あの「UWF”変態”座談会」はどうも読者の年代層的に評判がいいらしく(笑)、シリーズが続いていく。
そして「前田日明」を語るところまで来たわけだ。
自分たちでも「デリケートなテーマ」と承知しているらしく(笑)、話は新日時代のおさらいが続く。
さて。それはやっぱり面白いのだが。
kamiproはWWEからハッスルを通じ「カミングアウト」の旗手たる立場にいつの間にかなってしまった。
時代の潮流には抗いがたいもので、最近はなんだかんだいってたいていのことは踏み込んでも許されるようになった。
だが、その潮流に抗して、いまだ大きな壁になっているのが「前田日明」および「初期リングス」だ。
何しろニールセン戦についても、本当に複雑微妙な言い方とか
「・・・は・・・といっている」という引用を使うようなやり方をしていて、
話の内容以上に「kamiproスタッフがどこまで、どういうスタンスで語ろうとしているのか」というバックステージのほうに興味津々になってしまうのですが(爆笑)、
ニールセン戦に関しては63Pをみていただくとして、次回予告とも言える一節がある(二回連続でやるようだ)
タコ ほんならリングスの試合はどういうことやねん?ってなるやんか。
ガンツ リングスでの試合も、二ールセン戦と同じように前田的には真剣勝負なんですよ。そのへんはあとで話しますけど、いろいろ用意してきたんで(笑)(略)
でも、なんかリングスの話とかになると、ますますデリケートな内容にならざるを得ないような気がするんやけど・・・
次の座談会で中心となるのは間違いなく堀江ガンツ氏だ。
以前、彼がリングスの「位牌持ち」になるべきだし、その資格がある、と書いたことがある。
あるいは、かつての宗教改革者みたいなもんだな(笑)。
つまり本人は、前田ローマ教皇それ自体からは直々に破門されている(笑)のだが、当人としては「教皇の無謬性を認め全面的に従っていては、聖書(リングス)の権威自体が揺らいでしまう。教皇(前田)はかく言う、だが聖書(リングスの実際の試合)はかく言う。あたらしいアプローチで、聖書それ自体から新しい意義を見出さないといけない」
ということなんだろう。
しかし、故井上氏のパラドックスはまだ生きている。沼が底なしなだけならまだいい。
この沼は、そこが丸見えだ。
その中で腰まで入るのか、首までつかるのか、それとも完全に沈没して溺死するのか(笑)。見極めてみたいと思うしだいです。
ちなみに、来月号でそれぞれ、あぶない発言したら、いつか前田さんの耳に入るように大々的に取り上げますので(笑)
こう、最大フォント使って(笑)
前田、語れるものは強し
タカーシ日記
http://blog.livedoor.jp/hardcore_heaven/archives/51280304.html
「変態座談会」に戻るが、前田の美しい思い出と共に言われていたのが、「前田は自らの物語の語り部となっている」という点で、例えば前田対ニールセンについては「新日本の陰謀で全く情報を与えられずに試合に臨まされた」と伝説化させたり、田中正吾との師弟物語を語ったりしていたわけだ。あの頃の前田ファンは田中正吾を誰もが「田中先生」と呼んでいたよ!
そして今、田中正吾は詐欺師ということになっているが、よく考えたらこれも前田が言ったからそうなったのだ(笑)
人間、歴史の語り部こそが最後の勝者だ。吉良上野介は日本が滅びるまで極悪人であり、足利尊氏は反逆者である。
中島敦 「文字禍」に云う---
歴史とは、昔、在った事柄をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?
(略)
歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌されたものである。この二つは同じことではないか。
書洩らしは? と歴史家が聞く。
書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。
若い歴史家は情なさそうな顔をして、指し示された瓦を見た。