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はじめての方へ
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「IN-DEPTH&PERSONALS」
注目ニュースの裏事情、政官財界「重要人事」の先読み・読み解きをお届けします。
まあこういう形でも残っていればありがたいもので、朝日新聞「論座」とか、モーニングツーとか、紙の雑誌が難しいなら、せめてネット上のサイトに移行してでも存続できないものか?と思っても、なかなか、そううまくはいかないことが多い。
巧くいったのは、あれだ、プロレス雑誌「Dropkick」は成功だ・・・・
余談はやめて本題に。
執筆陣のひとりに、河野有理氏がいる。政治思想史系の人の中では、SNS(X)でのポストが多く、その界隈での知名度は比較的高いと思う。
河野有理
@konoy541
政治学・日本政治思想史。法政大学法学部教授。
https://researchmap.jp/konoy
https://instagram.com/konozemi?igsh=bzExZnZoengyMGIy
https://x.com/konoy541
で、いま氏が連載しているのが
「日本史はどのように物語られてきたか」
という連載。ひとりひとり、かなり有名な「論壇人」の名前を挙げて紹介している、論壇ガイドマップ的な意味もある連載。そして時代は自分もしらない「昭和史論争」や三島事件評価、大阪万博(昭和)の語られ方、みたいなところも追うが、その後のポストモダンだ慰安婦問題だ新しい教科書だ、そんな記憶に新しい時代の論争なども、固有名詞とともに語っていくのだ。
こういう、論壇人を並べて人物月旦をするのはなつかしい「別冊宝島」や「宝島30」みたいな名残を感じたりする。
なんてのもあったあるいは噂の真相系が、これに対抗するかのように
・・・・・・・・
こういうのとはだいぶん違う所もあるけど、ただ、そういう論壇の喧嘩や葛藤を覗き見する楽しさも間違いなくある。
一方で、あまたいる思想人、論壇人からどうピックアップするか、その選択がたいへんなのだが、この連載のチョイスは面白い
「歴史の本、それも通史的な本を書いた人」(多少その解釈定義にはいろいろあったり、複数の人を集めて一つのテーマにしている)を選び、その歴史の語り方を批評するのだ。
これはアイデアの勝利。
その結果、

という、ホホー、なんとも興味深い…な人物・テーマのチョイスが並ぶ。
しかし!ぶっちゃけていうと、月に800円はそれなりにお高い(雑誌だとそれじゃすまないだろうが…)
そこでお勧めなのは、ひと月に集中して読むことだ。
それも先に「読ませ処」を知っておくと、理解が早い。
以下は、まさにそういう目的のために遺す・・・・・・この連載のこれまでの、個人的にオッ!と思ったところのメモ的な保存だ。
自分は上に書いたような「ひと月で全部まとめて読む」を目標に加入したが、結局ままならず、次の回も読みたくて3カ月……
2400円となるとちょっとお高い。なんとかならんかね。
はじめに 「日本史」の来歴をたずねて
ここでいう「通史」というのも、歴史的事象を漏れなく満遍なく、バランスよく扱っている歴史叙述であるということを必ずしも含意しないことは強調しておきたい。むしろ反対に、本来無限に存在する歴史的事象のうちで何をどのように取捨選択するか、その結果としてある「まとまり」をいかにして造形するか、そうしたことを意識している歴史叙述のことをここでは「通史」的な仕事として意識しているというわけである。「まとまり」の長さではなく、それを切り出す際の「史眼」や「史観」に注目する
第1回 百田尚樹『日本国紀』にはなぜ「史観」がないのか
よく言えば、「教科書的」、悪く言えばそれぞれのパーツがばらばらでちぐはぐな記述なのである。
