「ナポレオン 覇道進撃」(長谷川哲也、コミックアワーズ連載)は、いま欧州各国の対仏連合軍によってパリが陥落し、ナポレオンが皇帝を退位するか、最後まで戦って戦死するか……・というところを描いている。
年号でいうと1814年。日本では化政文化が爛熟した時代だ。
じつは自分の知識としては
・1804年にナポレオンは皇帝に即位
・しかし1812年に、ロシア遠征が冬将軍の猛威もあり失敗
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・その後…「いろいろあって」降伏し退位
・しかし間もなく、隙を見てエルバ島から復活、いわゆる「100日天下」を得る
・しかしワーテルローで敗北、セントヘレナに再度流され生涯を終える
みたいな、ざっとした知識しか持ってなかったのだよ。だからナポレオンが1回目の敗北・退位をする経緯というのを、今回あらためてきちんと知った。
(池田理代子の「エロイカ」も読んだはずだが、正直最終盤の記憶なし)
今月と先月、作品ハシラの編集者の煽りが「タレイラン無双」。
いや実際、陰謀といってもいい形で、タレーランは連合国と渡りをつけてナポレオンを葬ったのだが、じわじわと皇帝が敗色濃厚となっていく(実はその敗色の中、ナポレオンが直接指揮する軍隊は何度も神のごとき用兵で勝利していく。だが、局地的勝利をいくらナポレオン直轄軍が収めても、それはむしろ反仏同盟を結束させ、全体的な和平が遠のくという皮肉な結果に…)そんななかで、そのタレーランの決断と陰謀は「フランスの」害だったか、益だったか?となるとねえ。
そしてそのバランス感覚と政治センスは芸術性を増し、ブルボン王家を王政復古させる一方で、国旗の「三色旗(つまりフランス革命そのもの)」を認めさせ、そもそも敗北したはずのフランスの領土なども連合国から最大限に守りきる仕掛けをしていくのだ。
そしてちょっと面白かったのが、この当時でもやはり国家が敗北し、和約を結ぶ際には政府の正統性とか、どの機関が意思決定をするのか、とか降伏や休戦の権限は誰にあるか、が重要となっていたようだ。
もっとむき出しの闘争で「相手が死体になれば国家の勝利だ、焼け野原になれば敗北だ」では、なかったようなのだ。
ただ、それが自然状態での”戦”とはちょっと違った感じにもなる。
「法的には、これでフランスは敗北した。あとは…実態として、まだ闘う気満々のナポレオンとその近衛軍をどうするんだ?」みたいな、おかしな話にもなってくる。
やや三谷幸喜テイストも入った、そんな極限状態での人々の葛藤や裏切りや、それでもなお残る友情や英雄的精神などを描いて、近年の回は面白い。
そして長谷川先生のナポレオン伝…「獅子の時代」「覇道進撃」と続いたこの作品も、いよいよファイナルまでのカウントダウンが見えてきたのかもしれない。