タイガー服部がこういう本を出した。
引退する彼の、最初で最後の単行本になるだろう。
内容(「BOOK」データベースより)
業界キャリア50年を誇り、新日本プロレス、ジャパン・プロレス、全日本プロレスなどメジャー団体の歴史的試合を数多く裁いたレジェンド・レフェリーの著者は、外国人選手を発掘・招聘する渉外担当としても名高い。ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ザ・ロード・ウォリアーズ、長州力、オカダ・カズチカ…日本のプロレス界に名を残した新旧の名外国人選手から交流の深い日本人選手まで、古今東西のプロレスラーたちの知られざる素顔、リング内外の仰天エピソードを明かす!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
タイガー服部
本名・服部正男(はっとり・まさお)。1945年7月20日、東京都中央区出身。アマチュアレスリングで実績を残し、渡米。70年代後半からフロリダにあるヒロ・マツダのジムでプロレスラーのコーチを務める。80年、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にザ・ファンクスのマネジャーとして帯同。以後、レフェリー、外国人係(渉外担当)として、日本のプロレス団体で腕を振るう。新日本プロレスを経て、長州力のジャパン・プロレスに参加し、全日本マットでも活躍。新日本復帰後、平成時代はメインレフェリーを務め、数々の歴史的試合を裁いた。長州のWJプロレスに合流するも、再び新日本に復帰。ブシロード体制下の新日本では、レフェリー、インターナショナルコーディネーター、NJPW U.S.A.代表を兼任。2020年2月、レフェリーを引退(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
週刊プロレスで、インタビュー聞き取り形式によって四年間連載していたものを基に、引退記念として一冊の本にまとめたのだという。
全体的な感想では…まあプロレスもののエッセイ本としては水準ではあるけれども、やはり2020年に出した時点で「彼が知っている面白いネタは、どこかに先に書かれてしまってるなあ」というのが、正直な評価。
例えばの一例ですが、タイガーさんはこういう「秘話」を語ります。
「ベイダーが WCW時代、エージェントを勤めていたポール・オンドーフと揉めて控え室で喧嘩になり、オーンドーフが勝った」
…これを「多分誰も知らない話だと思う」とか書いてるけどね、素人の俺ですら知ってる有名な話なんですけど……。
この辺は逆にね、業界の中にいたら何がファンにとって「えっ」とびっくりさせられる話なのか、ああ知ってる、それは有名ですよね、となる話なのか、わかりにくくなるところもある……
それは週プロ記者さんがちゃんと修正するべきところだったと思う。
また、逆に比較すると、昭和平成のミスター高橋や田中ケロちゃんの文章というのは純粋にエッセイストとして優れたスキルを持っていたのだなあと再確認させられた。
まあスキルもそうだけれども、たぶん彼らは日常的に「今、俺が経験しているプロレスラーとの交流の日々は、誰かに売れる商品となる」という意識を持って毎日メモしたり写真をとったりしていたのだと思う。
そういう部分は常に見習いたいものです。
でもまあ、当方のこの感想自体もかなりバイアスがかかったり、偏っているかもしれない。あくまでも個人の観測範囲というやつだ。
オーンドーフとベイダーの喧嘩の話も、客観的には十分に商品になる秘話だったのかもしれない。
そういうことで、このあとは、この本で、完全に個人的に自分が気になってメモしたいトピックス。
・アンドレはサーキットして回る地区ごと、地区ごとに貯金していた。だから財産は相当なもので、モントリオール、ノースカロライナ、フロリダ…といった地域に全て邸宅を所有していた。
・ジャイアント馬場は、ラスベガスでは大きな手に片手で1万ドルぐらいのチップを持っていた。そこにハーリー・レイス、テリー・ファンク、ドリー・ファンク・ジュニア、リック・フレアーがやってきては、いつも小遣いをたかっていた(笑)