この意味での「教科書」っぽさと、すでに各所で指摘される本書のパッチワーク的性格の強さは、おそらく相互に連関している。本書の不適切な引用や剽窃を非難する論者はしばしば、百田が自分の語りたい「ストーリー」に合わせるべく事実を捻じ曲げようとして各種のパッチワーク的作業を行ったと想定しがちであるが3、だが事態はむしろ反対なのではないか。つまり本書は、歴史の「ストーリー」性を強調し、「“一本の線”でつなぐ」(文庫上巻裏表紙)ことを謳い文句にしながらも、実のところ特に「ストーリー」を(少なくとも近代以前については)持たないのではないか。
時代区分とはいわば切れ目である。なぜそこに切れ目が入っているのか、その切れ目は何と何を区別しているのか。これが分からないということはすなわち、時代の画期がどこに設定されているのかも分からないということを意味する…アクター、因果関係、時代区分(画期)論。こうした要素への無頓着さ
第2回 渡部昇一と百田尚樹の意外な共通点と決定的な差異
こうした「東京裁判史観」には問題点が多い。なるほど東京裁判が手続き的に問題のある「勝者の裁き」であったという指摘は確かにその通りだろう。また占領期にGHQが検閲を行っていたこと、WGIPが展開されたことも事実である。公職追放がかなり乱暴に行われたことについても否定しがたい。だが、そうした裁判や政策の影響力は、おそらく、「東京裁判史観」論者たちが想定するほど大きくはない。GHQといってもその内部は多元的であり、何か単一の狙いに基づいて用意周到な一連のプログラムが展開されたというようなことはなかった3。また、日本国民の方もやすやすと「洗脳」されてすべてGHQの思うままに考えるようになったということはないであろう。個々の指摘については必ずしも間違いではない事実が含まれているものの、一連の歴史過程や現象、それが生じるメカニズムを単純に描きすぎ、その効果を高く見積もりすぎる。その意味で、ある種の陰謀論に近づいてくる
第3回 日本にとってフランス革命とは何か――坂本多加雄と「尊王リベラル」の起源
80年代までの保守系論壇にはない、「つくる会」において新たに加わった要素、それは坂本多加雄…「つくる会」のかかげる「健全なナショナリズム」が、実は、かつて共産党の影響下で進められた左派側の「国民的歴史学」運動の主張と、少なくとも表面上は、驚くほどの類似性を持っていたという点である…坂本の主張はシンプルなものだ。個人が自らの存在を世界の中で一貫したものとして理解し位置付ける際に自分を主人公とする物語や「筋」を必要とするように、国家もまたそのような物語やナラティブを求めるというのである。国家が必要とする物語やナラティブを坂本は「来歴」と呼ぶ
個人と国家の結びつき、そして国家の集合的アイデンティティが暗々裏のうちに前提とされている。たとえば、「日本スゴイ!」という文脈では国家というまとまりで語ることを否定しながら、「日本死ね」という文脈では安易に「日本」を主語に議論を進める論者を想定することは確かにそう難しくない。
つまり、実際の戦場はすでに国家に「物語」ないし「来歴」が必要か否かにあるのではなく、いかなる「物語」「来歴」が必要なのかという線に設定されている
第4回 「つくる会」西尾幹二の「天皇抜きのナショナリズム」
歴史において「正邪善悪の入る余地はできるだけ小さく考えた方が健全」(612頁)とする西尾のこうした立場からは、ニーチェやマイネッケといった西尾自身の教養目録の影響を感じ取ることができよう。しかし、国家的エゴイズムの激突とその結果として、ある種の「歴史の必然」の相で歴史を眺める見方それ自体は、意外にも彼が批判してきたはずの史的唯物論とも共通するものであった。また、道徳的正当化は避けると言いつつ、朝鮮半島の国民性や文明発展の程度を相当に低く見積もり、日米開戦に至る過程における米側の人種的嫌悪感の大きさが強調されるなど、客観的記述のなかに結論(植民地支配やむなし、開戦やむなし)があらかじめ埋め込まれているように見えることは否めない。その意味で彼の歴史叙述が「正邪善悪」の判断からどこまで免れているのかには疑問の余地があろう
