INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

本日UFC、リョートvsランペイジ、BJペンvsマット・ヒューズ

http://www.wowow.co.jp/sports/ufc/index.html

11月21日(日)よる6:00 [再]11月24日(水)午後0:00

ランペイジ vs マチダ/ヒューズ vs BJ ダブルファイト!
王座返り咲きを目指して、4人の元王者が激突する!


今大会は、4人の元UFC王者たちが王座返り咲きを目指して激突する。メインカードは、「ランペイジ(暴れん坊)」のニックネームでお馴染みのクイントン・“ランペイジ”・ジャクソン日系ブラジル人リョート・マチダのライトヘビー級の一戦。ランペイジは第7代UFCライトヘビー級王者で、トップファイター達と数々の激闘を繰り広げ世界的な人気も非常に高い。5月に行われた宿敵ラシャード・エバンスとの一戦には敗れたが、その実力は誰もが認めるファイターだ。
一方のリョート・マチダは前ライトヘビー級王者。総合格闘技戦績無敗のまま王者に上り詰めたが、前回のマウリシオ・ショーグンとのタイトルマッチでまさかのTKO負け。王座陥落とともに連勝記録が16でストップした。実力伯仲のライトヘビー級トップ戦線、王座への挑戦権を獲得するためにはどちらも負けられない試練の一戦となる。
もうひとつの元王者対決が、マット・ヒューズ対BJ・ペンの一戦。マット・ヒューズは元ウェルター級王者でUFCの殿堂入りも果たしているレジェンドファイター。ヘンゾ・グレイシーヒカルド・アルメイダといった強豪を破るなど現在3連勝中。一気にトップ戦線へ浮上した。
対するBJ・ペンは世界中に衝撃が走った現ライト級王者フランク・エドガー戦2連敗後の復活をかけた重要な一戦。今回、階級をひとつあげてウェルター級で戦うことが予想されるが、結末やいかに。過去二人の対戦成績は1勝1敗、ついに決着のときを迎える。UFCの頂点を極めた4人が復権をかけて激突!

元王者がそれでも商売になると、興行の幅がぐっと広がるね。

吹き荒れる「マット・ヒューズポジション旋風」。日本でもこれが決まり手の試合が連続。

ぼくがはてなキーワードを作った「マット・ヒューズポジション」も思惑通り参照されることが多く、そこから来訪する人も多いや。

そしてあの後、日本のプロ格闘技大会で2連続、このポジションからの加撃がフィニッシュとなる試合がありました(探せばもっとあるけもしれないけど)。

中村K太郎vs和田拓也(SRC)


写真で見たい方は
http://news.livedoor.com/article/image_detail/5107714/?img_id=1483113

もうひとつがパンクラス


http://gbring.com/sokuho/result/result2010_11/1103_pancrase_02
▼第2試合 バンタム級戦 5分2R
佐々木亮太(BAD ASS13/2009年NBT同級優勝)
TKO 2R2分34秒 ※レフェリーストップ
●斉藤良(和術慧舟會TLIVE)
(略)
  相手の両手両足を抑え込むマット・ヒューズポジションで顔面へパンチを連打する佐々木! 斉藤は30秒近く殴られ続けた。 
 2R、すぐに両足タックルでテイクダウンする佐々木。果敢にパスガードを仕掛ける佐々木がサイドを奪い、またもマット・ヒューズポジション! パンチを連打したところでサブレフェリーが笛を吹き、試合をストップした。
 
(※写真もGBRから)

注目すべきは2団体とも、UFCとは違い肘打ちは禁止していること。この体制からだと圧倒的にパウンドより肘が使いやすく、威力もあると思うが、不完全な体勢からのパウンドだけでも連打により勝利できるのだ。
 
あとは、どこかの格闘技漫画が使ってくれないかな。オールラウンダー廻は、まだアマ修斗ルールだから駄目だ(笑)。
こうやってみると本当に無敵の、脱出不能の技に見えてくるが。
 
