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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「神よ 決着は人間の手でつけます 手をお貸しにならないで」…という思想について

X上の記録 こういう流れで。

安彦良和「イエス」より、ユダのメシア論



この話、ここで紹介している…元記事はまだあるかな…
m-dojo.hatenadiary.com

あるけど、有料記事かな?でも無料部分か

外人MMAファイター”あるある”、『神に感謝します』とは何か■MMA Unleashed

かつてチェール・ソネンは次のように語っていた。
「神について語りたがる選手がいる。“神に感謝します”などと言う。いいか、オレも信心深い男で、子どもの頃からずっと、毎週日曜日には教会に行っているが、もし神が、土曜の夜に行われる、合法すれすれの拳闘大会のことをそんなに気にしているのなら、オレはがっかりして信仰心全体を考え直さないといけなくなる」。


ch.nicovideo.jp

一方で元プロ野球選手から、引退後は牧師、説教者に転身し、大成功を収めた人の経験談


一番笑ったのは、プロ野球選手あがりの説教師サンデーの逸話。見世物と紙一重のド派手な宗教集会(アクロバット説教、と称された)をあちこちで仕掛け、歴代大統領とも親交を結ぶなど経済的にも社会的にも成功した(それをまさに、彼は「神の恩寵」と考えて隠さなかった)彼だが、プロ野球選手時代からも確かに敬虔なキリスト教信者だった。
だが、その敬虔な信仰というのが・・・
9回裏ツーアウトで、二塁と三塁には走者がいたが、最後の打者が大きくセンター越えのヒットを放った。野手のビリーは、すぐさま後ろを向いて走り始め、こんな祈りを捧げたという。

「ああ神様、たいへんです。もしわたしをお助けいただくおつもりなら、今この瞬間にお願いします。ただし、そのご決心をしていただく時間はあんまりありません」。

すると”まるでモーゼが杖を掲げて海を真っ二つに分けたように”観客席の人垣が左右に開き、彼は超ファインプレーでホームランを阻止した、由。
あまりにも世俗的すぎやしないかと思うが、日本人はわたしも含めてこれ以上に世俗的な信仰だからとやかくはいえんな(笑)。
でも、アメリカの超一流の伝道者がこういう信仰のあり方だった、というところから「反知性主義」の本来のあり方がわかって面白かった。

d.hatena.ne.jp


そして、今回知った言葉。


この言葉と画像は知らないので、セリフで検索してみた。
長谷川裕一による漫画作品『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の由。

神よ―――

もし 本当におられるのでしたら…

決着は"人間"の手でつけます

どうか手を――― お貸しにならないで―――

dic.pixiv.net

神よ 決着は人間の手でつけます 手をお貸しにならないで

宮本武蔵の有名な言葉
「神仏を崇びて神仏に頼らず」
を思い出すが、これ、どこが出典なんだろうか。
しばしば「吉川英治の小説の中の武蔵」の言葉が引用されることが多いが、実はこの場面、直接の成語としてのこれはない…のかな?


 見ると、麓の下り松のほうへむかって、石の鳥居がある。周囲は喬木と防風林でかこまれていた。
「オ。……お社やしろだ」
 彼は、拝殿の前へ駈けて行くなりそこへひざまずいた。何神社とも思わず無意識にべたと両手をついていた。折も折、心魂のおののきを彼も禁じ得なかった。――真っ暗な拝殿のうちに、一穂すいの御明みあかしは消えなんとしながら消えもせず、颯々と風の中にゆらいでいた。
「――八大神社
 彼は、拝殿の額を仰いで、大きな力を味方にもったような気がした。


(略)
 ――手をかけて。
(いや! 待て)
 と武蔵は、手を離した。
 縒より合せた紅白の色も分らぬほど古びている木綿の綱――鰐口わにぐちの鈴から垂れている一条の綱――
(恃たのめ、これに縋すがれ)
 といわないばかりな。

(略)

