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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【メモ】「赤旗」における立花隆氏逝去記事/米原万里氏「共産党に査問された時は殺されるかと思った」

ふたつのメモ。


赤旗に 立花隆の 訃報なし」(五七五)
だが反共に、いや反響を考えたのか、どう扱うかをいろいろ革命的に検証したのか、その結果、各社の報道の翌日にひっそり咲く月見草…。


ちなみに「赤旗 立花隆」で検索したら『反共を売り物にする有田芳生氏』を批判する記事が見つかり( ゚д゚)


米原万里氏、共産党の査問で「殺されるかと怖かった」(佐藤優氏の証言)

米原氏の言葉を佐藤優氏が書きのこし、それを佐高信氏が引用するという手間がかかった話だが…

diamond.jp


ユリイカ』の2009年1月号は米原万里特集だが、そこに書かれた佐藤の一文を読んで衝撃を受けた。

 2002年5月13日発売の『週刊現代』で、外務省のラスプーチンこと佐藤を東京地検が逮捕することに決めた、とスクープされるや、親交のあった米原から、電話がかかる。
「あなた、今晩あいていない、私と食事しよう」
「あいてるけれど無理ですよ。記者たちに囲まれて、集団登下校状態なんです。マスコミをまくことができません」

 そう答える佐藤に、米原は、「いいわよ、記者たちがついてきても」と言ったが、米原はマスコミの前に姿をさらすことで、佐藤に対するバッシングの防波堤になろうとしたのだった。

「組織が人を切るときの怖さを話しておきたいの。私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかと本当に怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ」

米原は佐藤を信頼していたのであり、身体を張って、それを示そうとした。

佐藤優氏の文章も見よう

gendai.ismedia.jp

……生前、米原さんとは共産主義をめぐる議論を何度かした。東京大学大学院に在学している頃に、米原さんは、宮本批判を許さない共産党の体質に違和感を覚えるようになって、共産党を離党した。査問にもかけられたというが、「あのときのことは思い出したくもない」と言って、何も語らなかった

米原さんは徹底した反スターリン主義者だった。ただし、マルクスレーニンヒューマニストととらえ、尊敬していた。筆者は、マルクスは尊敬するが、レーニンスターリンは同じ穴の狢と考えていたので、ときどき米原さんと論争になった。

米原万里氏は、一九五〇年生まれ。「1976年3月、同社を退社し、同年4月、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。1978年3月、同修士課程修了。」
ja.wikipedia.org
大学院入試の年に、アントニオ猪木モハメド・アリが死闘を展開している。


ふむ、時期で言えば70年代半ばから後期にかけての日本共産党の査問。……あ、そりゃ殺されるかと思うような恐怖心を感じるわ。
いまは、どの程度ソフトになっているかはしらぬ。