INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

諸国大名は 弓矢で殺す、高谷の裕之 目で殺す(高阪剛の技術論より)

元ネタ知ってる?韻を踏んだなかなか出来のいいパロディなのだが(自称)。
http://kotobakai.seesaa.net/article/8239445.html

まあそれはどうでもええわ。
TKの試合後解説というのはもう名人芸に達していて、本当かどうかの検証なんてのも必要ないような気がする。
しかし、kamipro格通とゴン格に一度にこういう解説頼まれたら、どこに答えりゃいいのかね?
まあそれもどうでもいい。

やっと本題。で、今回TKはフェザー級GPのあったDREAM.11をkamiproで総括しているのだが、高谷裕之vs所英男戦を面白い総括してらしたんです。

高谷は基本的に拳ひとつで倒すオフェンスと、テイクダウンを取られないディフェンスの技術、その二つしか使ってないんですよ。でもその二つが特化してるので、あそこまで勝ちあがれるし、お客さんにも伝わりやすいんだろうと思うんですけどね。

そして、「所を高谷はまず精神的に追い込んでいってた」という

高谷は前半からスタンドで圧力をかけて、コーナーに追い込んでいって、そうすると所は回り出しますよね。その回りだす瞬間はガードが甘くなるので、たとえばフックやローキックを入れるのって有効なんで、普通の選手だったら手を出したくなるんですけど、そこを高谷はスルーしたんですよ。

そうするとどうなる?せっかくのチャンスなのに

・たとえばライオンがにらんでいるだけで相手が動けなくなる
・圧力だけで相手のスタミナを奪う
・暗黙のうちに上下関係をはっきりさせられる
・食う高谷、食われる所という、先輩後輩みたいな関係ができる

と。ただ所英男は追い込まれると力を出すタイプなので、そこからのパンチで一度は逆転したが

最初から頭を抑えているからドカンとやられたところで
「てめえやるじゃねえか、じゃあ本気出すか」みたいな感じになってしまう

うーーん、面白い。面白いけどおもしろすぎるというか(笑)。
いや、実際に圧力=恐怖感の中で動いていると呼吸もままならずスタミナの消費ははげしい。これは科学だろう。
しかし、上のような心理学はねぇ。
実際の選手が言っているのだから当然、実際にあるのだろうけど・・・なんつうかな、理論にはなりにくいよね。ガードが下がって当たりやすい瞬間をあえてスルーするより、やっぱりこつこつローでも当てたほうが「目に見える」というか。

だから結局は「高谷裕之だからこそできる戦法」なのかなぁと。でもTK、「若い選手に見て欲しい試合」とも言ってるな。そういえばジャイアント馬場も「相手が回るか、こちらが回るかでリングの格は決まるんだよ」と言ってたなぁ(バキ外伝の、マウント斗羽vs猪狩の試合の冒頭はここから来ている)。

すると佐野哲也も、過去のOUTSIDERの試合はそういう「目力」を発揮していたのだろうか。しかしあの大会、目チカラにおいてはトップクラスの選手ばっかりだしなぁ。「目のチカラ2009」という副題をつけてもいいくらい。


そういうわけでまた佐野哲也オチになってしまったが、要は細かく理論的な解説も技術を超えた「心理学」の部分までをカバーするといまいちフに落ちないというか、もやもやとしたものが残って、またそれが逆に面白い、という話でした。

kamipro No.140(エンターブレインムック)

kamipro No.140(エンターブレインムック)

練習相手無しでプロ13勝の男が本格的に格闘技を学習・・・デイブ・ハーマン幻想は?

このエントリは読み逃してた。
http://ameblo.jp/shu1968/entry-10361661062.html

・・・・・・ほとんどちゃんとした格闘技の指導を受けずに
プロ戦績13勝無敗というのが
普通ならまずあり得なかったと思うんです....
しかもエリートXC(ShoXCも含めて)でも3連勝してたんで
普通にウォーターマンとか
ATTのマリオ・リナルディあたりをボコって・・・
(略)

・・・ジムいって走って、サンドバック叩いて、ウエイトやって
それさえしていれば
普通に喧嘩するような感覚で、簡単に試合に勝っちゃってたんですよねぇ
(略)
「エア格闘家」というニックネームまで頂戴し
挙げ句の果てにはトレーナーいないからセコンドにはルームメイト連れて・・・

