夏目房之介ブログで、この前「20世紀少年」に一応の区切りをつけた二人の対談が紹介されている。
一部再引用しよう。
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/004454.html#more
編集者のフリー・エージェント化についての話がされていて興味深かった。
浦沢は、マンガ家と編集者の関係の話で〈普通、漫画家は担当者を選べないんですよ。フリーの担当者が増えれば、フリーを指名できるでしょう? 僕はその環境を早く作るべきだと思うんです。〉と語る。
それを受けて長崎は〈クリエィティブな編集者が、もうちょっと自由になれば、漫画界が活発になると思うんですけどね。・・・・あとは、編集の収入を成功報酬っていう形にすることで、その責任の一端を担うとかね。〉と述べつつ、現状『PLUTO』では印税形式になっていると語る。
長崎〈こういうのは初めてなので、風当たり強かったですけど・・・)
さて、前にも書いたけど私は子供のころは「こち亀」などギャグとしての編集者で最初知ったので、編集者は「締め切りはとっくに過ぎているんです!」と漫画家の尻をたたく存在というイメージで、アイデアやストーリーを一緒に考えているとは知らなかった(一種のタブーでもあったのだろう)。
長崎尚志氏の(関わった)作品は作画者に関わらずファンで、印税などをもらうのも当然かとは思うけど、将来はどうなるのかね。
本宮ひろ志が江川卓を描いたドキュメント漫画「たかされ」で、入団騒動時代の読売グループの態度を調べていて怒った本宮が
「だから俺は組織に守られてる人間はでえっきれえなんだ!」と爆発、
しかし一方で編集者(マネージャー?)が
「そのかわり江川さんも先生も、人の10倍も20倍も金もらってるんだから。」
となだめるというシーンがあった。
要はこのふたつの異なる存在が、いい感じで影響を与えるシステムがそれなりに維持されてくれればありがたい。