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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

かなり以前に書いたみなもと太郎「風雲児たち」紹介文を再録

昨日付エントリを補足していたら、いい機会のような気がしたのでここで公開しよう。
これはいわゆる「グリフォン・ファイル」と呼ばれる、インターネット普及以前に某所に書いていた文章の再録。
ここでは「パトレイバー(漫画版)」の評(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080804#p3)や、
栄光なき天才たち・宇宙を夢見た男たち」の文章(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050227#p3
がこの仲間に当たる。
文中の「今」は1990年代半ば。

風雲児たち」 みなもと太郎    潮出版(註:当時の話。現在はリイド社が刊行)


この漫画の名を知っている人は殆どいないだろう。それも無理はない話で、「コミック・トム」という中堅出版社が細々と出している月刊誌に連載されているのだ。この雑誌、よほど大きい書店へ行かないと見つけることは不可能である。
しかし、「トム」は編集部の制約が非常に少なく、漫画家が好きなことをやれるためそれを求めて驚くほど有名な作家が集結し、しかも自分の思い入れが深いテーマを書くためか、この雑誌から生み出される漫画史上の傑作の数は、本当に眼を見張るものがある。手塚治虫ブッダ横山光輝「三国志」星野之宣ヤマタイカ」・・・・・
ちなみに今現在連載しているのは松本零士横山光輝諸星大二郎安彦良和藤子不二雄A、いしいひさいちといった、文字通りトップクラスの人気漫画家である。それらの面々に対して、10年以上も連載を続けているのだからその力量、推して知るべしである。


これは江戸時代を描く歴史漫画である。さて、ここで従来の歴史漫画のあれやこれやを思い出した方はまずそれを忘れて頂きたい。歴史漫画なら少々読み込んでいる私が保証するが、今までの歴史漫画のどれとも似ていない、まったくユニークな存在である。・・・・・


ちょいと自信無いから、未整理のまま書くけどさ、なんつーか従来の歴史漫画(映画・小説も含めて)は、例えば劉備関羽がどう動いた、それに対し呂布はこう対処した、という事件の物語(ストーリー)が中心な訳ね。もちろん悪い事じゃないし「風雲児たち」の魅力の多くもそこに有る。

けどそれ以外にこの漫画ではそういう事件はどういう過去の経緯から生まれて、未来に向けてどう行った影響を与えていったのか、そういう所にまで眼がいってるんだな。例えば、伊能忠敬間宮林蔵(覚えてる?)の活躍は江戸時代の日本独自の数学の発展、断片的なロシア情報が生んだ北への関心、蘭学の日本への定着、といった物から生まれ、それがシーボルトを経て西洋へ伝わり、諸外国の関心を刺激し・・と様々な連鎖反応をおこしていく、その過程を描こうとしているんだな。


・・・自信出てきたから文体を戻すが、作者のこの試みは歴史「物語」と共に歴史「書」としての漫画を描いて行こうとすることに他ならない。そのためにナレーションが多用され、ときには作者自身が3枚目のキャラクターとして登場したりする。手法的には確かに邪道だが、うるさく感じないのはテンポの良さ、ギャグの挟み方、内容の着眼点など、総じて作者の技術の確かさのゆえだろう。



この漫画は、幕末の英雄達を描く・・・・筈だった。あくまでもその前フリとして、幕末に志士たちを出した薩摩・長州・土佐らは実は関ケ原で・・・・という所から始まって、幕末に影響を与えた事件をピックアップし、そこで一気に幕末に持っていこうという予定だったのである。
 ところが、歴史の原因と結果というものは錯綜し、絡み合い、全く無縁に見えるものが関係していたりと恐ろしく底が深い。その魅力にみなもと太郎はとりつかれてしまった。


幕末の尊皇攘夷運動の原動力である水戸藩朱子学を描かねば。
開国論は蘭学から始まるから「解体新書」を取り上げよう。
大国屋光太夫を例に日本と海外との交流を・・・・・・


