昨日の村上春樹、カフカ「変身」のパロディを紹介した、文体模写関連が一部でちょっとしたブームに。
私も好きだし、何度もやったことあるけど、これを一度やると時間と手間を食ってねえ(笑)。
でも、一回だけ以前からやりたかったのをやってみようと思う。
現在の格闘技の状況を、同時進行的に司馬遼太郎ふうに置き換えるというやつ。
「谷川がゆく」
「あれは、反則とする」
谷川の口調は、まるでにわか雨にあった、という話題のようにこともなげであったが、その言葉の持つ重大さは、天変地異にも匹敵した。
判定を変えろ、ということである。
この部分、説明がいる。
当時、格闘技というものは、それぞれの団体が、覇を競うのがつねであった。
覇を競うというと聞こえがいいが、その実でいえば、おさだまりの、足を引っ張り合う、ということにすぎない。
であるから、やれんのか!の運営の主軸−−−当時、かれらは官憲をおそれ、名を隠していたので、たれなのかは資料にも異説が多いがーーーーも、あくまでもK-1との同盟は、UFCとの対抗のための、かりそめのものだとしていた。
それはかれらの器量でなく、時代的な限界であり、あえていえばこの時代の「正義」であった。谷川の主張は、文明史的な視点という、べつの眼鏡をかけねばたわごとであったろう。
この、編集者あがりのプロデューサーは
「ドラマ」
という言葉をこのんで使う。興行を線としてつなげ、の意だが、これは彼にとってかつての雇用主でもあり、思想的な父ともいえる、石井和義ーーーこの時期は政府がおそれ、獄にあるーーの受け売りである。
谷川については当時からも毀誉褒貶は大きかったが、「石井を裏切った」との批判は皆無であった。
ただし谷川のばあい、石井にその天下を失わせた唯一の欠点ーー人に警戒感を起こさせる冷たい計算の力−−を、あえて茫洋とした仮面の下に隠す手法を、天性か学習の結果か身につけている。
この点、日本の武道を身につけているはずの師匠よりも、より東洋的であった。
「そのドラマを、海外につなげる」
谷川は、その話をした。温醇そのものの顔はかわらない。
「日本で行って、大きく受けた。ならば、韓国でこれをもう一試合やる」
と、この試合をめぐり、ふたをした鍋が煮えたぎるかのような議論がされている国の名を上げた。
なるほど、それは受けるであろう。
朱子学的な名分論とは別にしても、試合への不満は大きい。
無効試合、とし、三崎和雄のけりが反則である、ということで、さらにこの試合への感情は濃厚なものになり、それは興行というものに、たやすく化学変化するであろうことはみてとれた。
、しかし、それを思いつく男は、やれんのかにはいなかった。
さらに、谷川は
「この策、大会以前から準備していた。2試合でやるとの約、とりつけている」みな、どうと驚いた。
ただ、これは未来という合鍵を持ったわれわれには、にがみのあるユーモアにも感じられる。
なぜなら本来、やれんのかは2試合について知って、自ら動いているべきなのである。
しかし、谷川はこの点、見逃している。のちに、菊田早苗という、きわめて有能ながらも、自らと仲間の組織の利益を第一とみる、当時の正義をより体現した男がこの、谷川の文明史的戦略をくつがえす。
が、それは別の稿となる。
とまれ、谷川は自分の絵を、こう表現したと記録にはある。
「世界の、K-1でもやりましょうかな」
まあ、司馬遼太郎自身の文章はもとより、パロディとしても
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収録の
「猿蟹の賦」(サルカニ合戦を司馬風に書く)、「商道をゆく」(中小企業の社史を司馬風に書く)に及ぶべくも無いのだが。
猿蟹…でカニの子が
「いくさとは、勝てるように準備するまでが本当のたたかいなのだ。
それができれば、あとはただちょっとした作業にすぎない。」
とか、いいこと言う場面だけで爆笑できる。