INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

FEGに「風」が吹いてきたか?戦極と合同の噂&魔裟斗vsサワー決定

小川直也がPRIDEヘビー級GPトーナメントの決勝大会まで進出したときの煽りビデオのテーマが「俺に今、追い風が吹いている」でした。
まあ、その結果はたいそうかんばしくなかったんですけど(笑)

しかし戦極にもDREAMにも、経営面ではいい話を聞かなかった。
いわば洗面器に水を突っ込んで、どっちが先に顔を出すかの我慢比べだったか。谷川氏の会見の様子だと、まだ微妙に障害も多そうだけど
http://www.kamipro.com/news/?id=1258027169
これだけの話が「根も葉もありません」ってこともないだろうしね。
そして魔裟斗vsアンディ・サワー
実は魔裟斗vsサワーの試合ってそんなに印象なく、どんな試合かも覚えてないや。主催者や実況の圧倒的な応援モードが打ち砕かれていくのは面白かったな、ってぐらいで。
しかしまあ、何度も地上波に乗って「脳梗塞のお父さんがいるんだよね」ぐらいのことはお茶の間に浸透しているサワーのほうが、まあお茶の間むけになるでしょうし、魔裟斗はもう「世間様」向けに提供いたしますんでいかようにも、って感じで。
ペトロシアンも今回ボウリングに行ったわけではないようだし(って、このネタも分からなくなってますわね)、今のうちに「闘う理由」をでっちあげてもらいたいものです。
しかし、圧勝の優勝、まだ知名度が浸透していないけど実力は圧倒的の新鋭が(たぶん)拳の骨折という自然な理由で棄権し、ずっと最有力候補だった因縁の相手に決定・・・というのは魔裟斗が自分でいうように「持ってる」のかもしれない。


でも、興行が本当に合同したら、魔裟斗vsサワーと石井慧vs吉田秀彦どっちがメインなの?

イランの学生、最高指導者ハメネイを詰問す(毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/world/news/20091112ddm007030033000c.html

イラン:「なぜあなたを批判するのが許されない」 学生、ハメネイ師を詰問 ◇内外で注目


 【テヘラン鵜塚健】言論統制の厳しいイランで、最高指導者ハメネイ師を面前で批判した男子学生が内外で注目を集めている。

 AP通信によると、その学生はシャリフ工科大で数学を専攻するバヒドニアさん。先月28日、ハメネイ師が同大学で、大混乱を招いた6月の大統領選の正統性について演説した後、質問に立ち、「この国では、なぜあなたを批判することが許されないのか」と詰問。「新聞を読んでも批判記事は見当たらない。国営テレビやラジオは反対派の動きを正しく伝えない」とたたみかけた。

 また選挙の開票不正疑惑に反発して拘束された市民らが、刑務所で拷問やレイプの人権侵害を受けたとされる問題で、最高指導者としての責任にも触れ、一連の追及は約20分間に及んだ。ハメネイ師は「批判を禁じた覚えはない」と答え、足早に引き揚げたという。

 最高指導者を面と向かって批判したという前代未聞の出来事に、反対派市民は「タブーを打破するものだ」と英雄視。これに対し、偽の逮捕情報が流れたり、イタリアの複数の国会議員が「彼の勇気をたたえたい。必要なら亡命を受け入れるべきだ」と発言するなどホットな話題になっている。


近年、事故で亡くなったジャーナリストのデビッド・ハルバースタム(だったと思うんだが。うろ覚え)は多くの政治家、企業家、スポーツマンに取材したが、晩年「あなたにとって一番のヒーローは?」と聞かれて「1989年の天安門事件で、戦車の前に素手で立ちふさがった中国の学生。彼が私にとってのヒーローだ」と答えた。

ここに紹介があった
http://labaq.com/archives/50761341.html

1989年に起こった六四天安門事件の直後に戦車の前に立ちはだかる男を撮影したものである。この勇気ある行動を西欧では称えた報道をしているが、彼が誰なのか確認されておらず、生死も明らかになっていない。本名がわからないため、「無名の反逆者」(the Unknown Rebel)と呼ばれた。

この「無名の反逆者」の祖国中国では、これらの英雄的行動はその人ではなく、宇宙に満ちている正しきチカラ、「正気」が人にそうさせているのだ、という考え方があった。2000日書いていると、これも既に紹介済みだが。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%8C

この宇宙には森羅万象の根本たる気があり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それは地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる。
人の中にあっては、孟子の言うところの「浩然」と呼ばれ、見る見る広がって大空いっぱいに満ちる。
政治の大道が清く平らかなとき、それは穏やかで立派な朝廷となり、
時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。
(略)
この正気の満ち溢れるところ、厳しく永遠に存在し続ける。
それが天高く日と月を貫くとき、生死などどうして問題にできよう。
(略)
賢人のいた時代はすでに遠い昔だが、その模範は太古から伝わる。
風吹く軒に書を広げて読めば、古人の道は私の顔を照らす。