【追記】本日のUFC123でもポール・ケリーがマット・ヒューズポジションからの連打でTKO勝利。

【さらに追記】菊田早苗もDEEP50でこのポジションから殴って勝ってた。


その後、ずっとしてからの追記
youtubeでの技解説も増え、この技を教える動画も誕生した。
www.youtube.com

まだ「暴力装置」ブームが続いているので乗っかる。

暴力装置、すなわちバイオレンス・マシーン… マシン軍団…

と、英語に直訳できるかは別として、連想。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100131#p1


フフフ・・・そうか・・・
社長がそう言ったのか・・・・・・。
社長が言ったんじゃあしょうがねぇな・・・。
楽しかったぜアンドレ・・・いや実に気持ちがよかったのォ・・・
お前がマスクマンになった時の、日本中の驚きようといったらケッ作だったぜ!
 
しかし社長が正せい堂どうというんならしょうがねェ・・・
俺はヤボじゃねえのよ
ここまでだ アンドレ・・・これでジ・エンドだ・・・

また、泣いた。

どうしてもあの言葉を問題だとしたいなら、こういうのはどうだろう

わが国軍じゃなかった自衛隊の精鋭25万人の中から「暴力装置という言葉はいやだ」っていうひとを一人か二人探してくる。
そして

「その言葉や表現で傷つくひとが一人でもいるなら、その使用は避けるべきだ」

と主張する。これがなぜか通じ……てたまるか!!  だが、そういう論法が流行った時代もかつてはあったような。

学術用語などを、語感で?問題視する愚かしさに今回注目が集まったのはいいことかも。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110003351860

■民族差別語と見なされた「東鮮暖流」「北鮮寒流」等の海流名の由来と代替名
 
「朝鮮」を「解」と略した「東鮮暖流」「北鮮寒流」という海流名は, 民族差別と闘う連絡協議会によって1991年に「日本の植民地時代以来の差別的な表現」だと見なされ, 文部省 (1992)『学術用語集』から削除された。
本報では約30編の文献を精査して「東鮮暖流」「北鮮寒流」は宇田 (1934) に,「西鮮海流」は野満 (1931) に,「北鮮暖流」は日高 (1943) に, 初記載があったことを突き止め, これら海流名の扱い方を考える。平 (2000) が提案した「東朝鮮暖流」「北朝鮮寒流」を取りあえず代替語とする。ただ「東朝鮮暖流」は今後よく使われそうなのに, 口頭では多音節で冗長だから,「東の鮮やかな暖流」の意味を併せもつ「東鮮暖流」という海流名が22世紀またはそれ以降, 朝鮮民族のご了承を得て復活することを希望する。野満 (1931, 1942a, b) が本文では「西朝鮮海流」を, 海流図では「西鮮海流」を用いていた事実は, 海流略称はもともと図面空間節約のため生じたもので, 差別意識とは無関係であった証しである。

本文はPDF。こちら

「サマーウォーズ」、深町秋生ブログでの批判を考えた (副題〜「世界を救うのは僕らだけ」を「あとの奴らはみな愚民」にしない演出とは)

繰り返しますが本日を初日にCS「日本映画専門チャンネル」でサマーウォーズをノーカット放送。
http://www.nihon-eiga.com/prog/003376_000.html

で、この機会に地上波放送の直後に発表されはてなで大きな反響を呼んだ「深町秋生のベテラン日記」におけるサマーウォーズ評を読んで以降、考えていたことをまとめてみたいです。
その評論はこれ

■2010-08-13 アナーキーな自警団「サマーウォーズ
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20100813
そのはてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20100813

実は自分は、地上波放送をリアルタイムでは見ておらず、上のブログが話題になってから撮り置いたものを見たので引きずられた〜というか、指摘された上で見ないと分からなかった〜ようなところも多々あるが、ここに出ている「細部の不自然さ」についてはなるほどと思うところが大半だった。


