ミンボーの女 1992年・日本
4月4日(金) 午前0:42〜2:46 (3日深夜)
をやってるんだ。一日違いなら、もっと宣伝できたのになぁ。
いま伊藤四朗が出てきたところだ、この硬軟の名演技!!
- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2005/09/22
- メディア: DVD
- クリック: 29回
- この商品を含むブログ (35件) を見る
昨日付のエントリでは時系列で問題点(自由と権利)を分けたね。これが錯綜し、積み重なると思想的には面白い。
だが、この部分(昨日で言えば下から二番目)だけを切り取って処理すればなんのことはない、この「ミンボー」レベルの淡々としたしろものだ。
そして、「でっかい音はうるさい」というレベルで、スピーカーつきの街宣車を社会から排除してしまえば、問題の多くは片付いてしまうだろうという自信を持っている。
副作用ももちろん出てくるから、どれだけの賛同があるかは分からないが、まあ1ブロガーとしては具体的な案を出したことでよしとしよう。