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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ペールワンの末裔、日本で五輪目指しレスリング修行中。後見人はアントニオ猪木。

2021.04.18NEW

【特集】オリンピック出場を目指す伝説の格闘一族の末裔、世界最終予選にかける…アビッド・ハルーン(パキスタン日体大

…来月の世界最終予選(ブルガリア)にはベストウエートの97㎏級でエントリーする予定という。「僕にはまだ実績がないけど、これからパキスタンに戻ってから精いっぱい頑張って練習し、東京オリンピックに出たい」
(略)
ハルーンは、異種格闘技路線を進めていたアントニオ猪木さんが1976年にパキスタンで闘ったアクラム・ペールワンの親族として知られている。1979年に猪木さんと闘って勝利をおさめ、会場を熱狂の渦に包んだズベール・ジャラは、ハルーンの父親の兄弟、つまり叔父にあたる。

 「私の一族はずっとレスリングをやっていました。僕のお父さんはやっていなかったですけどね」

 1991年のジャラの急死をきっかけに、一度は途絶えたペールワン一族のレスリングの灯を再び灯すきっかけを作ったのは、2014年に久しぶりにパキスタンを訪問した猪木さんだった。一族の伝統が遺えたことにショックを受けた猪木さんは「一族の誰かを日本に送ってくれ。レスリングをやらせる。生活の面倒は見る」と声をかけた。

 そこで、当時14歳だったハルーンに白羽の矢が立った。猪木さんの金銭的支援を受けて来日したハルーンは、東京・日体大荏原高校を経て千葉・日体大柏高校へ。そこでレスリングに専念し、日体大でも重量級のポイントゲッター…(略)猪木さんの病状が、気が気でない。「僕に声をかけてくれた猪木さんは具合が悪いようで、ちょっと心配です」


japan-wrestling.jp

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アントンに尾猪木vsアクラム・ペールワン

ペールワンとは世界最強の男という称号であり、パキスタンではこの名前がアクラムに勝利した猪木に与えられ・・・・・・・・・というような大ボラ(だと分かったのは近年のことだった)はともかく、その試合が得意なもので、そして猪木がまだプロレスの「フッカー」が技術、知識で優位性があったころの名残を見せつけた、今となっては記念碑的な試合であることはまちがいない。


そしてそのあとも、猪木はこの一族と対戦した。ああいう試合やって、再度現地に試合に行く方も行く方だけどな(笑)

cat303.com


このへんの一連の経緯は、同書を参照

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

  • 作者:柳澤 健
  • 発売日: 2009/03/10
  • メディア: 文庫


しかし、「生活の面倒をみてやる」という約束までして、ひと1人を日本に読んでレスリングを学ばせるというのは、たしかに猪木らしい。
「いい話ですな…」である。



そして猪木、なんだかんだと借金返したんだか返してないんだか、あるいはまた新しい「発明」に手を出してないかはともかく、生涯まずは目先の生活、金銭的には困窮することなく、気前のいいスーパースターとして一生をまっとうできるようである。