フィクションを作るときには当然ながら「ウソ(不自然)とわかっているけど、他のメリットを考えたらここは承知でウソをつく!」という決め球のウソもあるし、「リアルな説明に置き換えることも可能なのに、考える手間を惜しんでご都合主義のウソ(不自然)を書いちゃった」という失投のウソもある。
「ストーリーや設定のウソ・不自然さには細部も含めそもそもこだわらない。別の魅力で楽しみたいので」というファンもいることは知っているので、これは個人の趣味だと強調するが、やはり自分は「失投」部分が極端に少なく、細部まできっちり説明できるような作品が好きです。
そういう点で、この映画は深町氏の指摘する部分も含め、もっと自然なウソをつける余地があった(失投を減らせた)と思います。
逆に言うと深町氏が全体的にこの映画を低評価しているのとは別に。”深町的存在”が脚本段階から参加し「この場面、不自然じゃね?」「もっとうまく説明できないの?」と付箋をつけて返す…というようなことをやっていればとは思います。何かの本で名作の脚本は、多くそういう「脚本を読んで不自然なところにいちゃもんつけるだけ」の存在を多数そろえてチェックさせる…と聞くんだが、そういう例は言われるほど多くないのかな?

例えば素人レベルで、深町指摘の細部を修正するなら…

もしくは、「シャーロキアン的にウラの説明を考える」のも兼ねる。

「…健二は、翌朝には指名手配犯となって、早々にテレビで顔写真がさらされる。まずこれに違和感…テレビという巨大メディアが少年の顔写真を載せるとは思えない。しかも目を黒線で隠すなんて。現代の報道番組では…」

 →これは「大画面で、目に黒線の主人公が大写し!という場面をどうしても描きたい」という「決め球のウソ」かも知れないが、もしそうではないなら深町氏が例にしたように「過激が売り物のメディアや2ch的サイトでは顔写真・実名を暴露。ぼかした表現をテレビで聞いた主人公が慌ててそっちにアクセスしたら顔写真がどーんと出ていて思わず絶句」とかに書き換えられるかなあ、と。

「主役の健二君は、なにもこの暗号解読にひとりで奮闘する必要はなく、アカウントが解放される後半などは、自分と同じような世界の天才数学者と共闘すればよかったのではないか…」

 →たとえばOZの中では敵プログラムが目を光らせており、主人公がそれを公開・共有しようとすると相手はその対策をとってしまう。結果的に自分ひとりで考えるしかない…とか。これはシャーロキアン的にウラ設定でそうなってる、と考えて納得できるかも。

…どういうわけかOZにいる無数のアバターは、「ぼくたちを守ってくれ」と主役たちにお願いし、なんだかよくわからない日本のカードゲームのために、世界中の人間が自分のアカウントを主人公たちにあっさり預けて…

 →例えばあのヒロインのアカウントはいきなり登場した無名の人物ではなく、この世界の花札で以前大活躍し世界中に名前の轟いたものの、途中で消えた伝説の…だったとか。「え、あれは先輩だったんですか?」。あの親戚の子(格闘ゲームでのレジェンド)との繰り返しギャグになっちゃうけどね。またあの世界ではすでに花札がOZワールドでは一番人気のポピュラーなもの、という設定にすればどうでしょう。いくら天才数学少年でも花札のルールは一発で飲み込みにくいと思うし、主人公とおばあちゃんの花札のやり取りの中で「OZという世界では花札がいま大人気で、世界の誰でも知ってるゲームになってますよ」「おやまあ」なんてやり取りをしてればどうでしょうかね。


……まあ、こういうふうなことを素人が提案しても、演出面での問題や時間の制約、他の不自然点などがぽろぽろ出てしまうのはおそらく間違いないでしょう。ただまあ、別のルートもあり得たかも、というのを自分なりに納得する程度には至ったです。

ある程度「素人の精神論が専門家の精神安定剤になる」ことはあるかも

「社会がパニックに陥っている」と判断したおばあちゃんは、なにやら警視総監にまで意見をするのだが、世にとってこんな迷惑な行為はない。見ていれば単なる精神論……「頑張れ、落ち着け、やればできる」という程度で混乱が収まるのなら、世界はじつにちょろいものだ。アドバイスをもらった警視総監は頭が痛かったのではないか。この非常時に必要なのは、事態を解決できる専門家の冷静なアドバイスであって、田舎の90歳にもなるおばあさんの久しぶりの電話ではない。