『国民の歴史』は、意外なことに、天皇中心史観ではない。むしろ天皇不在の史観といっても過言ではない…思想史的にみれば、ここにみえるのは特殊戦後的な心性としての〈縄文憧憬〉であると言えよう。…「つくる会」の「委嘱」を受けた西尾がその「国民の歴史」の根幹に据えたのが、他ならぬこの〈縄文憧憬〉だったことは注目に値する。〈縄文憧憬〉を梃子として立ち上げられた西尾の〈天皇抜きのナショナリズム〉にあったのは、もっぱら「天皇制度」を「国体」の本質に置く坂本とは、完全に異質な発想
第5回 「慰安婦問題」の責任はだれが取るべきか――上野千鶴子の一貫性と揺らぎ
上野が意識していた論調は以下のようなものである。慰安婦の女性たちの訴えを広く「日本人」に向けられたものと解するならば、それに応答し責任を負おうとする人はまず自らが「日本人」であることを引き受け、「日本人として責任を感ずる」必要があるだろう。
だが上野はここにこそ「国民国家との同一化の罠」があると主張する。政府の責任と個人の責任をあくまで峻別して考えるべきである、それが上野の立場である。では、戦後社会を生きる個々人には「日本人としての」責任というものは存在しないのだろうか。そうした政府と個人の峻別論は結果として「日本人の加害責任」を免責する論理なのではないか。
この点において、しかし、上野の解答ははっきりしない。その不透明さには、上野自身のおそらく戦術的な韜晦による部分と、当時の論争状況の混乱に由来する部分とが混在している。
上野は、あくまで国家賠償を目指す彼女たちの理想主義が、「可能なるもののうちの最善」を目指す努力を妨害し〈機会の窓〉を閉ざす結果になったことを半ば認めているのである。
この敗北宣言(?)のうちで見るべきは、上野の犯した判断ミスそれ自体よりも、そこで用いられる「政治的リアリズム」「政治的判断」という語彙の方だろう。
第6回 「網野史学」が持つ二面性――天皇はなぜ滅びなかったのか
「新しい歴史教科書をつくる会」に対抗する側(上野もそこに含まれる)が「それではどんな日本史を語るのか?」と問われた際に、おそらく真っ先に思い浮かべる人物こそこの網野であっただろう
「網野史観」はいうなれば衰退史観でもある。網野は文明と野蛮(しばしば「マジカル」と表現される)を対比する際に、後者を否定的な意味で用いない。公定宗教や法、そして文字を通して「文明」の支配を貫徹しようとする国家の網の目には収まりきらない「マジカル」な部分に対し網野は基本的に肯定的である。そこにはいわば民俗学的な発想とでも言うべきものが働いており、飛礫(つぶて)や「えんがちょ」といった後世には単なる子どもの遊びとしか思われないものが、歴史を遡ればかつては社会のなかで実際に機能していたある種の儀礼や慣習であったことを明らかにしようとする。子どもだましにみえるのは、それが「生ける法」としての実質が失われた頽落形態にすぎないからだ、といった考え方を網野は好む。古代世界で「文明」国家によって抑圧されつつもなお生き残っていた原始以来の「マジカル」なもののポテンシャルが解放された時代こそ、網野がみる「中世」世界なのである。こうした「自由」な「中世」世界は、しかし、近世国家による主従的支配の貫徹により、社会の片隅に追いやられ、やがて失われていく。網野はこうした日本社会に対する国家の(再)浸透を、特定の職能に対する差別視の強化や女性の公的地位の低下といった現象と結びつける。14世紀後半の社会を「文明史的・民族史的転換」の時期と網野が名付けるのは、ひとつにはこうした衰退史観的な見方が背後にある
第7回 佐藤誠三郎が示した「多系的な近代観」――『文明としてのイエ社会』の意味