なんてな事を続けていたら、22巻まできてやっとこ天保の改革が終わりかけたとこまでしか来ていないのだから、その遅さは大変なものだが、そのかわりに取り上げた事件は微に入り細にわたってあらゆる角度から描かれている。シーボルトがドイツ人なのにオランダ人だと偽って、その発音のおかしさに幕府が疑いをもつと、潅漑で国土を作った平地だけの「あの」オランダの「山岳民族ですっ」といってごまかした話なぞはまさにディテールにこだわったからこそ予期せぬ笑いとして生きるのだ。(逆にみなもと太郎が興味を持てない事件はさっさと省略されてしまう。例えば八代将軍吉宗は回想シーンのみの出演、大阪夏の陣に至ってはなんと2ページ!で終わり)


 1〜3巻(※以下、潮版の巻数です)はさっき述べたように関ケ原前後の話だが、この辺は極端な言い方をするなら、司馬遼太郎史観の焼き直しといっていい。(もっと極端にいえば、1〜3巻は読まなくともいい。4巻では、江戸時代を通じて最大の名君、会津藩保科正之の話で、これは面白い)
この漫画が独自のスタイルを確立するのは、5巻からの「蘭学黎明篇」であろう。

前野良沢杉田玄白の解体新書グループと平賀原内や、仙台市役所前に銅像もある林子平らが鎖国体制の中で、未知の外国に目を開いていく様が軽妙な笑いを交えて描かれているが、特筆すべきは老中・田沼意次開明的な指導者として描かれている事である。
田沼意次汚職まみれの腐敗政治家と見る視点は、すでに学者たちの間ではほぼ消滅しているが、それが大衆的な読み物の中に生かされているのを見たのはこれが初めてである。この後は、田沼を追い落とした松平定信ら(彼への評価は低い)が中からの視点を、最上徳内らの北方探検隊やロシアに漂流した大国屋光太夫らが外からの視点をそれぞれ与えている。決まった主人公を持たず、複数の登場人物が平行した物語を作って行く形式を「グランド・ホテル形式」というそうだが、ともすれば散漫になり易いこの形式も、この漫画では最大の効果をあげているといっていいだろう。


その中でも、是非読んで欲しいのが20巻「平八郎挙兵す」である。「大塩平八郎の乱」は今の教科書では数行で終わるのだろうが、その男がいかに勇敢であったか、いかに自らを律すること大であったか、いかに信念に忠実であったか。さまざまな些事を丹念に拾いつつ、事件と人物の全体像を鮮やかに切りとっている。他のいかなる漫画家も、大塩を「風雲児たち」20巻以上に描く
ことは不可能だろう。ちょうど1巻で独立している点からも、大塩篇をすすめたい。



【追加でひと言】
ここで描けなかったのは「蘭学黎明編」で描かれた前野−杉田の対立関係。
ともに誠実で真摯で、であればこそ不可避となっていく確執と、それを乗り越えて両者の力(どちらか一方がかけても成り立たない)で生まれる進歩。
この部分をもう少し紹介文で描きたかった。いつか独立した補足文を書きたいと思う。


参考リンク集

■この再録のきっかけとなった「釣りキチ三平高田屋嘉兵衛編」紹介(昨日のエントリ。加筆しています)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081027#p6

■あと一つのきっかけが、このエントリの人気への便乗(笑)
「日本史を勉強したければ『風雲児たち』を読め。」
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081018/p1

■同エントリのブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081018/p1

■初期の「会津藩誕生」に関連したエントリ
「「3月のライオン」に便乗し、「風雲児たち」と保科正之を宣伝する。」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080909#p11

■そのとき作った海賊版動画【保科正之、江戸大火に処す】
http://www20.tok2.com/home/gryphon/data/fuuunji.wmv

■この作品での田沼意次はちょっと褒めすぎかも、という話
田沼意次論争」
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080116

■江戸時代の科学や技術を考える
漫棚通信から2 絵画技術ってどうして世界で同時多発しなかったんだろうね 」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20071229#p5
大麻の鎮痛作用に迫る」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070412#p1


■解体新書関連
18世紀の「人力検索はてな」。建部清庵杉田玄白(「風雲児たち」関連)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070927#p5

■開国とハリスと国際経済について(幕末編)
「「風雲児たち」とハリスと黄金とをめぐる謎」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070628#p6
「「お台場」とはなにか?・・・「風雲児たち」より。」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040703#p1

尊王思想、儒学的思想の発展と自己崩壊について(まとめて)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070523#p2
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060204#p5




さがせばもっと有った気がするが、とりあえずは。