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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【メモ】佐久間象山が「気球に乗ってワシントンに攻め込みたい」という漢詩を作っていた(「日本SF精神史」より)

日本SF精神史【完全版】

日本SF精神史【完全版】

「完全版」なんて出てるのね。自分が読んだのは

だが。

で、そこからのメモ。
実は以前から「気球」、それも「その発明と発展」「日本への伝来」、そして「軍事利用」などについて書いてみたいと思っていたのだ。
その資料のために、以下の記述を残しておきたい。

……十九世紀後半に、軍艦と並んで、未来的な実在の技術として人々の注日を集めていたのは気球だった。この気球についても、佐久間象山がSF的発想でフィクショナルに描いている。象山は安政元(一八五四)年というペリー艦隊が再航を宣言した年の新年に「甲寅初春之偶作」という漢詩を作っている。そのなかに気球が登場するのだ。この詩のなかで象山 は、「悪しき異国の徒がわが国を去り、江戸の都は再び平穏を取り戻したかに見える。外敵に備える回天の備えは未だな く、どこからか優れた英雄が現れないものか」と謳う。そして、その昔、諸葛孔明が連弩(大きな石球を連続発射できる石弓)を用いた故事を引いて、大砲による防備を固めることが急務だと訴える。その上でこの詩を次のように結んだ。
《微臣別有伐謀策安得風船下聖東(微臣、別に伐謀の策あり、安んぞ風船を得て聖東に下らん)) すなわち、自分には別の戦術がある。それはどうにかして風船(気球)を得て、聖東(ワシントン)を直撃する、というの である。 ・ジュール・ヴェルヌが「気球に乗って五週間」を発表するのは一八六三年であり、象山の漢詩はそれより九年ほど早い ものだった。単に気球を登場させた奇想冒険なら、すでに嘉永二年(1848)年に柳下亭種員作「白縫譚」が出ているが…(後略)

雀部 >(略)そういえば、日本で初めて電信機を作ったと言われる異才佐久間象山も、安政元年に気球が登場する「甲寅初春之偶作」という漢詩を作っているんですね。気球でアメリカに攻め込むという。太平洋戦争時の風船爆弾はそこから思いついたのか(笑)

長山 >  象山は偏西風のことも知っていて、気球を高く上げればアメリカに着けると知っていました。まさに太平洋戦争中の風船爆弾ですよね。十九世紀にはまだ飛行機が現実のものになっていなかったので、気球による「空中征服」が欧米でもロマンを掻き立てました。日本でもほぼ同時期に、こういう漢詩が作られたことは、やはり欧米SFと日本SFの平行進化を考えるうえで記憶しておくべきエピソードだと思います。
[www.sf-fantasy.com


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風雲児たち 6巻の気球と、「日本SF精神史」での気球の話

風雲児たち 6巻 (SPコミックス)

風雲児たち 6巻 (SPコミックス)

平賀源内が気球を研究していた、というこの「風雲児たち」の記述は、さすがにドラマ「天下御免!」あたりに影響されたフィクションじゃないか?と思ったのだけど、資料は一応あるみたいなのね。
1788年
日付不詳 - 櫟斎老人が平賀源内の生涯をつづった『 平賀実記』に平賀源内が長崎でオランダ人から軽気球を買い取り、江戸へ持ち帰ったという記述がされた[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/18%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E8%88%AA%E7%A9%BA

少し前の読売新聞にあった大久保健晴「翻訳語事情」には、こういった記述がある。

・1783年に初の気球飛行がフランスで成功(モンゴルフェ兄弟)
・早くも三年後には、それを描いた絵が蘭癖大名・朽木昌綱に入手され
1787年刊行の「紅毛雑話」に絵入りで掲載
・「気球」の「気」は単純な空気でなく朱子学的な意味合いも加わっている
・その後、漂流民・津太夫もロシアで目撃 
・その話を聞いた大槻玄沢が「あの伝聞で聞いていた気球を実際に見た日本人がいて、実在が裏付けられた!!」と大喜びした(環海異聞)

…アジアで「気」とは、流動的で至るところに充ち、万物を構成するとされる。そしてこの気の動きを支える原理を「理」と呼んだ。「気球」とはそうしたなめらかな気の動きを統御しながら空中へ舞い上がる舟であると考えられた。蘭学者たちは、娯楽としてではなく、気球を動かす「理」に強い関心を注いだ。_1807年、ロシアから帰国した漂流民・津太夫らの見聞をまとめた大槻玄沢の『環海異聞』には、興味深い逸話が載る。彼ら漂流民は、サンクトペテルブルクロシア皇帝に謁見した際、気球飛行を観覧したという。大槻はそれを聞き、感慨深く次のように記す。森島の『紅毛雑話』から20年、「数万里外の遼遠絶域」のロシアに漂流し本物の気球を目撃した日本の民から、ついにその「実証を得」たことは奇跡である、と。そして、気球とは「天地間」に充満する「空気の理を窮」め「虚空の気力亦舟をして風に御せしむ」る学問と技術の結晶だと…
www.yomiuri.co.jp

佐久間象山漢詩すら「アーカイブ」が無いみたいだね(頼山陽すらない)

今回、「甲寅初春之偶作」の全文を読みたいものだと思って検索したのだが、まるでなかった。(俺の検索が下手なのか?)
以前も、彼が「ナポレオンを詠んだ漢詩」を紹介した時、そういうのが無いか探したが発見できず、書籍から手打ちしたのだが、ムツカシイ漢字が出てきて困る困る(笑)

m-dojo.hatenadiary.com


その前に頼山陽の作品を捜した時も・・・・・・・・・
つまり、日本の文化遺産に関連しては、近代文学はわれらが「青空文庫」のおかげで非常に充実しているが、近代以前の「漢詩」は、本当にいまでも詩吟などで愛唱されているもの以外は、「歴史的価値があるもの」「偉人、有名人が詠んだもの」などを収録するアーカイブがほとんどないみたいなんだよね。
それぞれの地元の博物館や美術館で、業務としてやってくれないかな、とつくづく思いました。