佐藤誠三郎が政権の「ブレーン」であることは同時代のメディアによって察知されていただけで無く、佐藤自身がこれを公言していた。佐藤は1978年以来、自民党の「党友」であり、自民党支持者であった(佐藤・松崎『自民党政権』、ⅲ)。しかし、こうした「御用学者」的性格は、時の政権に対する批判的言論の妨げとはならなかった点には留意すべきである。また、自身の政党支持の公言が、それを「はばかる雰囲気が、とくに学界には根強い」ことを念頭に、「支持政党の違いが学問的交流や友情にとって何の妨げにもならない」という「リベラルな態度」の実践でもあったこと(同)、逆に言えば、政党支持を明言せず中立を装いながら実際には党派的に振る舞う「進歩的知識人」への強い反感から出ていたことにも注意が必要だろう。こうしてみると、佐藤誠三郎の扱いにくさこそが、まさに彼がそれまでの知識人とは異なった特徴を持っていることに起因しており、その思想的個性ということができよう
佐藤らは江戸時代に完成したイエ型組織原理が発揮する、日本社会に対する規定力の高さを非常に高く見積もる。イエ型組織原理は、いわば「文化的遺伝情報」としてその後の日本社会に(1970年代まで)受け継がれることになる。したがって、日本社会が経験した二度の「西洋の衝撃」――開国と敗戦――は、いわばうわものとしての国家を転覆させはしたが、その土台ともいうべき社会の組織原理を変容させるには至らない……そこでは確かに「欧米型政治制度と日本型間柄主義の「習合」」(543頁)が見られる。だがそれを「単純に民主化の遅れ・歪みとみなすのは適当ではない」(543頁)。佐藤らは、マルクス主義に見られる単系的な近代観を採用しない。多系的な近代観こそが重要であり、近代社会は様々な形で存在することが可能である
第8回 トリックスターと天皇――山口昌男の二つの焦点
日本史叙述にかかわる範囲でいえばその論旨は意外に単純なものである。山口が着目するのはまずもって神話をはじめとする物語の「意味論的」「宇宙論的」な構造である。『アフリカの神話的世界』ですでに見たように「至上神」と「トリックスター」という構造は、王権の「中心と周縁」にそれぞれ対応し、記紀神話においてはこの「トリックスター」の位置にスサノオノミコトやヤマトタケルが見出されることになる。貴種として周縁を流離し、時に「スケープゴート」として悲劇の生け贄に供されることで、物語の宇宙を再活性化させることになる「トリックスター」に山口はこだわる。そして『源氏物語』や能の『蝉丸』といった物語のなかにも記紀神話と同じ「構造」と「トリックスター」を見出していく
天皇制の秘密がある種の「芸能」的な民俗の中にあるという、網野善彦の所説とも共通するこの主張は、しかし、あくまで「見立て」であり、「見立て」としての弱点や限界を抱え込んでいるという印象は否めない
第9回 未来学と古代史ブーム――オルタナティブな歴史を志向した小松左京と新京都学派
未来学が、この時期、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた1970年の大阪万博へと向けて、様々なグループを結びつけるコンセプトとして提唱されたということだろう。小松はその中にあって、万博のプロデューサーとしての大役を任され、オーガナイザーとしての才能を遺憾なく発揮する。小松が相互に結びつけたのは、小松同様、卓越したオーガナイザーであった梅棹を核とするいわゆる新京都学派をはじめ、官僚や財界、さらには黒川紀章、菊竹清訓などを中心とした建築家集団メタボリズム・グループも含まれていた。
万博が掲げる「進歩と調和」という明るい未来像と、『日本沈没』が示すカタストロフと。すでにこの時、小松が『日本沈没』の構想を温めていたことが端的に示すように、その両端の振幅の大きさは未来学そのものの中にもすでに含まれていた
