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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ボクシングはなぜ合法化されたのか」を松原隆一郎が評す

上からちょうどつながります。
サイトは、公開期間が多少長くなったね。この前は「掲載された」とだけ伝えたが、今回はこの書評の内容まで。

http://hondana.mainichi.co.jp/2007/05/post_2c9b.html

「不法な遊戯」がスポーツになった理由
松原隆一郎・評
ボクシングはなぜ合法化されたのか―英国スポーツの近代史
松井 良明:著 平凡社2,520 円
ISBN: 4582833543

 (前略)
一般的な受け止め方として、プロ格闘技は収入を上げることを目的として興行が催されるのだからフェアな勝負よりも観客を沸かせる試合が行われる、金銭的な報酬を受け取るのだから生命を賭して闘うことも仕方ない、巨額の報酬を得るスター選手はそのカネで厳しい試合を強いてくる対戦相手を籠絡(ろうらく)したいという誘惑をこらえられない、などがある。金銭報酬を受け取らないアマはフェアで安全な試合をするはずだという、プロとアマの区別がそこでは前提されている。また成人の専門家である選手自身が試合に臨むことに合意しているのだから、周囲ないし社会がとやかく言うべきではない、という見方もあるのだろう。

 ところが「近代スポーツ」発祥の地であるイギリスで、格闘技がスポーツとして合法化され、かりに死者が出ても対戦相手は殺人罪に問われなくなる経緯を法制面から跡づけた本書を読むと、格闘技はプロ・アマを問わず、選手たちみずからが創始したにせよ法や社会の声が育てたのだということが分かる。プロかアマかよりも、合法か違法かの相違の方が決定的だったし、当人らが合意した闘いであっても合法とはいえなかったのだ。これはアカデミズムが発見した驚くべき知見である。

 著者によれば、中世以来イギリスには数多く大市などで開かれる見世物興行があり、鶏を戦わせる闘鶏や犬を放って牛を襲わせる「牛掛け」などアニマル・スポーツが流行(はや)ったが、近代社会の勃興とともに中産階級が出現しキリスト教福音主義の影響のもとで動物愛護運動を展開すると、野蛮な習慣として禁止され衰退していった。とはいえ階級差別は厳然として存在し、上流階級の兎(うさぎ)狩りは2004年に「狩猟法」が成立するまで見過ごされた。そうした中で18世紀初頭から催されるようになった素手で賞金を賭け殴り合う拳闘(ピュジリズム)(プライズ・ファイト)や闘鶏では観客も賭けるため、地主ジェントルマンがパトロンとなり人気を博した。

 プライズ・ファイトについては何度も裁判が行われたが、制定法を新たに作って禁止するのでなくコモン・ロー(普通法)を極力援用しようとするところがいかにもイギリス的で、決闘罪や騒擾(そうじょう)罪、殺人罪やそれについての幇助罪が適用され、「不法な遊戯」とみなされた。ところが統括団体がグローブを着用させルールを厳格に定めて観客の治安も図るようになると、違法性の論拠がなくなり、グローブを着けたスパーリングは一転してレスリングやフェンシングと同様の「合法スポーツ」とみなされるようになった。1866年に起きた死亡事故にかかわる裁判で下された判決によるもので、以後、現在に至るまで、リング禍が起きるたびにこの判例が持ち出されては関係者が免責されている。また20世紀に入ると、「消耗し負傷するまで闘わせる」ことを目的とするのでない限り、懸賞金やグローブの有無を問わず合法とみなされるようになった。

 こうした経緯でとくに面白いのは、ボクシングが当初は競馬やクリケットなどと同様に賭博スポーツであったために、ルールの適用や競争条件の公平性に気を配るようになったという点だ。フェアネスは通常はアマ・スポーツの精神とみなされるが、競馬を思い出せば分かるように、賭けを成立させるためにこそ求められたのである。
(略)
 ところで現在、イギリスでは総合格闘技の興行が行われ、先日も日本で人気の高いミルコ・クロコップ選手が壮絶なKO敗(ま)けを喫している。消耗や負傷についてこの競技をコモン・ローがどう判断しているのか、興味深いところではある。

毎日新聞 2007年04月29日>

うしろの「ところで現在」に、何割の毎日新聞読者がついていったのか(笑)
ところで太字部分、「掛けの対象になったことでむしろ公平、平等、明朗さが担保された」という一寸面白い逆説を、小生はもう数年ほど前に体験している。「噂の真相」だったかな、「裏PRIDE読本」だったかな、兎に角その種の暴露系記事で、初期の試合ではいろいろ取りざたされているPRIDEのフェイクを(ある時点からは)「基本的に無い」と断言。
その理由がまさに「PRIDEが賭けの対象になっているからだ」というものだった。


だれが賭けているかということになると、これが刑事と民事双方で訴えますとかてめえらマスコミに喋るんじゃねえとかそういうことになるので、まあきっこ的にいうところのホニャララってことにしておこう。
とにかく、梶原一騎流の幻想にあふれた話ではあるが、お堅い社会学の本と通じるとは。
しかし松原氏も「カラテ地獄変によれば・・・」とか、毎日新聞の日曜日の紙面で論じられるわけも無く(笑)。


松原氏といえば今回の「FIGHT&LIFE」でもいい味出してたよね。
その話を後で論じなきゃ。