今ちょっと体験したことというか、余談ながら自分がどうやってエントリを考えているかの一例を。
上の文章に、ちょっとかっこ良く、将軍にちなんだ歌や詩を付けようと思ってまず、頭の中を検索してみたら、はてあまりピッタリしたものが無い。
日本では、もう僕たちの世代では学校では教わらなかっただろうけど、唱歌(「唱歌」と「童謡」は本来別もの)を通じて日本の歴史を教える一連の歌というのがありました。
自分は図書館でダークダックスらが歌う「なつかしの歌」みたいなのを集めて知りました。
[「元寇」
「鎌倉(新田義貞の鎌倉攻略)」
「青葉繁れる(湊川の別れ)」
「川中島」
「太閤」
「水師営の会見」
「日本海海戦」
などなど。
なぜに将軍を称える歌が無いかといえば、答えは単純なもので、御一新以降、大日本帝国が建国されてからは徳川はもっとも直接的な「反革命」であり、そこから敷衍されて武家政権自体があまりおおっぴらに意義を称えるわけにはいかないから、でしょうな。
加えて大阪びいきの講談的文化も、徳川は悪役であって、山岡荘八の作品が出てようやく徳川家康がプラスイメージでも見られるご時世になったから。
で、ぱっと連想して頼山陽って、たしか日本史にちなんだ漢詩をたくさん書いてたよな?と調べると「日本楽府」という詩集が出てくる。
「鞭声粛粛、夜河を過る」
「蒙古来る、我は恐れず 我は恐る、関東の令 山の如きを」
「抜き難し、南無六字の城」
なんていうのはかなり有名だけど、じゃあ徳川をどう語ったのかなあ・・・というのもよく分からない。みなもと太郎「風雲児たち」には、頼山陽は尊王思想をそれと分からないように、「徳川は偉く、ご公儀の世は平らか」とぼかして書いた、とかいうくだりがあったなあ、と思い出す。
じゃあ、たぶん著作権が切れている(笑)頼山陽の漢詩はどこかで原文が読めるのか、といえば、有名どころしか無いし「日本楽府」で検索すると不愉快なことに渡部昇一がらみの文献ばかりだ。
いつかはネット上に、頼の詩文を流通させないといかんなあ、と思ったり。
幕府側を肯定的に歌った歌でようやく思い出したのは、司馬遼太郎が
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会津肥後さま、
京都守護職つとめます。
内裏繁盛で公家安堵、
トコ世の中ようがんしょ
という歌だったなあ。いつの時代でも、テロのど真ん中にいる人たちは治安回復が一番の関心ごとなのかねえ、とか、しかしここから結局京都世論の支持を会津は受けなかったのは何故だろう、とかいろいろ考えたりしました。
そして最後に、(以前も紹介したが)唱歌ではアメリカ独立の由来すら昔は教えてたんだよな、と検索。
http://bariken.com/hprecital-Washington.shtml
天はゆるさじ、良民の、
自由を無視する、虐政を、
十三州の、血はほとばしり、
ここに起ちたる、ワシントン
(MIDI)
http://kouzuke.s11.xrea.com/MIDI/Washington.mid
幕末の志士たちはワシントンやナポレオンを単純な英雄豪傑、乱の統領と捉え、自分たちと重ね合わせたという経緯があったとはいえ、こういう形で他国の世界史の偉人たちを教えるのは悪くない。とかく非西欧の知識が足りないといわれる日本の世界史教育をただせるかも、などと思ったりする。
そういえば今度の映画「300」も自由と独立を愛するギリシャ文明と、服従と独裁のアジア・ペルシャという視点になってしまっては具合が良くないな・・・とか。
まあ、こんな風にいろいろと思索は飛ぶのですが、最初から最後まで一文の得にもなりません(笑)