・ディック・マードックはビールを飲むことを「トレーニング」と称していた。ジョッキの上げ下げがプッシュアップになる、と言う(笑)
・リッキー・スティムボードのお母さんは、アメリカ人と結婚の際に当時のことで余り周囲は好意的でなく、渡米後は、家族との縁が切れてしまい会えなくなった。その話をジャイアント馬場がテレビの解説で話すと、そこから連絡がついて親戚と再会できるようになった。その時ジャイアント馬場は、リッキーに「次回の来日の時はお母さんを連れてきなさい」と伝え、飛行機代や滞在費を全て負担。。親戚一同が成田空港に集まるのも全日本プロレスのバスを出してくれたらしい。
・キング・ハク の喧嘩最強伝説は本物で、喧嘩すると、その相手をまず持ち上げて車の3台か4台ぶんぐらいの距離をぶん投げる。合気道の達人が「空手やボクシングは拳を武器にしているが、わしは地面を(相手を投げて地面に衝突させて)武器にできる」と語ったという逸話があるが、まあそれを反対方向から一致させていると言うか(笑)
・ハルク・ホーガンは実はヒロ・マツダに指導されて、 アントニオ猪木の新日本プロレスで育ったことをかなり誇りに思っており「俺は日本人と一緒にハードウェイで育てられてプロレスラーになった。他のアメリカのレスラーは生半可なトレーニングで口ばっかりでプロレスができない」「俺はハードウェイを誇りに思っている」「そんなに簡単にプロレスラーになった人間を俺は尊敬しない」 と、悪い新日本育ちみたいなプライドを持っていたそうな。
しかしタイガー服部が「また日本で戦ってくれ」とギャラ額を提示すると「それだとブーツ片方しか履けないな」
・ホーク・ウォリアーは六本木でイラクの人間達と揉めた。3人ぐらいを軽くボコボコにしたホークだったがイラクのその与太者たちはカミソリを持ち出し、ホークは「首筋をスライスされちゃった(タイガー服部(談))」。幸いにも動脈、静脈から数センチずれていて「15針縫うだけで済んだ」という。
・ベイダーがレオン・ホワイトから変身してビッグバンベイダーになる時、全日本に既にブッキングされていたのをキャンセルした…と言われているが、それは今振り返るとブラフで本当に全日本から話があったか分からないと。また、後のアルティメットウォリアーが最初ベイダーの候補だったという話は聞いていたがそれはほぼ内定していて、あの甲冑はアルティメットウォリアーのサイズに合わせた設計だったのだそうだ。本人が WWF を選んだためお蔵入りに。
・クラッシャー・バンバン・ビガロはベイダーともタッグを組んでいたが、仲は全然よくなかったのだという。新日本の扱いもベイダーより一つ下だったのは…あまりにプロレスがうますぎたので、不器用なレスラーを誘導して名称を作るのが好きなアントニオ猪木からは、逆に張り合いがないと思われたのでは? と。
・エディ・ゲレロ、ディーン・マレンコ、クリス・ベノワ。この三人が WWE に移籍する時は「3人一緒じゃないと契約しない」という交渉を行った。個人主義的なプロレス界でこういうことはめったにない。
・ジョー・マレンコはもともと薬剤師の資格を持っていたが、薬の売買ライセンスをとってフロリダで事業を行い今では Beach HOUSE も経営するような大金持ち。
・石井智宏 、ぜか海外で非常に人気があり、どこの国のプロモーターと話しても石井の名前が出てくる。イギリス、ラスベガス…全てで大歓声を浴びていた。
・タイガー服部から見てザ・グレート・カブキの「うまさ」というのは別格中の別格だったと言う。「 体が柔らかくて いろんな角度の受け身を全部できる」「四つのコーナーでレスリングができる」「前と後ろだけではなく横のレスリングができる。パートナーのマサ斉藤さんも前後のレスリングだけだった」
・ヒロ・マツダとカール・ゴッチは基本的にお互いものすごいリスペクトを持っていたが、徐々に食い違い(アメリカンプロレスへの評価という点らしい)が生じてきて最終的には「背中と背中を向けあう関係になった」という。ゴッチが気の合う相手は、ボブ・オートン、グレートマレンコ、ジョーマレンコ、鈴木みのる…みたいな感じだったと言う
ここだけ独立して…長州力とカール・ゴッチのガチスパー?
