まず、故みなもと太郎の「風雲児たち」最終巻の出版予定は、いったいいつなんだ、ということを最初に問いたい。
とはいえ、じっくり待って、いろいろな資料なども集めて刊行してくれ、という思いはある…ステイステイ。
そこで本題へ。
幕末最終巻がまだなら、過去の既刊を読むべし、なのだが、以前、こんなふうなことをかいた。
その中でも、是非読んで欲しいのが20巻「平八郎挙兵す」である。「大塩平八郎の乱」は今の教科書では数行で終わるのだろうが、その男がいかに勇敢であったか、いかに自らを律すること大であったか、いかに信念に忠実であったか。さまざまな些事を丹念に拾いつつ、事件と人物の全体像を鮮やかに切りとっている。他のいかなる漫画家も、大塩を「風雲児たち」20巻以上に描く
ことは不可能だろう。ちょうど1巻で独立している点からも、大塩篇をすすめたい。
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ちょうど1巻とは潮社版の話で、リイド社版は潮版2冊を一冊にしているからちょっと違うけど、「大塩編」がかなり独立性の高い章で、ここをまず最初に読むという読み方ができる、という趣旨は変わらない。
で、ここにこういう場面が……
この文章の全部を読んでみたいと思ったのだけど、当然なかなかそんな機会もなく……
だが昨年末、こんな新書が出た。
幕府を震撼させた武装蜂起の真相!
江戸後期、天保の大飢饉が起こり、深刻な米不足から大坂でも餓死者が続出した。大坂町奉行所の元与力で陽明学者の大塩平八郎は、窮状を見かねて奉行所に救済を嘆願したが容れられず、私塾の門弟らと「救民」を掲げて決起。乱は一日で鎮圧された。自決まで一カ月余り大坂市中で潜伏を続けた大塩の真意は何か。密かに江戸へ送った「建議書」で何を訴えようとしたのか。近年発見の史料もふまえ、幕府を震撼させた事件の全容に迫る。
大塩平八郎研究やその書は、大塩平八郎「その人」にどうしても焦点が当たりがちで「乱」という事象のほうに注目した本は珍しいとか。
そして、この巻末に、その檄文の「現代語訳」が載っていたのだよ。
冒頭の「四海こんきゅういたし候ば 天録ながくたたん」から意味が取りづらかったのだけど、そういう意味かーー
これは軍事的にも、群衆蜂起につなげるためにとにかく人をたくさん呼びたい!という切実な思いもあり、前近代のプロパガンダ、アジテーションとしてはこんなふうにやるのか、と、たとえば異世界ファンタジーを執筆する人にも参考になるのではないか。
この新書では、風雲児たちに出てきた坂本鉉之介が書き残した資料などもいろいろ引用されている。
半分は公の文章なので、「大塩は極悪人」という大前提のもとに描いている(描かねばならない)のだけど……という微妙な筆致についてもわかるが、ただ砲術家として、200年起きなかった戦場に出向いて、大功績を立てたという、軍人の誇りと名誉みたいなものも当然ある。
回想記では「かつて訓練で大塩一派の砲術レベル(が高くないこと)を見ていたので『彼らは大砲で攻めてきてる』という情報を得て、ああ、大塩との砲術合戦なら勝てる、と安心した」みたいな話も。
また、その後天保の改革の所で出て来る矢部定謙は大塩に好意的、理解者の一人として描かれてる…のだけど、大塩の目から見ると彼も「国を乱す奴ら」の一人だったらしい。檄文とは別の、老中に当てて飛脚で提出した建議書では、矢部を糾弾している。
この行き違いには、大塩の塾生の「賊面灸治事件」なるものがあり…と面白いのだけど、略す。
ほか、大塩門弟には、密告や逃亡者だけでなく、乱の直前まで大塩に直接「武装決起など取るべき手段ではない」と堂々と反対し、その姿勢を曲げなかったので乱当日に殺された「宇津木静区(矩之充)」という人物がいる…幸田露伴も触れているそうだ。
精選版 日本国語大辞典
うつぎ‐せいく【宇津木静区】江戸後期の陽明学者。近江彦根藩士。岡本黄石の兄。名は靖道。はじめ頼山陽に学び、のち大塩平八郎の門に入る。平八郎の挙兵を阻止しようとして殺された。詩集「浪迹小草」。文化六~天保八年(一八〇九‐三七)
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とまれ、そんな新書に、檄文の全文現代語訳が載っているよ、というお知らせ。
「…我らは隠居の身であるがもはや堪忍なし難く、湯王や武王のような勢力も孔子や孟子の人徳もないけれど、やむを得ず天下のためと思い、民百姓を悩まし苦しめている諸役人をまず誅伐し、引き続きおごりにふける大坂市内の金持ち町人を誅殺することにした」
この檄文は、乱の後も広がり続けたほか、大阪では天保8年を「大塩年」と呼び「大塩年に私は13歳でした」みたいに使われたという。