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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

19世紀関連書籍いくつか(「指紋を発見した男」評)

【書評十番勝負】
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050527#p3
で紹介した椎名高志「GSホームズ」は、単行本になっておりました。(もっとも、発売日を見る限りではリンク先の最新作は収録されていないだろうね。たぶnその前のシリーズだ)
一応ご報告


また、この「19世紀もの」がなぜに面白いかというと、科学精神や初歩の科学技術というものは存在するものの、今のように生身の人間を大幅に超えたり、専門家以外に手に余るというレベルではなく、ある種の「隙」があるからだと思うんですね。
正式な意味はあまり知らないけど「スチームパンク」ってのもそういうもんでしょ。


で、これは推理小説というのも同じことがいえる。DNA鑑定なんてしゃらくさいものはないし、携帯電話でのアリバイ交錯もないしね。


そこで、ホームズの手がけた「ノーウッドの建築士」事件をご記憶の方もいらっしゃるだろうか。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/kareha/trans/norwood.htm

これは珍しく、ホームズが最後の最後まで犯人のトリックに苦しみ、さらにレストレード警部にも最後の逆転まで冷笑されつづけるという珍しい展開です(笑)。解決に至る部分も、実を言うとピュアな推理物と考えると実はルール違反だし。

それはそれとして、この作品では「(親指の)指紋」というのが重要な役割を果たします。

・・・レストレイドは、この芝居がかったタイミングでマッチをすると、漆喰の壁に残された血痕を照らし出した。レストレイドがマッチを近づけるにつれて、それが単なる血痕以上のものであることが分かった。それは、しっかりと押された親指の指紋だった。


「拡大鏡でご覧ください、ミスター・ホームズ」

「ええ、そういたしますとも」

「同じ指紋が二つとないのはご承知でしょうね?」

「そういうふうに聞いてるよ」

「さてさてそれでは、この蝋の上の指紋とお比べ願えましょうか? 今朝、私が命じて取らせておいた、若きマクファーレンの右親指の指紋にございます」・・・

【編注】小生が昔読んだガイドブックでは「原文は『拇指紋』で、当時は親指のことしか研究されてなかった」という説があったけど、どうだかは判らないし、とりあえずここでは置く。


さて、ではでは。
この「指紋」というものを、このように犯罪捜査の証拠にするという発想と発見は、いつ、どのように、だれが成したのか?
それを描いたものがこの「指紋を発見した男」です。

指紋を発見した男―ヘンリー・フォールズと犯罪科学捜査の夜明け

指紋を発見した男―ヘンリー・フォールズと犯罪科学捜査の夜明け


この毎日新聞書評は、もう6月掲載だからネットでは読めない。
一部引用しても差し支えなかろう。これを読んで、自分もこの本を手に取る気になった。

小西聖子(たかこ)・評 
指紋は一人一人違っていて、究極の人物認証装置として使えることも、誰も疑うことのない常識である。


 でもどうして、そういう風に私たちは信じるようになったの? 指紋が個人に固有のものであることは、地球が丸いことよりも、自分で実感できない点で明白さは劣る。せいぜい恐竜は隕石で絶滅したこと程度の明白さじゃないだろうか。


 この本の面白さは、私たちが当たり前のように考える犯罪捜査という行為やそこで使われる指紋という道具が、決して長い歴史を持っていないこと、人がそれを受け入れるのに、さまざまな抵抗があったことを具体的に示してくれるところにある。


 犯罪捜査は近代以前には「苦痛を伴う神明裁判」によって行われていた。それは人々が愚かだったからではなく、だれが犯人であるか一番知っているのは神であることが明らかだったからである。私たちは科学を信奉するから指紋や証拠物件が一番正確だと思い、本人の自白よりも神様よりも、物の方を信じるのである。きっと前近代に生きる人が見れば、なんて愚かな人間たちかと思うに違いない。


 「世界で初めてとなる犯罪捜査専門の部局がパリに開設されたのは、一八一二年になってからのことであり、そこで職に就けるのは犯罪歴をもつ人間に限られていた。悪党でなければ悪党は捕まえられないというのが、ブリガド・デ・ラ・シュルテ(保安隊)の血気盛んな創設者、フランソワ・ウジェーヌ・ヴィドックの信念であり、彼の経歴はそれが真実であることを証明していた。」


 ヴィドックの犯罪者だけから構成された捜査隊は大きな成果を挙げ、ついには彼は警察副総監にまで出世する。「シュルテの隊長を務めていたあいだに、ヴィドックはほとんど独力で警察業務を中世の闇から引きずり出し、十九世紀という新時代に適合させた。」おとり捜査も、文書による捜査記録も、石膏による靴跡の型どりも、彼が始めたものである。


 やがてヴィドックが行っていた、原始的な個体識別は、犯人の前歴を照合する道具として発展を始める。個体識別が出来なければ、偽名でも使われれば、過去の犯罪はわからない。また目撃情報や「面通し」だけでは時に冤罪を生む原因ともなる。

 最初に成功したシステムはフランス警察の人体測定法だった。身長や頭蓋などの大きさをさまざまに測定し個体の指標として用いる術は累犯者の同定に大きな成功を収めた。

 一方イギリスのスコットランド・ヤードは近代的捜査にも人体測定法にも立ち遅れた。イギリス警察がフランスに先んじて取り入れ、ついに成功したのが指紋による照合法である。

