今回は久々に、政治のダイナミズムを感じた。数日前はどこも「麻生太郎が大本命」という書き方だったのだが、福田が出馬したら派閥が次々と支持を表明して数はがっちりと積みあがり”当確”かという勢いだ。
海外でもだいぶ「タロー・アソー」の紹介記事が紙面を飾ったようで、あわてて東京特派員は記事の再出稿を迫られよう。
予想されたことがそのまま展開する政治より、メディアをも裏切る政治のほうがまあ面白い。安倍晋三のサプライズ辞任で、回り始めた政治のはずみ車は、そのまま勢いを保っているようだ。
一転、包囲網が出現した麻生は、今回はそれでも出馬して、いい位置での二番手(津島派の額賀福志郎が出れば三番手?)につければまだチャンスが待てる、というところでしょうか。出馬断念はあるかもしれないが。
俺は今まで福田康夫についてどんなことを書いていたかな、と検索してみたら自分で驚いた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060722#p4
■[時事][政治]福田康夫、総裁選不出馬
民主党や公明党の支持者も含めた世論調査で2位の支持率だったとはいえ、総裁選は自民党の中でやるものなんだから、単純には負けてしまいそうだわな。だから計算としてはよくは分かる。ただ、例の「小泉ブームで水ぶくれした2002年当選の自民党参院議員は、実力相応に来年の選挙で減少」→「新総裁はその責任をとり早々辞任」→「ここで福田登場」という筋書きを書いているのかもしれない。それはそれで合理的な判断と言うものだ。
まあ、政治の選択は何が吉で何が凶かはわからんね。
MMRだったら「なんだってー!」と驚かれる予言者ぶり。違うのは参院選、自民は「実力相応」以下の負けっぷりだったことか。
でも自分で書いててすっかり忘れていた(笑)。あんまり自分でも気合いれずに書いたものだったな。福田って自分は良くも悪くも印象が無い。
ところで最初の、そもそもの原点に戻って考えたい。
もともと政治経験の浅い(福田も経験は浅いのだが。当選6回・入閣1回)安倍首相が選ばれたのは、「選挙の顔」になるからだった、年功序列や派閥(森喜朗)の意向的には福田が先行していたのに、新人議員や選挙前の参院議員が安倍を押していたからな。
「福田人気」「選挙の顔」て部分がなかなかに微妙で、次の総理の世論調査なんかにはけっこう上位出ていたりしたのだが、地味でマスコミへのサービスは少ないと言われている。麻生太郎はよくもわるくも目立つキャラクターと明るさ、はある。
小泉チルドレンに代表される、選挙の顔、風がほしい人たちも今回「福田でいい」となるかどうか。
「解散」の原理
じゃあ、解散しなきゃいいじゃん、というような単純な話がありますでしょう。
最近、新聞なり野党なりが「解散が憲政の常道」という立場から解散要求をしているのだが、原理的に野党側が解散を引っ張り出すのは、与党を分裂させて不信任案を可決させる(大平正芳時代のハプニング解散、宮沢喜一時代の細川政権誕生解散だね)
だが憲法原理的にも、解散というのは首相と与党がいつでも都合がいいときにやれるものなんで、損をするというのに解散する馬鹿はなかなかいない。これは憲法的にしょうがない。
今の議席が100年に一度の奇跡であり、この議席がなければ「民主が参院否決→衆院で三分の二により再議決」カードだって切れない。それにそもそも、議員は一日でも長く議員をやりたい。
とすると、福田政権は守りの政権で「大過なくやり続けて議員の任期を全うさせる」ってことにゃならんのと違うか。民主のスキャンダルやなんかも待てば出るかもしれないようなのでな。(次の内閣でまたスキャンダル出るかもしれんが(笑))
解散って、与党・政権内での反主流派を脅すパワーでもあるからそこはどうなるか分からんが福田自身も「俺の顔で選挙は有利に進められるはず」とかの誤解はしないだろう。
これは以前書いたけど「憲政の常道」って拘束力としてはやっぱり弱いものなのだなあ。と。
与党に有利なときに解散はできるのか。
野党というのは、「わが党の政策は正しく、支持されているので選挙が今あれば勝つはず」という建前に立つから基本的に、「常に解散要求」をしているのが常道・・・なのだが、思い出すのが中曽根政権が衆参ダブル選挙を行い、大勝した1986年?だったかな。そのとき、野党は「絶対に解散させない」といい、当時うちで取っていた朝日新聞も解散に絶対反対だった。あれは子供心に、ちょっと奇妙に感じたな。
野党が「解散に反対」したロジックってどういうものだっけか。