タイトルは、こういう本が話題だから
ただ、だから枢軸としてこれをイタリアに敷衍することができるのか、と言えば…もちろん「ムソリーニも『良いこと』なんてしていない。ナチスと同様に」で終えるのは、簡単というか無難だが……
ただ、ムソリーニがある種の「普通の独裁者」、さらにいえば「普通の”開発独裁者”」として、現実のサロ共和国のような大汚点を残さずに退場する、という世界線はあったかもしれない、とも思う。その場合、逆にムソリーニシンパ、ムソリーニ的なものを求める勢力がイタリアに残ったかもしれず、それもどんな歴史になるか分かりかねるが…
言い方を変えれば、ムソリーニが「リー・クアンユー」や「朴正煕」のような存在として、21世紀まで扱われる世界があったかもしれない、という、
ただ、もう一つ言えるのは…野球に例えると、6回まで走者を出さず、毎回奪三振のピッチングをしていたが、7回に突如崩れ、大量失点で敗戦投手になった投手を、6回まではグッド、7回からはバッドと簡単に言えるのか?という話。7回に崩れた、その理由が逆に「6回までの好投」の中にあるのではないか?とも。
あとひとつ、今思い出した。往年のファシズム研究の一人者、山口定の本を読んでいたら、当時かな、たいへん高名な左派から転向して保守派になり、核武装論まで唱えたことで有名な清水幾太郎が「日本はファシズムだというがかなり穏健派だ。ごくまれな獄中リンチによる、蟹工船作者の死などはあったが、治安維持法で一人も死刑になっていない」みたいなことを主張した時に「手あたり次第の大量処刑というのは、ナチスのイメージでしかない。ファシズム政権が政治的処刑をほとんどしていない、という点ではイタリアもそうだ(大意かつ、うろ覚え)」みたいな反論をしていたはずなんよ。へーえと意外だったんで覚えている。
これに塩野七生の短編評伝が収録されていたんだっけかな。
ともあれ、そういう番組がやる。NHKの4Kのところだ。