カレー沢薫氏、最初は「クレムリン」で猫漫画のふりしてシュールな笑いを描き、その一方で久米田康治バリの毒舌風刺(その中には「オタク界」への自己言及もあったりするし、世間のマウント合戦なども「ひとりでしにたい」では描かれる)も、文章エッセイもこなす才人である。
しかし、なんか傾向的に「文学的」な作品が多いビッグコミックオリジナル増刊では以前からこの「わたしの証拠」で、まだ本人には早い老いの問題を、抒情的ともいった筆致で描いている。
今回は、1通の…いま、メディアでも話題になることが多い「年賀状じまい」がテーマ。
年賀状じまいとは、たしかに実質的な人間関係の切り捨て、縁切りでもある。
そういうはがきをもらった老人が「この人は自分の少し年上で、すごく世話になった兄貴分。まだ年賀状じまいの年齢でもない。何があったのだろう」と、何十年ぶりかで会いに行くことを決める。
今回の作品に驚いたのは、表題に描いた「MASTERキートンみたい」というね(笑)。
別に日常の品を武器に使うアクションシーンがあるとかじゃないぞ(笑)
篠原健太の諸作品や、「それでも町は廻っている」みたい、というべきだろうか。最初の方で提示された主題が、きれいに最後に繋がっている。
こういう技巧的なこともやるんだー、と、あらためてその才能に感嘆したというかな。
以前から「カレー沢薫」にあと足りないのは、わかりやすく評価を示す「賞」の受賞だと思っているんだけど、「ニコニコ繁殖アクマ」とかに比べると(笑)、「わたしの証拠」や「ひとりでしにたい」は、非常に世間の評価をストレートに受けやすいと思う。
このへんが、「賞」とか「書評」とか、そういう方面で報われるべきと思うし、それはそんなに遠い話ではなさそう。
その後のコメントや、授賞式はどうなるかまでは考えていない。