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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「ちりとてちん」終了記念に−−ある落語の本質(「編集手帳」より)

まず、読売新聞の巻頭コラム「編集手帳」が2001年のコラムから中公新書に収録されているということを今まできづかなった。新聞コラムを収録した本といえば朝日新聞天声人語」が有名だけど、今現在、コラムの質という点では人語子や他の新聞各紙を含めて比較しても「編集手帳」子が圧倒的に抜きん出ている。もう論証不要だろう。あちこちで言われていて今さらの話だ。コラム界のヒョードルシュルトというか、「コラムの神様の子」という感じだ。

たまたま図書館で借りたのが第11集。
コラムとは自前のレトリックを打撃とし、博覧強記、引用自在をグラウンドとする。両者のレベルを高め、しかもそれぞれを融合させねばならぬのも総合格闘技と同じ。

この人が、五代目柳家小さんの息子の「小さん」襲名披露を材にこんなエピソードを紹介している。(186、187P)

落語というのは、若手が直の師匠のほか、いろんな名人のところに出稽古にいって技術を学ぶ(これも総合格闘技と同じだな)。桂小金治も、若い頃に小さんから話を教わった。まだ食糧難の時代、白いご飯が楽しみだったという。
うーむ、最初は面倒なので要約しようと思ったが、このコラムをどう要約できるのか。
写すしかないじゃないか。完成されすぎていて。

・・・ある日、満腹になって帰る途中、忘れ物に気づいて戻ると、小三治(※小さんの当時の名)夫妻が子供と昼飯を食べていた。サツマイモだった。小金治さんはとまどい、胸をつかれ、帰りの電車で泣いたという。

 申し訳なさに、もう稽古に通うのをやめようと思い、師匠の桂小文治さんに相談した。師匠は言った。「大バカやな、お前は。小三治はお前に落語を教えているんやないで。落語ちゅうもんを、この世に残しているんやないか」と。

教わり、芸を受け継いだ人がやがて、おのが食を削ってまで次の世代にそれを引き継ぐ。落語に限るまい。伝統芸能は、伝統文化は、数知れない人々が「志」の細い糸をつないでここまできたのだろう。
小さんさんが87歳で亡くなって4年。今年は長男三語桜さん(59)が六代目を継ぎ、襲名披露の興行がつづいている。あの日、サツマイモの食卓にいた幼い子供だろう。芸の糸、志の糸の末永かれ。

年齢や「あれから何年」は2006年当時のもの。
わたしは、最後に悠久の歴史が、そして人と人が、碁というゲームを通じて繋がっていくことが最後のテーマになっていく「ヒカルの碁」を思い出した。


今、はまぞうが混雑してて紹介できないな。名文を紹介し、アフェリエイトの購入者を増やし儲けようと思ったのに(笑)【補足】あとでできた

編集手帳」第十一集より名文紹介・名引用・逸話孫引き

[rakuten:book:12004266:detail]
■「慢心は足音がしない」


■「惚れて通へば千里が一里/ぬしを待つ間のこの長さ/おやまあ相対的ですね」
(1922年のアインシュタイン初来日時、ブームに乗ってできた相対性理論を思いっきり誤解した歌(笑))


■さくら咲く咲く 平和の空で 野暮な原爆 ためすバカ・・・
西條八十作詞「大当り景気ぶし」1957年)


■「中国語ではコスモスの音に『可思莫思』の字をあてることもあるという。「可」(べし)と「莫」(なかれ)を助動詞として眺めてみれば「思うべし、思うなかれ」と読み下すこともできる。あきらめたい、あきらめきれない恋心か、見果てぬ夢か。」


■「いっそ/大きく凹もう/いつか/多くを満たす/器になるのだ」(伊藤柚月)


■「我が生は 淋しからずや 日記買う」(高浜虚子


■「釣り竿は一方に釣り針を、他方に馬鹿者をつけた棒である」(サミュエル・ジョンソン


■「Q:あなたの人生で、過酷な戦争体験から学んだことはありますか?」
「影響はあったかもしれないが、言葉にする際は”ない”と答えるのがいいでしょう。そういうものから学べたとするならば、それ(戦争)が必要となってしまう」(イビチャ・オシム


■「逃げ込める港も近くにない会場で嵐に襲われた場合に避けねばならないことは、海岸線に近づきすぎることなのだ」(塩野七生ローマ人の物語2」)


■お祈りの言葉を小さな女の子が唱える。「われらに日々のパンを与えたまえ」
その後が聞き取れない。いまなんて言ったの?母親が尋ねた。
お母さん、怒らないでね。あたし、お祈りしたの。
「パンの上にたくさんバタをつけてくださいましって」(アンデルセン「絵のない絵本」)


■「こぼれ松葉を/ありゃ見やしゃんせ/枯れて落ちても ふたり連れ」(都都逸


■洋画家の里見勝蔵が巨匠ブラマンクをパリに尋ね、指導を仰いだ。ブラマンクは二つの皿を里見の前に置いた。
「描き分けてごらん」
塩と砂糖が盛られていたという。


■「眠りても 旅の花火の 胸にひらく」(大野林火)「手花火の こころの中に 散るごとし」(川口重美)