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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 報道、記録、文化のために

富野由悠季氏が日本国(しかも高市政権…)からの叙勲を受ける、に反発・批判する人いねぇ…よなあ?「多様性のためにお受けする」は本人の弁

アニメーション監督・富野由悠季さん 84

 「機動戦士ガンダム」「伝説巨神イデオン」など、テレビや映画で数々の名作を生み出してきた。「裏方の仕事をやってきた自分がこういう形で顕彰されたことはうれしいと同時に、後進の励みになる」と喜びを語る。
www.yomiuri.co.jp

 「アニメーターや美術などのスタッフの手仕事のたまものが自分の作品で、僕は裏方。裏方が顕彰されたのはとてもうれしい」と笑顔を見せる。

mainichi.jp

特に印象にのこったのはこれ

 「アニメーションは、絵を描くアニメーターをはじめ背景、彩色、音響など多くの手仕事で成り立っています。そういう人たちの手仕事のたまものが自分の作品。自分はあくまで裏方で、でもそういう仕事を評価して下さる方が世間にいる。その多様性を全否定も全肯定もしちゃいけないなと思い、お受けすることにしました」
www.asahi.com


「多様性を全否定も全肯定もしちゃいけないなと思い、お受けする」


しみ
じみ。



というのは、昔は「勲章を否定せよ!受ける奴は最低の俗物、権力の犬、スパイ野郎、下劣人間だ」の声が今よりずっと多かったのです。
なにしろ天声人語で開陳されている・・・・・・自分は昔産経新聞に連載されていた匿名コラム「斜断機」で読んだのだけど……キーワードで探した


pcscd431.blog103.fc2.com

とにかく、朝日新聞は森繁久弥さんの墓前で謝った方がいい。


谷沢永一著「こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状」(クレスト社)にこんな引用文があった。

朝日新聞の「天声人語」(平成6年10月17日付け)

少し前に、かなり名を知られた俳優が政府から表彰され、ありがたいと感謝していたのには、驚いた。「冗談じゃない。えらそうに表彰なんかするない。おれには客の拍手があらあ」くらいのことは、言ってもらいたかった。役者が国に格付けをしてもらって喜ぶ「文化国家」は願い下げだ。
戦後、金鵠勲章も爵もなくなり、勲章の運用が停止されたが、後に復活した。勲章の好きな人がいるからだろう。文化勲章とは別の普通の勲章には等級がある。政府が人に等級をつけるとは妙なものだ。
自分は戦後民主主義者であり、国家とは結びついた文化勲章は似合わない、という大江さんの言葉がごく自然で筋が通っている。

 
ここで言われているのは、森繁久彌である。
「自分が生まれ育った国から賞を受けて素直に喜んでいる人がこういう嫌がらせを書かれているのは、何とも気の毒である」

文化勲章受章者を辱めた「天声人語」の無礼、とある。


ああ、大江健三郎の文化勲章拒否の時の話か。この時はノーベル文学賞は喜んで受賞し、式にも出席したが「ノーベル賞は市民からもらったと思っている」と言ったんだっけかな。

同年秋には、ノーベル文学賞の受賞を受け平成の天皇からの親授式を伴う文化勲章の授与を、文化庁より電話で打診されたときは断っている。米紙ニューヨークタイムズのインタビューで「私が文化勲章の受章を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観(注:天皇制)を認めないからだ。これは単純なことだが非常に重要なことだ」と話した[186]。
ja.wikipedia.org


いま、声高に「勲章など、叙勲など、園遊会など拒否せよ。するやつは権力の犬だ」理論は佐高信氏ぐらいしか言わなくなったが、
またこの基準は、氏が政治的党派や単純な人間関係で親しい人も違反する人が多く、そういう人を「筆刀両断」せえへんのか、といえば、彼はその矛盾を普通に放置できるひとなので何の問題もなかったんです(笑)



べつに富野氏が、そんなに過激な主張や運動をしたわけでもないだろうしなあ…

ま、こんな感じだという

学生運動

日大に入学した1960年は、俗に「60年安保」と呼ばれる安保闘争の年で、1年に学部の自治会に入会し、2年時には自治会長を務めていた富野も、自治会連合の執行部である中央執行委員会(以下、中執)に出入りするようになり、そこで初めて安保闘争の概要を把握するようになる。

当時、日大の中執は全日本学生自治会総連合のような反社会的な行動は取らず、産学共同を命題に掲げた御用自治会であり、富野は突拍子もない発想を口にする学生たちが物珍しく、2年の秋頃まで入り浸っては彼らを傍観していたが、中執が御用自治会であると把握した途端に嫌気が差し、中執の事務所に隣接していた日本私立大学団体連合会(以下、私学連)の執行部に入り浸るようになる。

しかし3年時の夏休みに、私学連の中執総会で副委員長に推薦された際、委員長への推薦ではなかったことに不満を抱き、総会の土壇場で副委員長への就任を拒否したため、総会終了後に周囲から糾弾され、執行部から、1年受諾を条件に卒業後の日大学生課への就職を打診されるも、これも拒否して中執を脱会した。

中執とは確執を残したまま卒業したことから、学生課に就職した同期の職員たちから目の敵にされ、彼らが退職した後の2006年に特別講義として招かれるまで[27]、日大とは不和が続いた[28
ja.wikipedia.org


まあ、ハシカ、ハシカ。時には命とりなことも含めハシカ。

青春期のはしか 藤子・F・不二雄 SF短編 学生運動