まず、佐藤亜紀氏の文章を紹介・・・あれ、ここの部分事実関係違ってないか?
「例のデンマーク製の、手榴弾型ターバンをかぶった
ムハンマドを「私はムハンマドを描いてはいけない」という文字で
描き出したカリカチュアがイスラム教徒の憤激を呼び」
http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2006/02/200526.html
手榴弾型ターバンの風刺画は発端となったユランズ・ポステン紙で、「私はムハンマドを描いてはいけない」という文字で描き出したのはその後のル・モンド掲載の風刺画。ルモンドの画がユランズ・ポステンの変形模写だとしたら、かろうじて意味は通じなくもないかと思ったのだが、見てみると別物だし。単なる記憶の混同か、文章の乱れ(「や」で並列させるつもりだったとか)だろうか?
まあ、それは瑣末な話であって、続ける。
ここでの
他人の信仰心を尊重する程度の節度は、この民族宗教ぐちゃまらの御時世には是非とも必要ではないか。ムハンマドを絵に描かない人々がいるなら、なるほどそういう文化もあるんだねと尊重してあげることが、多文化混交の現状にあっては必要だろう。
この文章は、簡単にして、ある一方の見方を代表する「典型」として価値があるので、これを一典型とし、少しテキストを改変したい。
他人の信仰心を尊重する程度の節度は、この民族宗教ぐちゃまらの御時世には是非とも必要ではないか。【 1 】人々がいるなら、なるほどそういう文化もあるんだねと尊重してあげることが、多文化混交の現状にあっては必要だろう。
要は、この【 1 】に、自分が不愉快な、どれを入れても通用するかだ。
以下、思いつくままに。
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◆池田大作先生への悪口は絶対にゆるさない
◆文鮮明お父様への悪口は絶対に許さない
◆皇室を風刺した「風流夢譚」は冒涜だと考える
◆タイ国王への写真への不敬は冒涜と考える
◆国旗への侮辱は冒涜と考える
◆進化論は神への冒涜と考える
◆進化論とID論を同列に教えるのがフェアだと考える
◆妊娠中絶は神への冒涜と考える
◆「悪魔の詩」は今回の風刺画と同列だと考える
◆A級戦犯も神だと考え、参拝したい
◆女性は穢れであり、土俵には上げられない
◆ホロコーストは事実か疑わしいと主張する
◆あの山は女人禁制の地であり、入れさせないとする
◆掃除は低級カーストの仕事で、自分はやれないという
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こういうものを、どうやって仕分けしていくかだと思う。
たとえば池田大作は、実在する人物で、実際の団体の名誉会長であるから、批判・風刺・揶揄は認めなければいけないのだ。進化論は・・・や・・・の化石などでほぼ証明されているからだ、みたいな感じでね。