 指紋が個人識別の道具として発見され、研究の対象になったのはそれほど古いことではないらしい。明治の日本に来ていたイギリス人の医師ヘンリー・フォールズは築地病院を開設するなど医療活動に従事する一方、日本人が契約書などに拇印を押したり、重要な書類に血判を押したりする風習に興味を持った。1880年に彼はチャールズ・ダーウィン宛に手紙を書いた。「先生なら興味を感じてくださるだろうと思い、一筆啓上いたします。小生が研究してきたのは、ヒトの手指に刻まれた皺と溝です。」そして研究成果を科学誌『ネイチャー』に投稿した。ところが、フランシス・ゴールトン派とフォールズの指紋研究開発者争いの確執がおこり、フォールズは栄誉を奪われてしまう。フランシス・ゴールトンがめちゃめちゃいやな奴として描かれていて、それはそれで面白い・・・・


非常によくまとまっている。
小生も、指紋それ自体にも興味があるけど、この書評の前段のように、要は犯罪捜査の中で「合理的に犯人を捜し、証拠を集め、論理的に有罪を立証する」ということが一般的になっていく過程というのが面白いのだ。

「だから推理小説は(合理的な捜査のみが求められる)民主主義のバロメーターだ」なんて極論があるがそれは嘘っぽい、という話は前に述べたことがあるな。いや脱線。


上で小西氏が要約した「神明裁判」も、それなりに当時の水準からすれば合理的な考え方であったろう。やましいほうがビビって自白するなんてこともあっただろうしね。
さらに「決闘裁判」(勝ったほうが正しいという、合理性はともかくたいへん手間は省ける裁判(笑))なんてのもあったという。


そして、犯罪人を犯罪捜査に使う、という鬼平犯科帳でおなじみの発想もフランスで、しかもかなり近代的警察が出来たのに合わせて成立したというのも面白いではないか。


(【註】この下は、最初日を改めて
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20051110#p3
に書いた部分ですが、まとめたほうが読者には
便利のため、こちらにも転載しました)



このように、19世紀、いろんな形で近代化が進む中、犯罪捜査や刑罰の科し方というものも新しい技術や思想が導入されたわけです。その中の一つの思想として「初犯と犯罪常習者にわけ、前者は軽く、後者は重くする」という考え方が出てきた。これも確かに一つの進歩であろう。


しかし、そのためには「Aという男は間違いなくAである」という、同一性の確認が必要になる。警官の記憶や、顔写真一枚では不可能だし、数万のファイルの中からどう見つけるのか。その際に、ベルティニョンという人物が人間の11カ所を測定する方法を編み出し、効果を発揮する(良家のドラ息子が一念発起して社会貢献となる発明をする、この人物の一代記もかなり面白い)。

それと同時期に、このヘンリー・フォールズは指紋に秘められた謎に取り組む。他の研究者(ウィリアム・ハーシェルやゴールトン)と競争をしながら。

ここで、指紋に関してひとつ忘れてはいけないのは、ご存知の通り中国、アジアでは特に拇印が契約書や誓約書に使われていたことだ。ヘンリー・フォールズも、実は明治の日本に医者兼宣教師として来日しており、この伝統にヒントを得たことを明言している。

指紋の数箇所の特徴を組み合わせて分類する方法は漢字の「部首」の発想を元にしたという。



ただし、指紋が本当に各人で、あるいは年数の変化で「絶対に」変わらないかどうかを確認するのは膨大なデータの蓄積が必要で、また現場の慰留指紋から犯罪人を特定するという発想はアジアにも無かった。そして、やっぱり英語で論文を発表しないと結局は認めてもらえないのである。_| ̄|○

前リンクでも引用した小西氏の書評より

南方熊楠が1894年におなじ『ネイチャー』に「拇印制度の起源の古さについて」という公開書簡を載せて、こういう植民地主義的指紋研究論文に反論しているらしい。指紋をサインの代わりに使うのはどうもアジアの発明のようである。中国、インド、日本の例がここでもひかれている。日本の例は大宝律令だ。離婚のための文書に拇印を使う規定があるらしい。

そもそもにしてから、この指紋は植民地支配の道具であった。

インド支配をした英国は、慣習の違いや植民地への反発により、彼らとの契約や各種の登録を無視しようとする広範な被支配民に悩む。その契約、登録のために指紋採取を行政官のハーシェルが思いついたのだという。



さらにあと一人、悪役が登場する。

ダーウィンの縁者にあたるフランシス・ゴールトンはその個人的な性格も、嫉妬深く独占欲が強い男だったが、それ以上に「人間の能力は生まれつき遺伝で決まっている」という、従兄の発見をゆがめた「社会的ダーウィニズム」の元祖的存在であった。



結果的には打ち捨てられた仮説である彼の妄想は、しかし「生まれ持った資質」の証明になりそうな?指紋の研究を進めたのだから歴史の皮肉ではある。

そして、あるインド人の数学的才能により、複雑な指紋を分割し、単純な特徴ごとに分類する方法が定まり、指紋が「捜査の王」となることが確定した。



そして、フォールズの後半生は、そのゴールトンやハーシェルらとの、「だれが真の指紋の発見者か?」という論争に明け暮れることとなる。科学者の功名・先陣争いは、総体としては間違いなく科学を進歩させてきたけれども、やはりむき出しになると何だか困りものだ。



フォールズは、結局その中で敗者となる。

そういう、科学の黎明期に生きた「栄光無き天才たち」のひとりが演じた悲劇的ドラマとしても、面白く読むことが出来るだろう。