番組内容からメモ
配信25分から
原作立ち上げの時から苦労
当時の少女漫画界は、本格的な歴史ものに偏見があり、担当編集者は
「過ぎてしまったことなんか描いて何になるんだ」と、池田理代子の企画を没にしようとしていた。
「歴史はあくまで男の世界、女こどもにはわからない」…(苦笑)
で、池田理代子はどうしたかというと、
「このひととは歴史観が合わないから」と、編集部に言ってそいつを担当から外した(笑)
彼女の方が権力あったんだね(笑)。
こういう、大成功企画に反対したり没にした人間、というのはあまり名誉じゃないから名前が出てこないけど「ベルサイユのばら」に反対して更迭された、当時の担当編集者…ってのは、調べればわかるだろう。
ちなみに初期から連載は大人気で、ファンレターは段ボール単位で届いたという。
宝塚舞台化の裏側
配信30分
当時の宝塚の脚本家は植田紳爾。
宝塚は60周年を迎えようとしており、メモリアルの大企画が必要ということで悩んでいた。その植田のもとに、一般の宝塚ファンがやってくる
「宝塚でやってほしいものがあるんです」。
それが、ベルサイユのばら。植田は、「全然知らなかった」
そしたら数日後、大きな荷物が届いた。それは連載雑誌のマーガレット。
読んだ植田は「これは本物だ」と企画提案。
しかし・・・・・当時、「宝塚がマンガを題材にやるなんて!!」という偏見、反対論が噴出。
当然ながらそれほどに、当時の漫画の地位は低かった。
植田「いまから思うと恥ずかしい話だけど、ぼくもそう思っていたから」
さらにいえば、そもそも宝塚では「男役」はやまほど演じられたが、原作のこの役柄は「男装の麗人」なわけである。
いろいろトライする必要があった。
先ほどの感想にもつながるが、「宝塚にベルばら舞台化を提案したXさん」って、無名のまま「ファンのひとりが」として、歴史に埋もれてもいい…ってことは無いんじゃないの?
きちんと「XXXの〇〇さん」として名前が残ってもいいんじゃないと思うんだけど。
まあ、植田氏と対面して会話できるんだから、本当に「普通のファン」かどうかわからないけど、でも宝塚の場合、熱心さが昂じてスタッフや俳優とふつうに”面識”のある一般ファンはたくさんいるとも聞くしね…
そのとき10代ならいま60代。植田さんはおそらく名前を知っている。
このひとのアイデアと、それを脚本家に本まで送ってプレゼンした行動力によって、サブカルチャーの歴史が大きく動いた。
どこかで、この
そして…いまもむかしも、だが「原作厨」が立ちはだかるのだ(笑)。
「あのオスカルを生身の人間がやれるはずがない」
「夜道に気をつけろ」
「オマエなんかができるわけがない死んじまえ」
「目から星とばせるのか」昭和の遺風だが、封筒にカミソリを仕込んで開くときに手をケガさせる、が普通に行われてもおりました。
漫画的な演出を舞台で再現するのって、たしかに大変な難題だが…、実はこのとき、映画界興隆記を生きた大スター「長谷川一夫」が演出に加わったのだという。
映画演劇のノウハウを知り尽くし、歌舞伎の女形として「女性らしさ」もよく知っている長谷川は、上記の「目から星をとばす」まで実現したのだ、という。