防犯カメラと似た顔、1秒で絞り込み…秋葉原で実験開始
防犯カメラに写った顔と似た顔を、過去の画像からほぼ瞬時に探し出す技術の実証実験が東京・秋葉原の電器店で始まった。
不審者を発見して防犯に役立てるほか、客の購買動向分析などにも応用できるという。
これまで、防犯カメラから特定の人物を探すには、人間が画像を一つ一つ見直さなければならず、手間がかかっていた。日立製作所が開発した検索システムは、探したい顔を指定すると、1万枚ほどの画像なら約1秒で似た顔が写ったものを絞り込める。録画時に顔の特徴をデータ化し記録するのがミソで、通常のパソコンでも20台ほどのカメラ画像を処理できるという。現在でも認識精度は9割ほどあるが、カメラの位置や明るさ、顔の角度が精度にどう影響するか調べる。(後略)
わたしは二つの、まったくかけ離れたエピソードを思い出した。
ひとつは、山田正紀が書いたコンゲーム小説だったと思う。題名は忘れた。
ラスベガスのカジノで・・・なんだったかな、ベルトに記憶装置のようなものを付けてブラックジャック(だったかな?)に挑むという設定だった。「ブラックジャックは必勝法がある。ゲームの中で使われているカードを全て覚えていればいいのである」というような解説がついていたのを覚えている。
もっともこれはフェイク、わざとばれるようにした偽装のイカサマで、真の狙いは別に・・・と続くのだが、本題はそれではない。
ようは人間社会には、「これは膨大すぎて、ここからは分からないよ、全部は数えられないし覚えられないよ」ということを前提にして作られている仕組みがけっこうあり、それを「もしこの膨大なものを全部記録できたら?そこから抽出できたら?」というSF的なIfを挿入すると、思わぬ歪みというか問題が出てくるものというのも結構あるよ、ということだ。
トランプゲームで「捨てられた札を全て覚えている」とかいう人を想定はできない。
(映画 「レインマン」でたとえたほうがよかったか)
それと同様に「どんな人ごみの中でも、登録した貴方の姿を見つけられますよフフフのフ」というような社会は、、これはちょっとやっぱり想像しにくい。
あとひとつのエピソードは、高校の歴史の授業で習った『都市の空気は自由にする』という言葉だった。
これは実際に逃亡農奴などが1年以上都市で暮らすことが出来れば、自由権を得られるという意味だそうだけど、拡大解釈すれば、やっぱり都市という、一種人また人の海の中だからこそ、人が「匿名」の中に「自由」を得られるという意味もあるとこじつけたい(最初に聞いたとき、自分はそう受け取った)。どこの誰が、いつ何をしているかを「知られている」ことがそれ自体、自由の束縛になる・・・というのは、今でも「人々のふれあい豊かな」田舎ではありえる話だろう。
以前「ベーシックインカム社会が実現したらそのディティールはどうなるだろう?」と推測したブログを「まるでSFのようだ」と絶賛したことがあるが、同じようにこんな社会も実現後はどうなるか想像をめぐらせる必要はある。。
街頭以外でも、パチンコ店なんか真っ先に共有しそうではないか。あ、サラ金も導入しそうだな。もちろん各社で情報を融通しあったりもする。当然、指名手配犯の捜索には使用されるだろう。
今回の実験の記事にあるように、顧客をよく知るためにも使われるだろう
「毎回痔の薬を買っているあの人が来ましたんで、その薬に詳しいXXさんカウンターまでお願いします」だ。
犯罪組織も使う罠。組事務所前の監視カメラは当然この種のデータベースに直結される。
おやっさん、構想中の組の鉄砲玉「血刀のサブ」が来やした!!警視庁の札付きのデカ「野良犬竜司」がこっちに向かってやすぜ!と。
テクノロジーがコストダウンすれば、個々人が使えるようになるかもしれない。
これを嫌がる側は、昔の「虚無僧スタイル」のように、顔を隠すファッションが流行ってくるかもしれない。
イスラム圏のチャドルのような、大谷義継の頭巾のような。
まあ、ほかにどうなるのかな。興味ある人はいろいろ想像してみてください。
グーグル検索も新聞のデータベース検索もそれまで「多すぎて管理できない、分からない」が前提だったものをつぎつぎ発見可能にして、社会を変えていった。
「顔」と「個人」を検索できる社会は、何がどう変わるだろうか。