先週分の感想書こうと思ってたけど、今日次の号がでちゃうな。まあいいや。
「はじめの一歩」はここ最近、ベテラン選手が一歩の日本タイトルに挑むという話をやっている。
普通の体力やパンチ力では勝てない相手に、あらゆる駆け引きや戦略、小技を駆使して苦しめる、という「キンシャサの奇跡」の縮小版のような展開で、一歩は顔面を一部カットする。
死闘の末、ラウンドも押し迫った終盤、クリンチで頭を低くした一歩の傷に、挑戦者のグローブがかかる。試合前に仮病で相手の油断を誘う(失敗)など、ありとあらゆる姑息な手段をとってまで勝利を望んだ挑戦者は「グローブで傷をこすれば、かならず一歩は出血する(それなりによくある話らしい)。そうすればTKO勝ちだ」と確信する。しかし・・・なぜか挑戦者は手を離し、最強のチャンプとの撃ち合いを選択した!!
という展開。けっこうグッときます。
しかし面白いもんで、このグッと来させ方というのはある種「両面待ち」でしてね。「2枚目半のダーク(ダーティー)・ヒーロー」とでも定義しますか、ことスポーツがテーマだと「とにかく勝つこと優先で、あらゆる小技や姑息な手段を取る選手」というのを”その勝利への執念は見事!!”という形で肯定的に扱う、というストーリーも結構多いっすよね。
同時に、こういう「はじめの一歩」風に、最後の最後で姑息だった相手が、及ばずながら?正々堂々と闘って玉砕しても、また絵になる。
たいへん、おいしいキャラですなあ。ゲゲゲの鬼太郎の「ねずみ男」はやっぱり必要な人物造形なんでしょうね。
他の小説や漫画で、姑息・セコさが逆に魅力となった人物といえば・・・
たとえば「修羅の門」ブラジルVT編の傭兵・ブラッド=ウェガリーはいい人物造形だった。
もともと修羅の門は、トータルで見るとアメリカ・ボクシング編で、同国の人種差別を話のご都合に合わせて陳腐な扱い方をしたことや、そもそストーリーを支えるに足る画力が不足していることなどをあわせて、完成度は高いとは言い切れない(未完だしなおさらだ)が、このブラジル編・準々決勝からの密度は最大級の賞賛に値する。主人公の準々決勝の相手を務めたウェガリーの、あの反則とトリックに満ちた戦いぶりは、あんがい決勝や準決勝以上に印象に残っているファンがいるかも。
未完の次ストーリーでは、密林に向かう陸奥九十九のガイドも務めるはずだったんだっけ。
あと一つは、「月下の棋士」より。
これはちょうど連載途中のリアルタイムで書いた文章の一部だ。
当時は「ヒカルの碁」ももちろんないし、なによりその後の「月下の棋士」のグダグダぶりを知るよしもなかったが・・・ここにもその種の、汚さ卑怯さを魅力にした仇役が登場する。
元々将棋を漫画にする、というのがかなり困難な事は判るだろう。大の大人が二人して座ったままで、吹けばとぶよな将棋の駒(C村田英雄)を動かしあってる、という光景をどう漫画で表現せいというのか。どう描いたって面白くならんよ。・・・普通の常識ある漫画家ならこう考えるのが当然というものだが、そこは「哭きの龍」で麻雀漫画の常識を打ち破った男だ。画面自体は静的といっても良いくらいなのだが、その緊迫感は、まるで全世界の運命がこの将棋にかかっていると錯覚してしまいそうになる。その迫力は台詞に負うところが多い。。「将棋を指し続ける事が、生きることだ。」「銀が泣いてるぜ!」「地獄か,行ってみてえな、そんなとこ!」・・・・ハッタリの大爆発だ。この漫画、ずっとテンションがあがりっぱなしなのである。