(略)
1ラウンド、対戦相手のチェ・ム・べをボコボコにはしたんですが
いかんせん、基礎のま〜ったくできていないパンチと
首相撲からの膝蹴りの連打だったんで......殴り疲れちゃっいましてぇ....
2ラウンドのスタート時点では完璧にスタミナ切れで
反対にKO負け・・・・

で、どうなったかというとシュウ・ヒラタブログによれば、この敗戦で今までのナメた態度を反省、技術を学びパートナーもつけ、コンディショニングも十分にやって今度の戦極に挑むとか。
才におぼれた天才が、挫折を経験して自分に足りないものを知り、謙虚になって一回り大きく・・・というのはストーリーとしては好まれるパターンで、「ルーキーズ」や「寄席芸人伝」などで見た(笑)。さてハーマン、おおきく化けて我々の前に登場してくれるか。
しかしシュウ・ヒラタ氏、いったい何人の代理人やってるんだ(笑)。

世の中の漫画やライトノベルには「学園変人もの」というジャンルがある。

http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20091026/1256551764

生徒会モノってのは昔から人気があるが、ある種、週刊少年サンデー雁屋哲類型の「革命モノ」の変奏曲として読んでたりもする。温度差は色々あるようになってきているけれども。

初恋ソムリエ

作者: 初野晴
出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)

初野晴は金鉱を発掘した。ミステリとして面白いのに加え、ゆうきまさみの『究極超人あ〜る』のような、「リアリティの範疇に収まる学園変人モノ」≠「学園超人活劇」として作り上げられている。

特に2作目の本作は、そう言う視点からみて非常に出来がいい。

午前零時のサンドリヨン

作者: 相沢沙呼
出版社/メーカー: 東京創元社

第19回鮎川哲也賞受賞作。


むかし、私は「究極超人あ〜る」から「涼宮ハルヒ」につながる系譜がある、と論じた。ハルヒを読まずに周辺情報だけで(笑)。


■弊衣破帽のバンカラ→「むわーかして!」→「ただの人間に…」の系譜
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090116#p4

わたしもよくやるけど、そういう雑多かつ複雑な系譜を「○○もの」というふうにまとめられれば一言で済む。あ〜るやハルヒは「リアリティある学園変人」か「学園超人」か。
ハルヒはまだ読んでないからいとして(いい加減読んだらどうだ俺)、あ〜るはタイトルに「超人」と書いているから超人なんだろうけど、DREAMの笹原氏もかくやというほど権限のない部長だったしなぁ(笑)。

あと、「生徒会もの」ってそんなにたくさんあるんだろうか。ほとんど知らないや。少なくとも80年代の少年誌にはあまりないと思うが、70年代や、またライトノベルにはあるのかも。

ダンバー数・・・社会制度の法則を科学で分析した大発見か、トンデモ疑似科学か。

くしくもこの前、ある知識人が「子ども手当には所得制限を設けちゃだめだ。優秀な人間(=高所得者)の血を残すために!」と主張したという話を紹介した。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091101#p4
私はそれ↑を皮肉ったSSを書いたりしたけど、あとがきでこうも言ったよね。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091103#p4

わたしは何度もいうけど、仮説として、さまざまな社会問題や政治問題に関し、人間も動物・生物の一種である以上、「遺伝子的に」「生物学的に」「医学的に」というアプローチをしていくこと自体は嫌いじゃない・・・というか賛否を判断する前にまず興味深いと思っているよ


そんな話題にぴったりの言葉をリンク先のブログで聞きました。
ダンバー数

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20091104/1257322803

ほわっといずでぃす?

リンク先では英語版ウィキペディアを訳している。

ダンバー数とは個々人が安定した社会的関係を維持できる、集団の個体数における理論上の認知的限界のこと。(略)
これより大きな数が安定して団結した集団を維持するためには、概してより制限された規則、法、強制された規範が必要とされると、提唱者は断言している。ダンバー数に厳密な値は提出されていないが、よく引用されている近似値は150である。

ダンバー数の提唱者ロビン・ダンバーは、霊長類の脳サイズに対する新皮質の割合と群れの大きさに相関関係があるところからこの概念を導いたようですにゃ。」


さあ、事実であるならば面白いじゃないですか。
「組織がまとまる、うまく運営できる規模」という、すぐれてリーダーの人物論や組織論、法や宗教哲学にも関係するような問題が、実は根本の根本部分に「霊長類の新皮質」という身もふたも無い数字、物理的なものに由来している・・・という説だす。
本当だったら、上の私の宣言にどんぴしゃり。田岡俊次さんのアレも検討の余地ってやっぱりあるのかも、という話だ。


