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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

koikesanの著書(座談会)「藤子不二雄(A)ファンはここにいる」発売

藤子不二雄Aファンはここにいる〈Book1〉座談会編

藤子不二雄Aファンはここにいる〈Book1〉座談会編

ブログ「藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記」
( http://d.hatena.ne.jp/koikesan/ )
で有名なはてなダイアリーブロガー、id:koikesanの本が発売された(著者名は「稲垣高広」氏)。
これはkoikesanをはじめとする、ネットなどで活動する藤子ファンの座談会形式によるものだった。


この本が実際に発売される直前に、一度書いたけど
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090828#p4
面白い作品を次々紹介していくという目的には、この「座談会形式」がかなり合っているということ、今回の本を読んでさらに確信を深めた。実際の会話を再構成するときもうまかったのだろうけど、それぞれが自然と役割分担をしているところがおおきいのだろう。そのへんで、よくない座談会にありがちな「いや、みんながテーマに自然にしているその話題の、前提条件がわからんわ」とか「さっきの話と重複してるわ」みたいな部分はなく、スムーズな読み方ができる。

けっこう未読があった。

読んでいて驚いたのは、いちおう「藤子世代」の自分が、読んでない作品があることあること。基本、やっぱり自分は(意識はしていなかったけど)Fを経由して、そこからA作品を読んでいることが多かったということです。奇書とも言われる「劇画 毛沢東伝」は藤子不二雄ランドにも収録されていて(笑)、読んでいるし、どこでだったかな「ひっとらぁ伯父さん」も読むことができたんだけど、「愛ぬすびと」「ミス・ドラキュラ」という作品が女性セブンに掲載され、しかも他の記事を押しのけてトップ人気を保っていたというのはエエエーーーッと驚かされた。「女性セブン」だよ、女性セブン。うーんあなどれない作家だ、A先生。この前「人生画力対決」をした西原理恵子が女性セブンで人気の漫画をかけるとは思えない。

「少年時代」と「まんが道

この2作品は、単独の章となっている。単純な人気でいったらハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿のアニメ化3作だろうけど、そうではなくこの2作をスペシャルに扱ったことはさっすが読み手のこだわりだと思う。


まんが道で面白い指摘があって、「藤子不二雄はぼくらにとっては神様だった。その神様が、神様だといってあがめているのが手塚治虫だったから、我々も当然崇拝した」という。そうなんだよな、シンプルな指摘ながら、あまり誰も言わなかった。考えてみればまさにその通りだ。

私にとって”神”のような存在である藤子先生が”神”とあがめる手塚治虫ってどれだけ遠い存在なんだろう、と気が遠くなりそうでした。なんせ、神様の神様ですからね(笑)
(略)
まんが道」を読んだことで「手塚治虫ってそんなに偉大なマンガ家だったのか!」とようやく気づき、手塚先生のマンガもあれこれ読むむようになっていったのです。

手塚治虫の本当にすごいところは、浮き沈みを繰り返しながらも、自分が「火の鳥」さながらに復活しては最後まで第一線で活躍し続けたことにある、とはよく言われるが、その際に藤子不二雄コンビらトキワ荘世代の回想記、そして「まんが道」の残した、キリストに対する聖パウロ的な役割・・・書いてて自分でもよく分からなくなってきたが(笑)、そういう部分はもっともっと検証されるべきだろう。


手塚のライバル梶原一騎がよく使った「あの闘魂・アントニオ猪木の師匠カール・ゴッチとは?」とか「ダラ・シンと引き分けたリキドーゼン(力道山)に、このわしフレッド・アトキンスは勝ってるぜ!」というのと似ているちゃあ似ている(笑)。
脱線した。
同時に、最近のマンガ研究のホット・トピックである「手塚治虫が先駆者であると言われたマンガ表現には、既に先行した作家が数多くいる」という話も座談会の中で出ている。これは藤子A氏らがいい加減だったり捏造した、というわけではなく、富山の少年が受けた主観的な衝撃が「神話としての漫画史」になっていくことと「ファクト・事実としての考古学的漫画史」は並列し、相補することによってより豊かになっていくのだろう。

まんが道」冒頭でこれは映画だ!車が走ってくる! という衝撃(ちなみに藤子F氏も独自に「わが少年時代に、手塚治虫漫画から受けた衝撃」を3Pほどの漫画にしている。「このおもしろさを皆に分けたい」と読ませたがるのだが「もっとじっくり味わって読め」「ここが最高だろ!」と横から口を出すので「マンガは読みたいが持ち主がうるそうて」と敬遠される・・・というお話)を感じるのに、現在の研究は邪魔になるどころか、より豊かにしている。この研究の話をノイズとして排除せず、逆に取り込んだ座談会出席者はたいしたものだ。


あと、

まんが道』はあらゆるジャンルにおいて理想を追い求める熱狂的な青春群像をあてはめられるプロトタイプとして機能する

という指摘もされている。
これ、ほんとにそう。
黒澤明の「七人の侍」が、そのまま西部劇にもスペースオペラにもなるがごとしで、青春群像ものの企画を通すときに、たぶん「まんが道」のようなアレで、とプレゼンすると通用するんじゃないかと思う(笑)。またプロレス関係の話題で恐縮だが、今年上映された「レスラー」という映画を見たときの感想も「これ、主人公はロックシンガーでもコメディアンでも通じるな」というものだった。



■「少年時代」・・・”スクポリ”ものの古典
私は何度か「スクポリ=スクールポリティックス」という勝手な造語をつくり、そのカテゴリーで作品を紹介していたが、まさにその先駆的存在はこれだ。学校の中に「権力」や「政治」があるというシビアな現実を描いているからこそ、戦時中の疎開先、という特殊な事例やノスタルジーではなく、今現在に読まれるべき理由があると思う。
【「スクポリ」関係のエントリ】
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080826#p4
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090916#p5

シュール&ブラック

ものの見方が変わったというと、個人的に一番大きいのはこのへん。
自分がA作品をあまり読まなかったのは、正直に言うと、ここはF作品との比較なのだが、まったく個人的な好みとして「作品の中で因果関係がきちんと説明されている」ものがすきなのだ。だからこそ藤子F作品は普通以上に尊敬しているのだが、A氏の作品は「笑うせぇるすまん」も含め、それをわざと省くものが多い。
だからいまひとつ、積極的に食指が伸びなかったのだが、ここでの紹介を読むとそれでは割り切れない、まったく別の魅力がここにはあるんじゃないか?と感じさせるものがあるのだ。
「無邪気な賭博師」「明日は日曜日そしてまた明後日も・・・」という作品はコマがカットとして収録されているのだが、その二つとも異様な迫力に満ちている。特に後者は「ニート・ひきこもり」を数十年前に描いているんだって。藤子A氏は「資料を積み上げて、将来を予見するようなシミュレーションを構築してやろう」的な創作スタンスはおそらく持っていないはずで、逆に芸術家の感性で切り取ったある人物像が、その後の社会問題として表面化した・・・というほうがすごいのかもしれない。

未収録作品の読み方・入手法を指南

みな一騎当千のつわものぞろいなので、貴重な、入手困難な作品をどうやってよむか、のアドバイスを読者にしている。たいへんに実用的だが、ここはむしろ独立させた、おまけ的な章としたほうが探しやすかったかもしれない。


そういう点で、とにもかくにも他に類書の無さそうな貴重な本。一読をお勧めすると共に、版元には当然「藤子・F・不二雄ファンはここにいる」の発行をお願いしたい。

うひゃあ、だいぶ長くなっちゃった。