棋界の常識に挑戦する1匹狼、氷室狂介の物語である。ニヒル(笑)で、指し手も服装も態度も棋界の常識や秩序感覚をはなから無視しているが、その裏にかいま見せるのは子供のような無邪気さである。彗星の如く表れたこの男は、棋界の実力者達を向こうにまわしての快進撃を続ける。
彼の祖父はかつて「棋界の暴れん坊」とよばれた実力者であったのだ。氷室の生涯のライバルは、天才の誉れ高い若き名人・滝川である。将棋のエリート中のエリートとして育てられたサラブレットの彼と、奔放な荒馬を思わせる氷室の対照の妙がいい。まったく異質であるからこそ、共に輝くのである。また、天衣無縫な刈田棋士もいいが、もっと凄い男がこの物語には登場する。棋聖・大原康雄その人である。
凄いといっても、名人の位を滝川に奪われる位だから、その実力が突出しているわけではない。その執念と純度の高い俗物性に圧倒されるのである。先ほど述べた、名人の位を滝川に奪われる1戦では、負けると同時に将棋盤の上に倒れて、病院へ運ばれる。しかし、ベッドの上では、これで明日の新聞の見出しは滝川でなく自分だと喜んでいたりする。
その後行われる「王竜戦」で、大原は病室から酸素マスクをつけて現れるのだが、なんと対局前氷室を別室に呼びこみ、不治の病に侵された自分のカルテを見せて「どうか負けてくれ!」と土下座するのだ。その癖、それを断った氷室が怒りと共に勝負を始めると、「何のことやら・・・」と全く気にするそぶりも見せずに堂々と渡り合うのである。その攻防のなかで病状が進行していくが、彼はよだれを垂らし、手を震わせながらも死ぬまで指し続けようとするのだ。
恥も外聞もなく、どんな手を使ってでも勝利と栄光をもぎとろうとするその行動が、なぜか不思議と読者に嫌悪感を抱かせることがない。それは、彼の勝利への執念が「正々堂々と戦って敗れる」というスポーツマン精神を逆に、真剣さの足りない甘ったるい考えに見せてしまうからだ。大原は、棋聖と呼ばれる程の名声を持ちながら誰よりもハングリーな精神を持っている。屍を喰らおうとする飢えた狼を、誰が汚いと批判するだろうか?
・・・・もし、ドラマ化するなら、この男を演じられるのは金子信夫しかいない!と思っていたら金子氏は先日急逝された。おかげでキャスティングの構想が崩れた(筆者が考えても勿論何の役にも立たないが)と或る友人に嘆いたら、「お前は発想が小さい。あれの将棋をチェスに変えれば、
ハリウッドに売り込めるだろ。主演・トム=クルーズ、滝川はD=ワシントンで大原はジャック=
ニコルソン!どうだ!」・・・あまりにも凄い発想に驚いたが、たしかにいいアイデアである。この読者の中で、友人にハリウッドの映画プロデューサーがいる方はご連絡下さい。
最後に将棋つながりで、夢枕獏「風果つる街」を。
主人公は流れ者の、年老いた真剣師(将棋の野試合にカネを賭けて勝負する人。いわゆる公式の「プロ」ではない)。実在の真剣師・小池重明がマスコミに注目される前の作品だったかな?
賭け将棋のあがりで放浪する以上、そんなに裕福なはずもなく、万引きや野宿なども行う薄汚れた親父だ。
で、彼に賭け将棋で負けた相手が、腹いせにわざと汚れた地面に賭け金を落とす。
ほしければ地面に這いつくばって、カネを拾えという挑発だ。
普通のエンターテインメントの主人公なら、こんな侮辱に対して張り倒すか、殴るか、蹴るか・・・・・・とにかく盛り上がる場面のはずだが。
この爺さん、なんのためらいも見せずに這いつくばってそのカネを回収し、懐に入れる。そして一言。
「どこに落ちても、金は金でね」
どんな強烈なパンチやキックより、相手の敗北感は大きいだろう(笑)。
さすが夢枕獏、だてに勝負モノ小説の第一人者をやっていない。