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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「写真」が無ければ、絵は「似てる」のみ尊重され『芸術』になり得なかったのでは、という話(ブルーピリオド&双亡亭)

写真のトレースだかなんだかの話題は、さておいて…

マンガ「ブルーピリオド」の最新回で、ある人物がアートの歴史を語る場面が出てきた(アフタヌーン2022年3月号、51話「迷走2.0アカデミーパック」)。

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ブルーピリオド、絵の歴史を語る(特に写真との関係)
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ブルーピリオド、絵の歴史を語る(特に写真との関係)


・昔は布教アイテム、ポートレイト、名所の記念写真替わり…に絵が非常に有効だった。
・しかし「カメラ」が登場した。
・そこで芸術家は「アート」ならではの表現を追求した

・・・・という流れなわけだけど、一昨年だったか、これと同じ話を伝奇アクション漫画ながら、”芸術”がストーリー上重要になる「双亡亭壊すべし」でも語られてたので、あーやっぱりそうなんか、とピースがはまった。

藤田和日郎双亡亭壊すべし」で語られた「うまい絵とは何か」の議論(2021年…だったかな)

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双亡亭壊すべし」での「上手い絵」の議論 写真が生まれてから芸術もできた 藤田和日郎


・むかしは「どんだけリアルに描けるか」が評価基準
・そうりゃそうだ、大金払ったのに似てないとやだもんなあ
・だけど19世紀にカメラが生まれた
・今まで正確な絵を描いて「上手い」と言われてた絵かきが、それじゃダメになった。
・そこからみんなが「上手い」とは何かを、それぞれ探しはじめた。
・だからカメラが生まれてから、ホントの「芸術」が生まれたんだ


いや、なるほどだーな、とよくわかる。実感としても。その一方で、芸術の絵画とカメラが共存している今からの逆算の感覚だと、「カメラが登場して、一時は従来の絵画が存亡の危機に立たされた」もエッ、となる。

カメラというのは相当に普遍的に
人類が歓迎するもののようで、
よく幕末に「写真は魂を抜かれるということで、人々が恐れ嫌がった」というけど、それはごく一部の迷信家の話で、大多数は「おー、俺の、息子の姿がそのまんまに一枚の紙に!!ステキだ欲しい!!」「我も我も」な反応だったんすよね。
カメラ自体は原理を知っていれば電気とかなくても、家㏍帆プリミティブな技術でやれそうなんで「戦国時代や平安時代にタイムスリップしても異世界でも、写真というチート技術で成り上がれる」と豪語してる人がいた(笑)。


まだカメラが世界的には超贅沢品…こんなにカメラ付きスマホが普及してるわけがない1970年代、発展途上国を旅するバックパッカーや戦場カメラマンは「おっ、そのカメラで俺を撮ってくれ!そして写真を送ってくれ!」と大モテだったという。
沢木耕太郎長倉洋海の文章に、そういう場面がよく出て来る。



自分もアートを鑑賞する眼力がないもんだから、特に17世紀あたり…戦国時代から江戸時代にかけての肖像画において「西洋画はそっくりだけど、東洋の絵はデフォルメされてるなあ」と思うのが常だった。
織田信長の南蛮好みから言っても、あの後も天下布武が続けば宣教師が「うちの飛び切り優秀な絵師を来日サセマシータ。ノブナガサマの肖像画描きまーす」「おお見事じゃ、わしにそのまま伝えてその技法広めい」となったんじゃないか、とか思う。
鎖国下でも一部は、蘭画の技法が導入されてたのだから。

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風雲児たち 平賀源内と秋田蘭画

とはいっても、肖像画はやっぱり基本、日本風だったね。
これは「いまの漫画ってどうして人間の絵がリアルじゃないの?アメコミの画風の方がリアルだよね?」という話とも関係するのか…? リアルな絵は文句なく、写真的にすげーと思われる一方で、やっぱりその時代の「スタンダード」の技法に審美眼も左右されるところは大きい。
そのせめぎ合いなんだろうな。


にしても、カメラ登場によって「そっくりな絵」の価値が暴落しつつも
その逆境をエネルギーに、逆に「芸術としての絵」が生まれるという話は、大いに示唆的であると思いました。

(了)