くしくもこの前、ある知識人が「子ども手当には所得制限を設けちゃだめだ。優秀な人間(=高所得者)の血を残すために!」と主張したという話を紹介した。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091101#p4
私はそれ↑を皮肉ったSSを書いたりしたけど、あとがきでこうも言ったよね。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091103#p4
わたしは何度もいうけど、仮説として、さまざまな社会問題や政治問題に関し、人間も動物・生物の一種である以上、「遺伝子的に」「生物学的に」「医学的に」というアプローチをしていくこと自体は嫌いじゃない・・・というか賛否を判断する前にまず興味深いと思っているよ
そんな話題にぴったりの言葉をリンク先のブログで聞きました。
「ダンバー数」
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20091104/1257322803
ほわっといずでぃす?
リンク先では英語版ウィキペディアを訳している。
ダンバー数とは個々人が安定した社会的関係を維持できる、集団の個体数における理論上の認知的限界のこと。(略)
これより大きな数が安定して団結した集団を維持するためには、概してより制限された規則、法、強制された規範が必要とされると、提唱者は断言している。ダンバー数に厳密な値は提出されていないが、よく引用されている近似値は150である。
「ダンバー数の提唱者ロビン・ダンバーは、霊長類の脳サイズに対する新皮質の割合と群れの大きさに相関関係があるところからこの概念を導いたようですにゃ。」
さあ、事実であるならば面白いじゃないですか。
「組織がまとまる、うまく運営できる規模」という、すぐれてリーダーの人物論や組織論、法や宗教哲学にも関係するような問題が、実は根本の根本部分に「霊長類の新皮質」という身もふたも無い数字、物理的なものに由来している・・・という説だす。
本当だったら、上の私の宣言にどんぴしゃり。田岡俊次さんのアレも検討の余地ってやっぱりあるのかも、という話だ。
でも、そもそも本当であるのかどうか。
これは膨大な元の論文や解説書、あるいは反論者がいればその文章などを読みこなしたりする必要が本来あると思うけど、それはどこかのだれかに任せるのが最適かと思う。
論文のサマリーはこれのようです。
http://www4.ocn.ne.jp/~murakou/socialbrain.htm
ただ、気になるのはそもそも
「安定した社会的関係」とはどういう例なのか、ということです。
直感というか常識的に、「人数が多くなりすぎると、顔や名前が一致しなくなったり伝言や命令も通じにくくなったりするので、そこから人間関係や活動が少ないときとは変わってくる」というのは分かる。でも、そういう波風があったり、情報や思考法のシャッフルや摩擦があったほうが、結局は全体では安定している、なんてこともないだろうか?
もめてる集団があって、そこに賢者が「お前さんがたは180人もいるからだめなんだよ。30人は別の集団を作って150人とは分かれなさい」とアドバイスして、本当に両社会は「安定」するのか?
これは、結局「いい」「悪い」とか「安定している」「不安定」というのは主観が大いに入ってしまうものだから、たとえばこれを発展させてビジネス界に応用したりってところまでいくと、イワシの頭もなんとやら、のたぐいになってしまうってことだと思うんだが。
上で過去エントリを紹介した田岡俊次氏の「高収入層に優秀な人が多い」というのもそうで、じゃあその「優秀」というのはどういう定義なんだ、っってことになってくる
その一方で、上のサマリーにあるように、「集団サイズにおいてのみ,新皮質の比率との相関が見られ,データは社会仮説を支持している.」ということならば、それじゃあしょうがないなということになる。
群れの数って、たくさんデータがあると思うんだが、たとえば京大のサル学の人たちがたっくさん集めていたこれまでのデータにもぴたり、と合うんだろうか。
そういう追試、他データとも一致していれば面白いのだが。
以前購読し、機会があれば紹介しようと思っていた稲葉振一郎氏のこの本は、このタイミングでこそ紹介するべきだろう。
単にひとつの数字だけを見ていてもあまりおもしろいことはないのであって、連動している複数の数字の組み合わせを見つけ出していうことが、統計数字を見ながら社会について考えるときの基本です。つまり、複数の数字を見たときに、それらの数字の間に一定の規則的な関係が成り立っているらしい、ということを見つけ出していく作業が、社会の科学的な分析の第一歩であるといってもよい。
「この数字とこの数字が連動していますよ」というだけでは困るわけです。なぜなら、それらの数字が連動しているだけでは、そのうちのどれが原因でどれが結果に当たるのかは分からないのです。
(略)
どちらが原因で、どちらが結果なのか?あるいはわれわれが気づいていない第三の要因があって、それが・・・(略)・・・特別何の関係もないのかもしれない。こういう状況を社会調査などでは「擬似相関関係」といいます。
(略)
因果関係を統計数字だけから直接発見する方法はありません。因果関係はわれわれが考えて、推測するしかないのです。相関関係の背後にどのようなメカニズムが働いているのかを考える。それが普通の意味での科学的な理論です。
社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)
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まとめると
・群れの数と新皮質の大きさは相関しているよ、というのは他の学者が集めたデータを見てもおおその通りだ、となるのだろうか?
・「安定して団結した集団」の安定や団結をどう定義する?
・「法や規範のある、ない」もけっこう定義難しくね?小さな150人の村にも法律、掟はありそうだが、それは法がある、規範があるということになるのか。
なんか尻切れトンボだがとりあえず時間切れ。
あ、最後にロスタイムで。
ちょうどこのエントリを読む直前、偶然霊長類に関する何かの話題を読んだんだ(書名失念すまん!立花隆を評した文章だったかなあ?)。
そこに「毛づくろいやマウンティングなど、集団での地位をたしかめる儀式はオスに主に見られ、メスはそれほどでもない。
ゆえに、人間社会でも男のほうが社会に進出し、出世や地位、権力に興味を示すというのは霊長類の特徴と考えるべきなのだ」
うーん、数字が無いし学術論文が無い(俺が知らないだけ?)からなんともいえないが、逆にリンク先と、こちらを読んでいる人に聞きたいわ。上の男女社会進出差と、マウンティングや毛づくろいを結びつける議論、仮説として議論する余地ある?ない?
(上だって「であるべき」という結論じゃないお。そういう生物学的制限はあるけど、頑張って女性の社会進出を進めよう、という結論だってできる)