ひところは「重要会見の全文文字起こし」はGBRの専売特許だったのだが、今回はkamiproサイトでの実施となった。
三大格闘ネットメディアをくらべてみよう
GBR
http://gbring.com/sokuho/news/2009_11/1113_k-1.htm
スポナビ
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/headlines/20091113-00000008-spnavi-fight.html
kamipro(記者会見全文掲載)
http://www.kamipro.com/news/?id=1258115550
これは記者の要約能力とか意図的な報道姿勢とは別に、構造的に「全文掲載」と「要約した記者会見記事」は違ってくる、ということどす。今回、kamiproが会見の全文掲載をしなかったら、受け取る我々の情報量がまるで違っていて、反応もおおきく変わっていただろう。意図してかどうかは分からないが、kamiproは数多くの記者が出席したであろうこの会見で「スクープ」を取ったことになる。
さて、逆に言えば今回の発表、主催者は・・・「扱いはあんまり大きくしてほしくないな、できればサラッと流してほしいな、ついぶっちゃけた部分はコレ(手ではさみをつくってチョッキンのポーズ。さんまがよくやるあれ)で」と思ったかもしれない。
全文掲載というのはその部分をたやすく破ってしまう。
(止めることもできるだろうが、主催者や選手はその場合、公式に(その発言をする前に)「オフ・ザ・レコード」を宣言、取材者に了承してもらわねばならない。それで了承しないこともあるし、了承されたとしても「私はその発言をあまり公にされたくないと思ってますよ」という宣言をするのと同じになる)
OMASUKIはみんな読んでいるらしいからNHBニュースとかに引用転載ってちょっと躊躇するんだけど、これは転載したかな。
実はこの前、10月5日のDREAMにおいて、こんな一幕があったのです。
http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-644.html
なお、ヨアキム・ハンセンの試合後コメントの映像を見ていたら、公式サイトには掲載されていないコメントがあった。通訳も無茶苦茶なのであるが、「私にはすぐにワーク・トゥ・フィニッシュの注意が入るが、青木は少し長めに動かなくても注意されなかった。そういう小さいことが重なって気分が削がれた面はある」と語っている。米MMAサイトでは、今回のDREAMのレフリングの日本人びいきが過度であったと評する報道が多い。
これはDREAMが意図的に不都合な部分を削除したというより、現場の通訳によるおおまかな訳と本人の発言にずれがあったこと、英語を直接聞いてそれをメモする記者はそういないということが原因のようだが、結果的に会見動画の存在と、記者以上に英語に詳しいブロガーの連携によって、埋もれた事実が発掘されたのは間違いない。
あらためて考えてみれば、会見や裁判その他のやり取りを「全文」掲載する(動画がみられる)、というのは放送時間や記事スペースの規制が緩いCS・ネット時代ではないと不可能なものであり、本当につい最近生まれた若いカルチャーなのだ。
ひとつのパワーであることはもはや疑いないが、その影響、メリットデメリットを社会はまだ、把握していない。
周辺状況が「全文掲載」を後押しする
実は、ちょっとした慣習や風潮の変化が、こういう変革をもたらしている。
元時事通信の政治記者、現在解説委員の田崎史郎は、著書の中で「携帯電話、パソコンは96年から急速に普及、ICレコーダーは2000年7月の九州・沖縄サミットで記者団向けのキットに入っていたのがきっかけで、マスコミに一気に広がった」という。
そして記者会見の光景をこう描写する
カシャカシャ、カシャカシャ・・・記者会見場で川村建夫官房長官が発言している間、パソコンのキーをたたく音がやむことはない。出席している記者の約三分の一がパソコンを持って入り、質問を発することもなく、ただ、記録している。
そしてある政治家の話として