でも、そもそも本当であるのかどうか。
これは膨大な元の論文や解説書、あるいは反論者がいればその文章などを読みこなしたりする必要が本来あると思うけど、それはどこかのだれかに任せるのが最適かと思う。
論文のサマリーはこれのようです。
http://www4.ocn.ne.jp/~murakou/socialbrain.htm


ただ、気になるのはそもそも
「安定した社会的関係」とはどういう例なのか、ということです。
直感というか常識的に、「人数が多くなりすぎると、顔や名前が一致しなくなったり伝言や命令も通じにくくなったりするので、そこから人間関係や活動が少ないときとは変わってくる」というのは分かる。でも、そういう波風があったり、情報や思考法のシャッフルや摩擦があったほうが、結局は全体では安定している、なんてこともないだろうか?
もめてる集団があって、そこに賢者が「お前さんがたは180人もいるからだめなんだよ。30人は別の集団を作って150人とは分かれなさい」とアドバイスして、本当に両社会は「安定」するのか?


これは、結局「いい」「悪い」とか「安定している」「不安定」というのは主観が大いに入ってしまうものだから、たとえばこれを発展させてビジネス界に応用したりってところまでいくと、イワシの頭もなんとやら、のたぐいになってしまうってことだと思うんだが。
上で過去エントリを紹介した田岡俊次氏の「高収入層に優秀な人が多い」というのもそうで、じゃあその「優秀」というのはどういう定義なんだ、っってことになってくる


その一方で、上のサマリーにあるように、「集団サイズにおいてのみ,新皮質の比率との相関が見られ,データは社会仮説を支持している.」ということならば、それじゃあしょうがないなということになる。
群れの数って、たくさんデータがあると思うんだが、たとえば京大のサル学の人たちがたっくさん集めていたこれまでのデータにもぴたり、と合うんだろうか。
そういう追試、他データとも一致していれば面白いのだが。


以前購読し、機会があれば紹介しようと思っていた稲葉振一郎氏のこの本は、このタイミングでこそ紹介するべきだろう。

単にひとつの数字だけを見ていてもあまりおもしろいことはないのであって、連動している複数の数字の組み合わせを見つけ出していうことが、統計数字を見ながら社会について考えるときの基本です。つまり、複数の数字を見たときに、それらの数字の間に一定の規則的な関係が成り立っているらしい、ということを見つけ出していく作業が、社会の科学的な分析の第一歩であるといってもよい。

「この数字とこの数字が連動していますよ」というだけでは困るわけです。なぜなら、それらの数字が連動しているだけでは、そのうちのどれが原因でどれが結果に当たるのかは分からないのです。
(略)
どちらが原因で、どちらが結果なのか?あるいはわれわれが気づいていない第三の要因があって、それが・・・(略)・・・特別何の関係もないのかもしれない。こういう状況を社会調査などでは「擬似相関関係」といいます。
(略)
因果関係を統計数字だけから直接発見する方法はありません。因果関係はわれわれが考えて、推測するしかないのです。相関関係の背後にどのようなメカニズムが働いているのかを考える。それが普通の意味での科学的な理論です。

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)


まとめると
・群れの数と新皮質の大きさは相関しているよ、というのは他の学者が集めたデータを見てもおおその通りだ、となるのだろうか?
・「安定して団結した集団」の安定や団結をどう定義する?
・「法や規範のある、ない」もけっこう定義難しくね?小さな150人の村にも法律、掟はありそうだが、それは法がある、規範があるということになるのか。


なんか尻切れトンボだがとりあえず時間切れ。

あ、最後にロスタイムで。
ちょうどこのエントリを読む直前、偶然霊長類に関する何かの話題を読んだんだ(書名失念すまん!立花隆を評した文章だったかなあ?)。
そこに「毛づくろいやマウンティングなど、集団での地位をたしかめる儀式はオスに主に見られ、メスはそれほどでもない。
ゆえに、人間社会でも男のほうが社会に進出し、出世や地位、権力に興味を示すというのは霊長類の特徴と考えるべきなのだ


うーん、数字が無いし学術論文が無い(俺が知らないだけ?)からなんともいえないが、逆にリンク先と、こちらを読んでいる人に聞きたいわ。上の男女社会進出差と、マウンティングや毛づくろいを結びつける議論、仮説として議論する余地ある?ない?
(上だって「であるべき」という結論じゃないお。そういう生物学的制限はあるけど、頑張って女性の社会進出を進めよう、という結論だってできる)