未来学ブームと古代史ブームがほぼ同時に起こったことは偶然ではない。そもそも未来学自体が過去を扱う歴史学に決して無関心ではなかった。『未来学の提唱』でも、様々な論者が歴史学を未来学の構想の中に位置づけようと試みている。その際、OR(オペレーションズ・リサーチ)や外挿法といった数理統計的なモデルを用いた未来学が、その過程で歴史のイメージそれ自体をも変容させていくことが意識されていた。「物差しとしての時間」の可変性という感覚(林雄二郎)、「歴史のif」や可能性の分岐といった主題が強く意識されるようになる。「反事実的条件判断」に導かれた「仮説史学」が提唱されたのはその良い例である(樋口謹一「未来学と歴史学」『未来学の提唱』)。時間の「物差し」が大きくなり、歴史の「仮説」性が強く志向される。その対象が未来に向かうか、古代に向かうかは、所詮、二義的な問題であったのだ。たとえば、漫画『火の鳥』シリーズは手塚治虫のライフワークだが、1967年から集中的に連載された諸篇は、「未来篇」や「ヤマト篇」など未来と古代を往還する構成だったことも、こうした〈時代精神〉と呼応したものと見なせよう
第10回 歴史叙述としての『共同幻想論』――吉本隆明はなぜ天皇制の「自然消滅」を楽観したか
吉本と網野善彦の対談は実現している。1987年8月の『文藝』、テーマは当然に天皇制である(「歴史としての天皇制」『文藝』26巻3号)。農耕民とともに、非農耕民を見ることが日本を考える上で大事であるという議論ではかみ合いそうになる二人は、しかし、天皇をめぐっては微妙にすれ違っていることが今から見ると興味深い。天皇制の強靱さの秘密を、農耕民とともに非農耕民とも結びつく二本足の構造のなかに見出し、「やはりはやく消えてもらったほうがいい」と天皇制の廃絶を希望しながら、そのしぶとさを強調する網野の議論に対し、吉本は「ひとりでに消えて薄れていくことを頼みにするのが、いちばんいいんだろう」と応じる。一つには「産業の高度化が天皇制の問題を自然消滅させるだろうということに対して、わりあいに楽観的」であるからであり(当時、世の中はバブル景気であった)、もう一つは「天皇制以前的なものは何なのかという問題から、この天皇制を無化していくという方法に、僕なりに見通しがついてきた」と吉本はいう
第11回 日本人は思想を「受肉」できるか――山本七平が批判した「日本教」
三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたのは1970年11月25日のことであった……多くの同時代人が「その日」を鮮烈な記憶とともに語ってきた。それはひとえに三島の自決がある種の思想的事件として多くの人に直観されたからであろう。
これが「思想」的な事件であるという見解を示したのはたとえば司馬遼太郎であった。しかし、司馬がそこでいう「思想」の位置づけは独特なものである
瀰漫(びまん)する同調圧力に、合理的な思考やリアリズムの欠如、誰の目にも見えていながらそれについて誰も触れることのできないタブーの存在。山本が「空気」と名付けたこうした同調圧力の支配とその帰結に対して山本は一貫して極めて否定的だった
山本がこうした朱子学やそこから生まれた尊王主義に心情的にシンパシーを抱いていたわけではない。事態はむしろ反対であり、戦前の経験から山本は尊王主義には「生理的反発」や「拒否反応」を覚え、それが「自分を苦しめつづけた」と感じていた(下巻、83頁)。山本が、ある意味で、高く買うのはその主張の内容というよりは、思想に対する姿勢、言うなれば極めて厳格なリゴリズム、原理主義的な姿勢の故である。周囲からなんと言われようが、自分の思想を守り、自らが正しいと信じた思想の前提がもたらす反直観的、反世間的帰結を恐れないその姿勢を評価するのである。山崎闇斎の峻厳を以て鳴った講義について山本は「内村鑑三の弟子たちが語るあの聖書講義の雰囲気と不思議なほど似ている」(上巻、106頁)と書く。山本にとってなじみのあった戦前日本の原理的反体制主義者たる無教会派のキリスト教徒と山崎闇斎学派とが二重写しにされる。彼らは、思想の中身ではなく、思想に対するその緊張関係において似ている