・長州力がフロリダに来た時は、結局ゴッチさんとぶつかることが多くて、練習もそのヒロ・マツダ道場で行うことが多かった。
そんな中…ここは原文を引用しよう
ある日、 ゴッチさんが練習で使っていたグレートマレンコのジムに長州を連れてきてくれて俺が頼まれて。連れて行ったらゴッチさんは長州力だけバッと中に入れて、鍵を閉めたんだよ。カーテンも閉めて。
これ、やばいなって思ったね。1時間以上…もっとかな? 中は見えなかったんだけど、ようやくドアが開いて長州が出てきたよ。そしたら何もなかったような顔してた。 二人きりで密室のジムだから、俺、長州力が殺されてるんじゃないかと思ってた(苦笑)。でも平然とした顔で出てきた。
あれは今でも謎なんだけどさ。もしかしたら長州はゴッチさんとスパーリングか何かして、勝ってたのかもしれない。その可能性はある。すごい強かったから、長州は。
これとほぼ同内容に近いことは、先行するノンフィクション、田崎健二氏の「真説 長州力」にも記述がある。原文そのままを引用できないのは申し訳ないが…
新日本プロレスでズバ抜けて「強い」のは、長州と坂口征二だったらしい。坂口も柔道のトップ選手だったのだから当然だろう。
長州自身は本書で以下のように語っている。
「まあ、関節技はアマレスにないから、獲られちゃう。でも、その前段階で俺を倒せる人間、寝技に持ち込める人間はいなかった。
関節獲るのってメチャクチャ楽なんだ。すぐに覚えられたよ。ただ、倒す技術っていうのはなかなか身につかない。覚えるのはしんどいよ。だから、レスリングをみっちりやってきた俺を倒せる人間はいなかったな。それは自信持ってた」(p.108, 下線オレ)下線部、UFCなどに慣れた現在の目で見れば、テイクダウンがどれだけ難しいかがよくわかる。まあ、関節技も難しいのだろうが、それは相手を倒してからの話だ。カール・ゴッチのもとでプロレス修行をしていた長州は、当時、ミスター高橋に「立った状態から始めれば、俺、ゴッチさんに勝ちますよ」と発言したというが、さもありなんと思う。
blog.livedoor.jp
と同時に誰の文章だったか…長州力本人の談として「俺はゴッチに勝てますよ。寝技だけで戦うなら難しいけど、スタンドから始まるならばね」と言う、幻想ともリアルとも呼べそうな自分を私ははっきり記憶に残している。
ああ、ミスター高橋の本か。
ミスター高橋本によると長州力は「寝技から入ったら負けるかもしれないが、立ち技から始めれば、俺はカールゴッチに勝てますよ」と言っていたそうですが、でも、ゴッチもグレコとフリーの五輪ベルギー代表ですよね。
この両者が戦ったとして、立ち技から始めても、二人ともレスリングベースですから結局は組み合い(またはタックル)→グラウンドの展開になると思うんですけど、それでも長州が勝っていたと思いますか?みなさんのご意見をお願いします。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
だがこの辺のピースとピースが繋がることが今後あるかは正直悲観的だ。それこそ YouTube の長州力チャンネルでぶっちゃけてくれたら大反響なんだろうが、 この種のことには、一番口が重いのは言うまでもない。
でも、youtubeの「口の軽くする効果」はとんでもないものがあるから、今後しゃべることもあるかな?
長州はこのスパーを「やってない」と言ってる???
(玉袋筋太郎)うん。でもね、まあいろいろ、プロレスラー最強伝説とかさ、幻想とかあるんだけど。長州さんがね、カール・ゴッチさん。神様カール・ゴッチは新日本プロレスの旗頭じゃないですか。その人のフロリダに行って、道場でなにがあったのかな?みたいなね、話とか。あれ、幻想膨らみますね。
(田崎健太)膨らみますよね。
(小林悠)なんかあんまりカール・ゴッチさんと相性がよくなかったのかな?という。
(田崎健太)まあ、タイガー服部さんは1対1でやったと言ってますけども。長州さんは、やってないって言い張るんですよ。
(玉袋筋太郎)正男ですね、正男。
(田崎健太)正男さんはね。正男さんも結構ホラを吹くっていうのがね。やっぱり長州さん(笑)。
(玉袋筋太郎)ええっ?タヌキ!プロレス界の。
(小林悠)ついて行けない方、いっぱいいらっしゃいますから!
これがゴッチ×長州密室スパーの真相か?
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) February 6, 2023
長州「あの話は作り話です。ボクはゴッチとスパーをやった事はない。二十歳ぐらいのジョーマレンコがマレンコ家のガレージで生意気にも挑戦してきたのでクシャクシャにしましたけどね。」
(日本プロレス事件史27より) pic.twitter.com/hLYnq9YjBX