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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ロケット打ち上げ成功と「栄光なき天才たち」8巻

昨日http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050226#p2の続きとして。昔書いた文章の再録です。

学者バカあるいはバカ学者・・・そして「ロケット屋」について

 かつて大学教授だった某評論家が、大学の数は多すぎ、予算の無駄ではないかと問われた時こう答えたそうだ。「冗談じゃない。あの大学教授どもを実社会に解き放ったときの害を考えたら、わずかな金で彼らを隔離できている現状は安いもんだ。」・・・・この意見の当否はともかく、確かに学者稼業は普通の人の感覚では出来ないのか変わり者が多い。ここで軽く紹介させて貰いますが、こちらの調べがいい加減なもので固有名詞および事実か伝説かについてはいー加減です。まあ、「長島伝説」みたいな「学者伝説」と思ってください。



古代ギリシャ天文学者は、その日も天体を観察しながら歩いていたが、全く下を見なかった為に井戸に落ちて死亡。


●ある数学者は思索の邪魔にならぬよう、いつも「ただいま留守中」の欠け札を玄関に掛けておいた。とある日、散歩しながら考えをまとめようとしていた彼は自分の家に帰ってきたとき、その掛け札をみて「留守ならしかたない。また出直そう。」


●またある数学者、大発見の構想がまとまりかけ興奮してメモを取っていた。そこへ知り合いが駆け付け「奥さんが危篤です」と報告。するとこの数学者、「待つように言ってくれ。あと数時間で答えがでる」


ニュートンはその功績により晩年、貴族院の議員となった。彼の議会での発言が現在、議事録に残っている。「議長、窓を閉めて下さい」(これだけ)。


エジソンは現在使われているような交流電源を全く認めず、直流電源に固執した。エジソンと同時代の奇人天才学者であるニコラ=テスラが交流電源の利点を主張すると、エジソンは交流電気を用いて各地でウサギを焼き殺し、その危険性を説いた。ちなみにこのとき、エジソン電気椅子を特許申請している(笑)。


長岡半太郎?は新聞を読む暇も惜しんで日夜研究室に泊まり込み、事件と思索に没頭していた。その間、知らないうちに日露戦争が始まり、知らないうちに終わっていたという。


これらのエピソード集では、「科学を名乗った嘘と間違い」「永久運動の夢」「大発見!シリーズ」アシモフの科学者列伝」「スキャンダルの科学史」などがあります。





 こういった人々の中で筆者が最も好きなのは、宇宙開発(ロケット)に携わった科学者たちのドラマだ。ライト兄弟が空を翔ぶことにようやっと成功したのと同じ時期に、彼ら先覚者たちは大空をさらに越えた大宇宙に夢を馳せていたのである。まずここのところが楽しい。そして周囲のあらゆる嘲笑と疑いと、イロモノ的な興味の中、最初は在野の奇人のお遊びだったものが大学、企業そしてついには国家を本格的に巻き込んで、たった70年足らず(!)の時間であらゆる動物の中から2人の人間に月面を踏ませたのである。(このムーブメントの最初の一撃が、SF作家ジェール=ヴェルヌの「月世界旅行」という緻密な空想物語であった事をSFファンは誇っていいだろう。NASAはシャレが判る組織で、(たしか)この小説から「アポロ」という名前をつけてくれたのである。)

・・・・という半面、ロケットがミサイル開発という戦争技術と表裏一体であったことも歴史の冷厳な事実である。もちろんそうなる事を拒否したロケット屋も数多くいるが、ロケット屋の最重要人物にして、アポロ計画のフォン=ブラウン博士はれっきとしたナチスの一員であり、ヒットラーとも面識がある人物だった。そんな彼がアメリカで英雄となるのだからけっこうイイカゲンだよね。一説によると、時々間違えて大統領のことをヒューラー「総統」と呼んだとか。(嘘。それは映画「博士の異常な愛情」だっつーの)しかし彼がミサイル開発に手を染めたのは、月ロケットを作成するための一つのシュミレーションにすぎなかったというから大変である。彼にとって「月への1ステップ」に過ぎないその「V2号」によって、一千発以上撃ち込まれたロンドンはおそるべき被害を受けた。これがICBMの元祖である。そして大戦後、米ソ両国によってその先端には核弾頭が搭載され、人類は初めてここに「地球を抹殺する力」を手にいれることとなったのである。

  さて、ここまで読んだ方は筆者が彼らロケット屋を批判していると思うかもしれないが、実はそんな事はないのである。人類が地球の主といったところで、ゴキブリや三葉虫や恐竜だってそうだったのだ。しかし彼らはどんなに繁栄しても、引力圏を脱出することはなかった。今まで人間が築いた文明の証として、全人類と地球を質草に入れて大バクチをした彼らを、筆者は許可する。その配当は何かだと?宇宙から見た地球の写真、月に残されたアームストロング船長の足跡。これで充分じゃないか。(アポロ計画への批判は多いが聞くに足るのは唯一、コラムニスト山本夏彦氏の「月はながめるものである」という言葉だけであろう)

宇宙開発とそれに命を掛けた「ロケット屋」のドラマは、パイロットのほうに照準をあてたものでは映画「ライトスタッフ」「アポロ13」や立花隆「宇宙からの帰還」(講談社)などがあるが、「YAWARA」や「MONSTER」の作者、浦沢直樹にも中年パイロット志願者を描いた好中編「NASA!」がある。これは「挑戦する中年!」というジャンルでいつか紹介したい。(出来ねえと思うぞ、時間的に。夢枕漠の「空手道ビジネスマンクラス練馬支部」とか、柳沢みきおの「男の自画像」とかいろいろあるんだけど・・・)


学者中心の作品では伊藤智義・森田信吾の「栄光なき天才たち8」(集英社)を一読されたい。とくに「栄光なき」シリーズは他にも様々な人物を取り上げ傑作をものしているが(お勧めは1-3)、本巻はその中でもとび抜けて大傑作であります。ここで印象深いシーンは数多いが、中でもアポロの月着陸のTV中継をソ連の科学者グループが見つめる場面が印象深い。資金問題から早々と月旅行計画を中止した政府の為、いわば「不戦敗」となった彼らが、羨望と悔しさと共感の混じった目で画面を見つめる。その背後ににあるツィオコルフスキーの巨大な肖像。その下には彼の言葉––––「今日の不可能は、明日可能となる」が、まるでこの瞬間を予言しているかのように刻まれている・・・・・(しかし物語的には完璧だが、実際にソ連の科学者が集まってTVを見たのか、本当に肖像画が飾られているのかはわからない。これは「ドキュメンタリー・マンガ」がそのジャンルに関わらず内包している問題点でもある)

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今日の不可能は明日の可能である 栄光なき天才たち「宇宙を夢見た人々」ツィオルコフスキー

あさりよしとおまんがサイエンス2」はいわゆる「学研まんが」を現代風のセンスと味付けで構成した作品です。人間ドラマ(歴史のエピソード)とロケットの科学的説明(人工衛星と月ロケットの条件の違いってわかりますか?俺はこれで初めて知った。)をバランスよく配置し、また従来の学習マンガのお約束を逆手にとってパロディ化したりと芸が細かい。それもそのはず、作者のあさりよしとおは「宇宙家族カールビンソン」という八割以上がパロディネタというマンガを10年近く続けてているくらいですから、パロディはお手のもの。彼自身も宇宙マニアである。

今、このかなり前の文章を自分で読んで気づいたけど、これは松本仁一記者の「カラシニコフ」(第二部が朝日新聞で連載中)に自分が抱いている、興味や問題意識と共通しているんだなあ。