中国からイランへ「正気」は伝わったのだろうか。
しかし、イランが微妙に、中途半端な形で民主的な気風を持っているという話は何度も書いていますが、池の氷も厚く張っているか、完全に溶けているならともかく、ちょっと暖かいときは割れたら上にいる人たちが大惨事になる。イランの民主化をめぐる状況は、それに近くなっている気がする。

TVブロスが「漫画『賞』ビジネス」に参戦。受賞作は・・・

http://natalie.mu/comic/news/show/id/23670

TV Bros.東京ニュース通信社)のマンガ賞「輝け!第2回ブロスコミックアワード2009」の大賞を、岩本ナオ町でうわさの天狗の子」が受賞。本日11月11日発売のTV Bros.11月14日号にて結果が発表され、インタビューに応えている。


ブロスコミックアワード」は、その年に新刊が発売、または発売が決まっている作品を対象に、マンガ好きのブロス関係者50人が選ぶマンガ賞。見事大賞に選ばれた岩本は、インタビューで受賞の喜びを吐露。また昨年大賞を受賞した日本橋ヨヲコによる岩本へのお祝いコメントも掲載されている。

そもそもなんでTVブロスが漫画賞なんだとか、何の権威があるんだとか言うのは容易いのだが、実はどの賞だってランキングだって同じこと聞かれたら答えようが無い(笑)。まだ、どの漫画賞だって完全な権威を打ち立てててないのだから、10年後にはすべての漫画家がTVブロス賞を目指している可能性だってある。
受賞作の「町でうわさの天狗の子」は、一度マンガノゲンバで紹介されたので題名だけは知っている。あの番組も、いまやジャンルが広がってすべての作品には目を通せないから、知るという点でありがたいし、紹介された作品はそれなりだろう。
SF性といえば、ミュータントとか超能力をマイノリティ性の比喩として扱うというカテゴリーがあり、番組を見たかぎりではちょっとそういう部分も感じられた。後日、マンガ喫茶にでも作品があれば見てみよう。

koikesanの著書(座談会)「藤子不二雄(A)ファンはここにいる」発売

藤子不二雄Aファンはここにいる〈Book1〉座談会編

藤子不二雄Aファンはここにいる〈Book1〉座談会編

ブログ「藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記」
( http://d.hatena.ne.jp/koikesan/ )
で有名なはてなダイアリーブロガー、id:koikesanの本が発売された(著者名は「稲垣高広」氏)。
これはkoikesanをはじめとする、ネットなどで活動する藤子ファンの座談会形式によるものだった。


この本が実際に発売される直前に、一度書いたけど
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090828#p4
面白い作品を次々紹介していくという目的には、この「座談会形式」がかなり合っているということ、今回の本を読んでさらに確信を深めた。実際の会話を再構成するときもうまかったのだろうけど、それぞれが自然と役割分担をしているところがおおきいのだろう。そのへんで、よくない座談会にありがちな「いや、みんながテーマに自然にしているその話題の、前提条件がわからんわ」とか「さっきの話と重複してるわ」みたいな部分はなく、スムーズな読み方ができる。

けっこう未読があった。

読んでいて驚いたのは、いちおう「藤子世代」の自分が、読んでない作品があることあること。基本、やっぱり自分は(意識はしていなかったけど)Fを経由して、そこからA作品を読んでいることが多かったということです。奇書とも言われる「劇画 毛沢東伝」は藤子不二雄ランドにも収録されていて(笑)、読んでいるし、どこでだったかな「ひっとらぁ伯父さん」も読むことができたんだけど、「愛ぬすびと」「ミス・ドラキュラ」という作品が女性セブンに掲載され、しかも他の記事を押しのけてトップ人気を保っていたというのはエエエーーーッと驚かされた。「女性セブン」だよ、女性セブン。うーんあなどれない作家だ、A先生。この前「人生画力対決」をした西原理恵子が女性セブンで人気の漫画をかけるとは思えない。

「少年時代」と「まんが道

この2作品は、単独の章となっている。単純な人気でいったらハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿のアニメ化3作だろうけど、そうではなくこの2作をスペシャルに扱ったことはさっすが読み手のこだわりだと思う。


まんが道で面白い指摘があって、「藤子不二雄はぼくらにとっては神様だった。その神様が、神様だといってあがめているのが手塚治虫だったから、我々も当然崇拝した」という。そうなんだよな、シンプルな指摘ながら、あまり誰も言わなかった。考えてみればまさにその通りだ。

私にとって”神”のような存在である藤子先生が”神”とあがめる手塚治虫ってどれだけ遠い存在なんだろう、と気が遠くなりそうでした。なんせ、神様の神様ですからね(笑)
(略)
まんが道」を読んだことで「手塚治虫ってそんなに偉大なマンガ家だったのか!」とようやく気づき、手塚先生のマンガもあれこれ読むむようになっていったのです。