「(今の記者は)まるで『メモ魔』ですよ。記者会見で、まずICレコーダーをおく。その上に、私のほうを見ないでひたすらパソコンのキーを叩いている」
という著書で、彼自身の主張は旧時代の記者らしく「メモはアンダーラインを引けるがパソコンは簡単じゃない」とか「表情を読み取ってカンをとれ」てな感じで批判的ではあるが、ともかくも現実として記者会見でそのままやり取り、発言をパソコンに入力する記者がどんどん増えてきているということだ。
そして、これはいい悪いではなく物理的にメモ書きのときより活字化できる文章量は爆発的に増える。熟練者なら、そのままネット媒体に流すこともできる。(最近、
自治体の福祉イベントも手話ではなく話をそのままキーで打って画面にながす「要約筆記」が増えた。ほぼ9割5分くらいはしゃべりを字にできてるね)
実は旧時代の記者がこだわるのは分かるが、言葉を細かいところまでいったん文字化したり、ICレコーダーやビデオで何度も要点を聞けると、旧時代記者だったらつかめない情報やニュアンスを読み取ることもやっぱりできるんでさ。
実は自分は、1984年という作品そのものを読む前に、「1984年」をネタにした社会評論のほうを好きでよく読んでいた。書名が書名なので、1984年前後にはブームがあって(笑)、あとから読んだのだっけかな。自分は何と言うのかな、いわゆる「擬似イベントSF」的なものは何でも好きなのだ。
その中で、オーウェル的状況が起きるかおきないか、侃々諤々の議論をする本だか新聞の中で、「いや、起きませんよ」という説に立つ論者の言葉で、印象に残っているものがあった。
「オーウェルのこのSFは『技術は独占できる』という前提のもとで成り立っています。だが実際には技術は支配者にもその反対勢力にも、等しく広まっていくんです。だからこういう事態は起きにくいというか、技術が独占されなければ自由はより増す」(大意)
いまだに、これを思い出す。慧眼だった。
主催者側・発信側がコントロールしたいなら、今までの流儀は通じない。
話を今回の角田氏「業務停止」および、記者会見全文掲載問題に戻すと、K-1側はkamiproのような全文掲載を「海のように広い心ー」(あずまんが大阪風)で許しているのかもしれないし、「あちゃー、必要最低限のことだけ載せりゃいいのにこんなに全文文字起こししやがって。空気読めよおまい。東京湾に浮かびたいんか、それとも秩父に埋められたいんかワレ」と思っているのか、それはわからない。
ただ、主催者がコントロールしたいのなら、へんな話だが「全文掲載は禁止します」とか、今後十分あり得る「(メディア側の)会見動画のアップロードは禁止します」というふうに、あからさまな形で”禁止”を明言していくしか、これからは無くなっていくだろう。ただもちろん、それは反発を招くというデメリットもあるし、記者会見を抜粋するか全文にするかは編集側の判断だしね。
本多勝一氏は得意技として、敵対メディアから取材すると膨大な反論とか罵倒文とか、関連資料を出して「これらを全部掲載してくれるならOK、そうでないなら不許可」と言うことがあった。答える側が「全文掲載」を求めるということもある。
私がかつて予見したとおり(えへん。というかこのテーマでは、ほぼ自分の予測どおりに状況は推移している)、
http://www.youtube.com/user/DREAM
では主催者側が「宣伝」「PR」のために積極的に記者会見動画を使い始めた。youtubeとの連携によって動画をネットに流すコストを軽減するというのも見立て通りだったな。
ここで「Press Conference」「interview」 で検索して閲覧数をみればいいが、宣伝効果は十分にあると思えるし、団体側も手放したくはないだろう。
ただ、今回の話やヨアキム・ハンセンのような、主催者としては説明せざるを得ないがほんとはスルーしたい問題、うかつな一言などをつっこまれるリスクも当然高まる。
「会見動画時代」「全文アップ時代」の完成は、既存技術がこのまま進歩していくか、報道側のスタンスの変化だけでほぼ完成する。というかこのままでいけばそうなっていく。
それがまずいというなら、「そうさせないための積極的な枠組みをつくる」ことを
「させたくない側」がやっていかないと、できてしまうですよ。
【全文革命】