この記事の、後日談。
徳光和夫 アントニオ猪木氏との再会秘話「あまり動かない手で一生懸命に動かしてくれた」
9/3(土) 17:24配信
(略)……猪木にマイクを向けたのが、猪木氏とも旧知の仲だった徳光だった。「事前にお見えになりまして、車いすに座った猪木さんが“徳さん、こんなになっちゃったよ”って言ったから、“何言ってるんだよ。まだ70代だろう?”みたいな話をしたわけですよね」。今年の会場は両国国技館。猪木氏は「国技館って場所を聞いて、こりゃ行かなきゃねって思ったんだよ」と話していたという。
猪木氏の言葉の真意を、徳光が解説した。「猪木さんが新日本プロレスを立ち上げる前の日本プロレス、馬場、猪木の2タワーでプロレスのある意味、全盛期を迎えた時があった」。故ジャイアント馬場さん、猪木氏のタッグはBI砲と呼ばれていた。徳光は「その時に蔵前国技館で大きな一戦をした」と語り、国技館という言葉に対する猪木氏の思い入れを推測した。
一方で、猪木氏の闘病生活の大変さを目の当たりにした瞬間があったという。「ショックだったのはね、お帰りになる時に車いすじゃなくて、ストレッチャーに乗ってお帰りになった」。それでも徳光は「(略)終始笑顔で、あまり動かない手で一生懸命に動かしてくれたのが大変、印象的だった」と……
「徳光は日テレはえぬきでジャイアント馬場派、仕掛けやがるかも?」と懸念する向きも一部ではあったが(ねぇよ)、もとをたどれば徳光は「日本プロレス」の生き残り、ある意味同じ釜の飯を食った仲だったのだ。
それはともかく…「ショックだったのはね、お帰りになる時に車いすじゃなくて、ストレッチャーに乗ってお帰りになった」
闘魂、強敵への苦闘がわかる……ストレッチャーに乗ったのは、意外な結末にファンをハッとさせるためと、借金取りから逃れるため、とかならよかったのに…ってそれは第一回IWGP決勝戦、ハルク・ホーガンのアックスボンバーに”失神”したときの話だよ!
とはいえ、この前語っていたように、
ま、余談だけどこの番組で一番笑ったのは、死んでもおかしくないような難病、死の淵からみごとに復活して退院するという時、生還の理由を問われて
秘書「馬場さんが(あの世に)受け入れてくれないから」
猪木「馬場さんが意地悪するんだよね」
説得力。天国プロレスリングに猪木が参戦するには、団体の壁がまだ厚い。
である。馬場もエリックもシークもドリー・ファンク・シニアも、あっちで多数派を形成している。当分新規加盟はお断りだろう、新間寿もふくめて(笑)
※この記事の、約1カ月後のことであった…