手塚治虫の本当にすごいところは、浮き沈みを繰り返しながらも、自分が「火の鳥」さながらに復活しては最後まで第一線で活躍し続けたことにある、とはよく言われるが、その際に藤子不二雄コンビらトキワ荘世代の回想記、そして「まんが道」の残した、キリストに対する聖パウロ的な役割・・・書いてて自分でもよく分からなくなってきたが(笑)、そういう部分はもっともっと検証されるべきだろう。


手塚のライバル梶原一騎がよく使った「あの闘魂・アントニオ猪木の師匠カール・ゴッチとは?」とか「ダラ・シンと引き分けたリキドーゼン(力道山)に、このわしフレッド・アトキンスは勝ってるぜ!」というのと似ているちゃあ似ている(笑)。
脱線した。
同時に、最近のマンガ研究のホット・トピックである「手塚治虫が先駆者であると言われたマンガ表現には、既に先行した作家が数多くいる」という話も座談会の中で出ている。これは藤子A氏らがいい加減だったり捏造した、というわけではなく、富山の少年が受けた主観的な衝撃が「神話としての漫画史」になっていくことと「ファクト・事実としての考古学的漫画史」は並列し、相補することによってより豊かになっていくのだろう。

まんが道」冒頭でこれは映画だ!車が走ってくる! という衝撃(ちなみに藤子F氏も独自に「わが少年時代に、手塚治虫漫画から受けた衝撃」を3Pほどの漫画にしている。「このおもしろさを皆に分けたい」と読ませたがるのだが「もっとじっくり味わって読め」「ここが最高だろ!」と横から口を出すので「マンガは読みたいが持ち主がうるそうて」と敬遠される・・・というお話)を感じるのに、現在の研究は邪魔になるどころか、より豊かにしている。この研究の話をノイズとして排除せず、逆に取り込んだ座談会出席者はたいしたものだ。


あと、

まんが道』はあらゆるジャンルにおいて理想を追い求める熱狂的な青春群像をあてはめられるプロトタイプとして機能する

という指摘もされている。
これ、ほんとにそう。
黒澤明の「七人の侍」が、そのまま西部劇にもスペースオペラにもなるがごとしで、青春群像ものの企画を通すときに、たぶん「まんが道」のようなアレで、とプレゼンすると通用するんじゃないかと思う(笑)。またプロレス関係の話題で恐縮だが、今年上映された「レスラー」という映画を見たときの感想も「これ、主人公はロックシンガーでもコメディアンでも通じるな」というものだった。



■「少年時代」・・・”スクポリ”ものの古典
私は何度か「スクポリ=スクールポリティックス」という勝手な造語をつくり、そのカテゴリーで作品を紹介していたが、まさにその先駆的存在はこれだ。学校の中に「権力」や「政治」があるというシビアな現実を描いているからこそ、戦時中の疎開先、という特殊な事例やノスタルジーではなく、今現在に読まれるべき理由があると思う。
【「スクポリ」関係のエントリ】
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080826#p4
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090916#p5

シュール&ブラック

ものの見方が変わったというと、個人的に一番大きいのはこのへん。
自分がA作品をあまり読まなかったのは、正直に言うと、ここはF作品との比較なのだが、まったく個人的な好みとして「作品の中で因果関係がきちんと説明されている」ものがすきなのだ。だからこそ藤子F作品は普通以上に尊敬しているのだが、A氏の作品は「笑うせぇるすまん」も含め、それをわざと省くものが多い。
だからいまひとつ、積極的に食指が伸びなかったのだが、ここでの紹介を読むとそれでは割り切れない、まったく別の魅力がここにはあるんじゃないか?と感じさせるものがあるのだ。
「無邪気な賭博師」「明日は日曜日そしてまた明後日も・・・」という作品はコマがカットとして収録されているのだが、その二つとも異様な迫力に満ちている。特に後者は「ニート・ひきこもり」を数十年前に描いているんだって。藤子A氏は「資料を積み上げて、将来を予見するようなシミュレーションを構築してやろう」的な創作スタンスはおそらく持っていないはずで、逆に芸術家の感性で切り取ったある人物像が、その後の社会問題として表面化した・・・というほうがすごいのかもしれない。

未収録作品の読み方・入手法を指南

みな一騎当千のつわものぞろいなので、貴重な、入手困難な作品をどうやってよむか、のアドバイスを読者にしている。たいへんに実用的だが、ここはむしろ独立させた、おまけ的な章としたほうが探しやすかったかもしれない。


そういう点で、とにもかくにも他に類書の無さそうな貴重な本。一読をお勧めすると共に、版元には当然「藤子・F・不二雄ファンはここにいる」の発行をお願いしたい。

うひゃあ、だいぶ長くなっちゃった。

ブログ開始から2000日。

自分で把握しているわけもなく、「管理」ページで教えてくれたんですけどね。
だから今回記念に書くようなことも無く、たんたんとこれからも適当なことを書いていくのみですが、これまで読んでいただいてありがとうございました。