これに関して、高坂正堯佐高信の対談があります。

以前この対談を自分は
「それにしても高坂氏はこの対談で、合気道の名人の如く佐高の議論を次から次へと(言葉は優しいのだが)一言ふたことであやし、自爆させ、切り捨てている。」
と評したことがあるようにとっても面白い対話なのだが(佐高信の頭の悪さがよく伝わる)、この中で「吉田茂佐藤栄作安岡正篤なんかを師と仰いでいるからけしからん!安岡と疎遠だった田中角栄三木武夫は偉い!」という佐高の言葉に「ありゃあ、おじいちゃんとあれこれお話するという精神安定剤みたいなもんですな。僕は政治家はブレーンの政策論をあれこれ聞くより、おじいちゃんとのおしゃべりで落ち着くほうがいいと思いますよ」(大意)と返すくだりがあります。政権の政策ブレーンの役目を何度も務めた本人が言うところが京都風というかなんというかだが、確かに「素人の精神論的な励まし」が、孤独な実務リーダーの支えになることはあるのだから、このへんの描写は個人的にはセーフかと思う。
 
もちろん救急隊にかけるのはマズいとか(笑)、多少の修正はしたほうがいいと思うけど。「現場は忙しい」のもしかりですが、これは「被災地や事件現場に国のトップや象徴はいつ行くべきか」という話にもつながっていて、実務側の佐々淳行は「すぐに来てもらったほうがやっぱり士気が上がるので来てほしい。ただし邪魔をしないやり方で。そのやりようはある」ということを言うてました。

あるいは脚本上、「このおばあちゃんに、精神論ではないもっと役に立つ立場を与えたい」ということなら…”裏社会にも精通したフィクサー”になってもらうとか(笑)。これを政府の失策だと攻撃しようとする野党に「今はそんなことやってる場合じゃない!一丸で対策するのよ。大連立を組んでもいい」と工作するとか「組長さん?いつも世の中に迷惑かけてるんだからこんなときは若い衆を出しなさい!今はXXXの作業を人力でやるしかないんだから、人手はいくらあっても足りないよ!」と、アウトでローな集団に電話するとか…造型壊しまくりだな、失敗(笑)。

お婆ちゃん&一家が「リアル田舎名家」とかけ離れたリベラル家庭なのは「決め球のウソ」だと思うのでこれはいいや

http://togetter.com/li/58643
から町山智浩氏の感想抜粋。

アジア人が家長制に抑圧されてきた歴史を知らない監督には、それがただ素晴らしいものにしか見えず、その伝統に逆らう者は子どもにしか思えないのでしょう
 
父の実家は文化財に指定されてる旧家なんですが彼はそれが嫌で逃げ出して一度も戻らなかった。墓参りや葬式にも出なかったので裏切り者扱いされてました。死後に代わりに僕が行ったらサマーウォーズどころじゃない体験しました。どこかに書きますよ。

対話している人のエピソードも面白いが、ここは甘いといえば果てしなく甘いのでしょう。細田守監督は「実際に信州出身の嫁さんと結婚して家族づきあいを体験したことが元になっている」というから、本来持っている大家族のわずらわしさや抑圧もたぶん知っていて、その上でこれは「決め球のウゾ」をやっていると思います。それに「この映画、わたしたちがモデルなんですって?」と監督の親戚一同が見に行ったでしょうしね(笑)。
これはいいかなあ。
あと、「本来だったら抑圧的であっておかしくない名家がリベラルで…」という設定の「龍」が好きだったので、それで慣れたというか否定したくないというのもある(「龍」は母親すらいない、大家族とは無縁の話だが)

龍(RON) (1) (ビッグコミックス)

龍(RON) (1) (ビッグコミックス)

