具体例を引用した方が説得力や衝撃が増すのだろうけど
それすらしたくないから中傷的、いや抽象的な話しか、しないけど。
タイトルのような、ことを目にした。
安倍首相銃撃事件、そのあとに、いくつかの…それこそこのブログ内にも記録してるけど、
無名のネット民とかだけでなく
それこそ有名人、著名人、文化人でも、ちょっとそれはまずいだろ、と言う発言や表現があった。
そして、同じように暴力で、命が奪われた、38年前の5月3日の別事件に対して、
同じようなことを持ち出して「これは安倍首相銃撃事件の時に、同じ表現が……」とやって、溜飲を下げる、的なものを見かけた。

そのミラーリングの骨法、構造自体を云々する気はない。ある程度、まあたしかに的な部分も無いとはいわない。
しかし、それにしても、それは分断を生みすぎる。
そして、安倍首相銃撃の時に、確かに暴走が過ぎる発言を、一部の著名人、言論人、知識人が語った。
しかし、それはさすがに針の振り切れた表現であり、広がっているわけではない。ほとんどの人が眉を顰めるような、そんな例外で収まったのではないか。
それに対して「じゃあそれをミラーリングするぜ」とわいわい騒ぐのは、
逆にそういう暴走者の過大評価でしかない。
また、それは、あまりにも、昏い。あまりにも闇の深すぎる行為ではないか。
そもそも、安倍首相は、かなりの長期間、日本の最高権力者であって、またかなりの揶揄、皮肉、ブラックユーモアなどの対象になったし、なっていることをいちいち云々はしない、それなりの覚悟というか慣れをもっていた人物だ、ということもある。
それは、一記者・一会社員とは、また別だろう。
だから、そのミラーリング的な行為は、やめたほうがいい。
そう思うのである。
5月3日の、また次の日に記す。
追記 変な形で”偶然の一致”の読み、解釈が…という点で備忘リンク
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