 さむらいの味方は他力ではない。死こそ常々の味方である。いつでもすずやかに、きれいに潔いさぎよく、はっと死ねるという嗜たしなみは、どんなに習っても、習いぬいても、容易に習いきれる修行でないことは勿論だが、ゆうべの月から今朝まで歩いて来た己れの身こそ、それを体得し切ったものと、心ひそかに、自分を誇ってさえいたのに――と、武蔵は石の如く神前に突っ立ったまま、じっと慚愧ざんきの首を垂れて、口惜し涙が頬を下ってくるのも覚えぬもののように、
(過あやまった!)
 と、悔いを心に噛み、
(――自分では、玲瓏れいろうな身になり切っていたつもりでも、まだ五体のどこかには、生きたいとする血もうずいていたに違いない。お通のことやら、故郷ふるさとの姉のことやらが――そして藁わらをもつかみたいとする恃たのみが――ああ、無念な! われを忘れて鰐口わにぐちの綱へ手を差し伸べさせたのだ。――この期ごになって神の力を恃たのもうとしていた)
 お通には泣かなかった涙を、武蔵は滂沱ぼうだと頬にながして、わが身に、わが心に、わが修行に、万恨の無念を持つのであった。
(――無意識であったのだ、恃たのもうとする気持も、祈ろうとする言葉も考えずに、ふと鰐口の綱を振ろうとした。――だが、無意識だから、なおいけないのだ!)
 叱っても叱っても、叱りきれない慚愧ざんきなのである。自分が口惜しいのだ。こんな浅い修行をして来たきょうまでの日々であったかと思うと、
(愚鈍め)
 憐あわれむべき自分の素質を考えるほかなかった。
 すでに空身くうしん。なにを恃たのみなにを願うことがあろう。戦わぬ前に心の一端から敗やぶれを生じかけたのだ。そんなことで、なにがさむらいらしい一生涯の完成か。
 だが――武蔵はまた卒然と、
「有難いっ」とも思った。
 真実、神を感じた。まだ幸いにも、戦いには入っていない。一歩前だ。悔いは同時に改め得ることだった。それを知らしめてくれたものこそ神だとおもう。
 彼は、神を信じる。しかし、「さむらいの道」には、たのむ神などというものはない。神をも超えた絶対の道だと思う。さむらいのいただく神とは、神を恃たのむことではなく、また人間を誇ることでもない。神はないともいえないが、恃たのむべきものではなく、さりとて自己という人間も、いとも弱い小さいあわれなもの――と観ずるもののあわれのほかではない。
「…………」
 武蔵は、一歩退さがって、両手をあわせた。――しかし、その手は鰐口わにぐちの綱へかけた手とは違ったものであった。
 そしてすぐ、八大神社の境内から、細い急坂きゅうはんを駈け下りて行った。坂を降りきった山裾の傾斜に下り松の辻はあった。

www.aozora.gr.jp

そういう点では、チェール・ソネンの様にこの境地に達した西洋人もいるけど、少しガンダム主人公のこのセリフは”日本的”でもあり、ゆえに琴線に触れるのかもしれいない



そして・・


当時、記事にしている。
m-dojo.hatenadiary.com



動画があった

謝罪まであるバージョン

コメント欄から追加

tennteke

「神は敬うべし、頼むべからず」高木彬光連合艦隊ついに勝つ」高木さんこの本の中で「伝家の宝刀は抜くべからず」なんかも書いていて、そういう名言に詳しそう。
「神様、私はこれからあなたを忘れますが、あなたは私を見守っていてください」森雅裕「さよならは2Bの鉛筆」に収録された「郵便カブへ伝言」で、友達の敵討ちに出発する主人公の言葉です。



とし
日本ラグビー界の名将大西鐡之祐は、早稲田大学の監督時代、大一番の前には部員全員で神社にお参りしていたそうですが、
そのことについて、「それは神頼みじゃなくて、『神よ、ご照覧あれ』、つまり『神さん、あんたは黙って見とれ』と宣言しに行ってたんです」と。