第12回 「官」を凝視する松本清張、「公」を幻視する司馬遼太郎
松本清張も司馬遼太郎も多作な職業作家である。作品もまたバラエティに富む。その舞台は広く海外に求められることもあれば、その時代が遠く古代に遡ることもあった。だが、彼らはともにくり返し近代日本の歴史を描き、またそのような時に彼らの筆はもっとも冴えていた。彼らの代表作は、おそらく多くの日本人の近代観を規定している。そうであればこそ彼らは「国民的作家」と時に称されるのだろう。それでは彼らが描いた近代日本とはどのようなものであったのか。
清張の近代史ものの傑作『象徴の設計』がこの時期に書かれた…「精神的な象徴」としての天皇を中心とした服従と秩序の体系の構築を焦眉の急と考える山県が、軍人訓戒および軍人勅諭の制定を主導していく過程の描写に多くの紙幅が割かれる。その際には、山県が「最も信頼する思考技師」(79頁)としての西周が、そして西の生硬な文章を華麗に文飾していくレトリシャンとしての福地桜痴が脇役として大きな存在感を放っている。
山県への注目は、清張が当時並行して関心を向けていた官僚機構の起源を探るという意味を持っていただろう。『現代官僚論』の冒頭、清張は官僚機構の成立過程を振り返り「世間の一部では官僚体制の形成中心は伊藤博文とみる者もあるが、間違い」であり「云うまでもなく山県有朋が中心」(『現代官僚論』、『文藝春秋』1963年1月)であるという。
司馬の言うリアリズムを、清張流のそれとの違いという観点から把握してみよう。清張もまた歴史のなかのリアリズムを追求してきた。だが、清張が追求するそれはいわば――山県有朋がまさにそうであったように――恐怖や欲望のリアリズムであった。……朝日新聞社の下請け業者としての差別待遇に屈辱を感じていた彼にとって、軍隊での「歯車」体験がある種の肯定的体験であったというエピソードは(『半生の記』、新潮社、1970年)、彼の官僚機構に対するアンビバレンツを象徴するものである。
これに対し、司馬のリアリズムは明るく、ある種の合理主義と結びついている(司馬は「合理主義」という語を愛好した)。司馬流に言えば、「透きとおった、格調の高い精神でささえられたリアリズム」(第一章)なのであった。司馬が焦点を当てるのは多くはこうした意味での「リアリズム」をたたえた個人であり、清張が着目するような意味での「リアリズム」を追求する個人は、多くの場合、司馬の視野の外に置かれた
司馬は基本的には「思想」を突き詰めることを好まない。「無思想という思想」(『手掘り日本史』、1972年6月)が日本の特色だとさえ言う。だが、そのことは個人のモラルの問題を司馬が等閑視したことを必ずしも意味しない
第13回 昭和史論争と近代化論争――マルクス主義歴史学の55年体制
『昭和史』の著者たちと亀井・松田との違いは、したがって、実はあまり大きくない。いずれも、共産党の方針に葛藤を感じながら、〈国民の歴史〉を志向していた。『昭和史』の場合も、支配階級あるいはアメリカをいわば〈非国民〉としてくくりだし、それと対置されるところの「国民」を立ち上げようとする。ただし、『昭和史』の場合、そこで描かれる「国民」はあくまで、共産党の働きかけを待ってはじめて十全な政治的主体として構成されることになる。その時、共産党以外の左翼勢力は、「国民」と共産党の結びつきを妨害する勢力としてのみ描かれることになる。亀井や松田を刺激した点は正確にはそこだったはずであり、〈国民の歴史〉かそうでないかが問題にされていたのではなかった。〈国民の歴史〉の内実こそが問題にされたのである
近代化論の遺したインパクトのうちで、従来あまり指摘されないが大きいのは、それまで微妙な距離感にあった大塚久雄・丸山眞男らの「近代主義」とマルクス主義との距離感が、「近代化論」の登場によって一挙に遠ざかることではないか