「世界の危機を救えるのは僕らだけ!」という物語で「他の皆さんもがんばってる、力を借りたい」とするにはどーすべきか。

いよいよ本題です。上のあれこれは本題前ということになる。
はい、認めますが構成ミスです(笑)。

自分や友人や親族以外は、みんな無能の百姓で、とるにたらない子羊であり、『三国無双』で、豪傑の武将に0.5秒で斬り殺される雑兵であるとでも主張するかのようだ。対等にものを言える人間がまったく存在せず、世界は彼らにもたれきっている。…(略)…この一族以外にも世界には、称賛するに値するすばらしい人間たちがいくらでも存在しているという敬意や怖れがまったく見られない。だからこそ、この一族だけで戦わなければならなくなるような制約が絶対に必要になってくる。

もっともな感想と思いますが、これはひょっとして「サマーウォーズ」にとどまらず「ヒーローたちが世界の危機を救うため、巨大な悪と戦う」という物語をつくる際、かなりの副作用として存在するんじゃなかろうか、と感じたのです。
そこから「じゃあ自分が記憶する中で、これを免れたものはあったかな。印象的な形で『ヒーローとその仲間だけじゃない。みんなの力で世界は救われたんだ』となったものはあるかな…」といろいろ考えてみた。
 
(その前に一応例外を。「世界の危機をそもそもほかの人はだれも認識せず、人知れず巨悪と戦い人知れず地球を救う」という話ならこの問題は免れる。ぱっと思いついたのは、ながいけんの「笛座輪芸」氏だが、往年のファンロード読者以外誰もついてこないのでこの話は打ち切る(笑))
 
いろいろ考えた末に思いついたのは…桂正和氏の「ウイングマン」のクライマックス。第一部ではまさに「人が知らない危機を、知らないうちに救う」というものだったが、第二部のラストでは敵も堂々と地球征服を宣言、世界の「暴力装置」をつぎつぎ打ち破っていく中で、主人公のウイングマンは、自分の変身能力を、すべての人類に分かち合うのです。


 
そして群民蜂起というか革命勃発というか。草奔崛起というか。

 
ただ、最後はヒーロー、主人公にパワーが収斂されていって、そこで話としてはすっきり「最後の決戦」に持っていく。

ウイングマン 7 (集英社文庫(コミック版))

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ウイングマンこと広野健太はみんなの期待と夢の力を得て、帝王ライエルに決戦を挑む!! 果して地球の平和を取り戻せるか? 英雄浪漫ここに完結!!

……そうそう他の作品に応用できる仕組みじゃないね(笑)。映画「T.R.Y」でも、最後は民衆が立ち上がって…というオチではあるが、「騎兵隊が駆けつけてくれた!」の変形っちゃ変形かもしれんし。
ただ、最後に一般大衆のウイングマンが主人公のウイングマンに一体化される(そのパワーで巨大化する)シーンを見たとき、サマーウォーズでも、アカウントをヒロインに委託する人たちも、それぞれの持ち場でコンピューター・ウイルスと戦うレジスタンスであり、そういう人たちが敢えて彼女に運命を託した…といった演出だったらよかったのかなあ、と思いました。


と、まとめに入ったこの瞬間「そういや『うしおととら』も『主人公たち以外の普通の人たちも、その持ち場持ち場でがんばってるよ』という描写はうまかったなあ」と思い出した(笑)。

うしおととら 文庫版 コミック 全19巻完結セット (小学館文庫)

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うしおととら (1) (小学館文庫)

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だが、そこまで展開できるはずもないので、それは投げっぱなしにしておしまいにします。

このエントリを読んでくださった皆さんにも尋ねてみる。

【募集】皆さんは「俺たちしか世界を救えない」という面と「他の名も無い人たちも頑張っているよ」という面を上手く両方織り込んだヒーローものに心当たりありますか?あれば教えてください

※【補注】この記事には当時、ブクマとコメント欄でいろんな実例を教えてくれたのだがダイアリー→ブログへの移転時に、それらの多くが失われてしまったようで残念です。